27話:想い、愛、狂う
「何週間ぶり、かな。こうしてあんたと話をするのは」
「……」
「あんたに振られたあとさ。あんまりにもショックで、びしょびしょになりながら絶望して、そして――死のうとさえ思ったよ」
「……」
こんなことを言っても、彼は顔を俯かせたまま目を合わそうともしない。でも、こんなことでショックを受けるほど今のあたしの心は弱くない。あの子と約束したもの。
「でも、あのクロっていう変態が来てから、あたしはそんなこと思わなくなった。立ち直ったわけじゃなかったけど、誤魔化して笑えてた。このまま、誤魔化したまま、あいつと女二人で仲良くやっていくのも悪くないと思った。でもね」
息を吸う。
「やっぱり、あたしはあんたを忘れられない。あんたの彼女はあたしじゃないと、我慢ならないのよ」
彼の表情はよくわからない。俯いているからだけじゃない。あたしが見ないようにしているからだ。一度でも彼の顔を見てしまったら、言葉が出なくなってしまう気がするから。
「クロはあたしを慰めようとはせず、慣れさせようとした。あんたのこと、嫌いにさせようとした。気づかなかったでしょう。あたしが毎日毎日、あそこの陰からあんたとあの女が一緒にいるのを見ていたのを。何度も吐いて、倒れて、そのたびにクロがあたしを家に送ってってくれて、ご飯をつくってくれて……。そうやって何度繰り返しても、慣れっこなかった。あんたのことを嫌いになんてなれなかった!」
あれほど愛した人間を、簡単に嫌いになんてなれるものか。
「……どこまで知っているんだい?」
ようやく口を開いた彼は、そんな疑問を投げかけてきた。
「あの女のこと?」
「そう、彼女のこと」
今までのあたしの話には無反応かよ、と眉をひそめるが、悪意たっぷりに答えてやる。
「テンシとかいう人間じゃない何かで、勝手な基準で人の幸不幸を測るはた迷惑なやつ。あたしの敵」
「……それは違うよ」
ようやく彼が顔をあげた。その顔はのっぺりとしていて、表情らしいものは何も浮かんでいないはずなのに、なぜだかあたしには泣きそうに見えた。
「彼女は何か、なんかじゃない。迷惑な子ではないし、キミの味方だよ」
「どういうこと……? 味方なんて、そんなわけないじゃない」
「キミにとっては、そうなのかもしれない」
彼が何を言っているのかわからない。やっぱり何か、あの女に洗脳されているのではないか。
「あんた、あの女に何を吹き込まれたの」
「彼女は人を幸せに導く存在だ。キミが隣にいた子から聞いているのと同じさ。キミが僕と一緒にいたら、不幸になる」
彼は淡々と言葉を重ねる。感情の抜けたような平坦なその声とは対照的に、あたしは震えだしそうな唇をきゅっとこらえて声を絞り出す。
「だから、あたしと別れたの?」
「そうだよ」
「……それは、テンシに言われたから?」
「いいや、僕自身が決めたことだ」
いつの間にかあたしたちは、互いに顔を向き合わせて、目を合わせて言葉を交わしていた。それなのに、彼の目からは何も感じない。そのことがとても恐ろしい。
「……わかった」
本当は何もわかってなんかいない。頭の中はぐちゃぐちゃのままだ。覚悟を決めてきたつもりだったけど、そんなハリボテの盾はとうの昔になくなっている。
「じゃあ……じゃあ、言わせてもらう」
我慢できず唇が震える。これを言ってしまったらどう転ぼうともこの会話は終わりだとわかっている。彼と話しているこの時間が終わってしまうのだ。それが恐ろしくてたまらない。でも、言わないと。
なんのために昨日拳を合わせた? なんのためにクロは戦ってくれている? なんのためにあたしはここにいる――?
言え。言うんだ。言ってしまえ。そしてすべてに決着をつけろ!
「あたしはあんたが好き。愛して愛してたまらない。たとえ一緒にいることで不幸にさせるとしても、それでも離れたくなんかない。愛しているのなら、あんたの幸せを願って離れるべきなのかもしれない。それが普通の愛なのでしょう。そんなことわかってる。でも、あたしは我慢できないの。あんたがあたし以外の女と一緒にいるのなんて、我慢できない!」
そう、この想いは狂っている。自分でも驚くほどに、あたしの想いは常軌を逸している。こんなに狂ってしまうほど、あたしたちの間にあったものは重いものだったのだろうか。
「だからお願い。あたしのところに戻ってきて。どんなに大変なことが待ち受けていても、あたしがあんたを守るから!」
*
「頑張れ、親友」
私は遠く空の下の親友にぽつりとつぶやく。
「よそ見をしていていいのですか」
容赦なく突き出されたテンシの薙刀を槍でいなす。
「私は強いので。それに、助けると約束したからには――っ!」
いなした力をそのままに、薙刀ごとテンシを振り払う。
「あの子がことを終えるまで、あなたをあそこへ戻すわけにはいきませんので」
「そうですか」
再び薙刀と槍が交わるも、押し切ることができない。
……やはりこの姿では力を出し切ることはできませんか。
とっておきもすでに使ってしまっている。私に勝ち目はなさそうだ。とはいえこちらは時間を稼ぐだけでいいのが不幸中の幸い。足止めさえできれば、倒しきる必要はない。
……あとであの子に『あんなに大見得切ってたくせに』って嫌味を言われそうですけど。
「――!」
振り払われた姿勢から無駄のない動きで、テンシが上段から薙刀を振り下ろしてくる。まったく、物思いにふける暇も与えてくれませんか。
「一つ、質問があります」
「攻撃しながらやめてもらえますかね――っ!」
私の言葉を無視し、テンシは機械の様に平坦な声で問いを投げかけてくる。
「あなたは、本当にアクマですか?」
「ふんっ! そんなこと聞いてどうするんですか――っ!」
私は槍の柄で攻撃を受け止め、何とか言葉を返す。表情一つ変えずに切りかかってくるとは、本当に可愛げのない人ですね。
「我々テンシとアクマは相反するもの。それ故に、近づけば互いにわかるはずなのです。なのにあなたにはまったく気が付かなかった。そんなことはあり得ません。どういうことなのですか」
「さあ? そんなこと知りませんよ。あなたの勘が鈍いんじゃないですか?」
私に答える気がないと判断したのか、速やかに攻撃の手を強める。
「くぅっ――!?」
「……ではもう一つ」
大技の隙をついて私の全体重をかけて振りかぶった槍を、瞬き一つせず受け止めたテンシは言った。
「その翼と槍は、誰のものですか」
「――私から生えているのだから、私のものでしょう。何をくだらないことを」
「そうですか」
ガツン、ガツン、ガツン! とテンシの薙刀が連続で振り下ろされる。答える気がないなら用はない、と言わんばかりのテンシの猛攻に、私は防戦一方となってしまう。くそ、やはり私のほうが分が悪いようですね……。押し切れないどころか、少しずつ押され始めてきた。
「ぐぅ……! じゃあ私も聞かせてもらいますがね――っ!」
「なんでしょうか」
私は、先ほどの質問の意趣返しといった風に、目の前のテンシに問いを投げかける。私の勘が外れていなければ、決め手となるはずの重要な問いを。
「あなたこそ、本当にテンシですか――?」
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