第11話:感謝のことば

「あーもういい! とりあえず試着してみないとわかんないし!」


「ちょ、ちょっと押さないでください」

「早くフィッティングルーム行ってこい!」

 クロに赤黒両方のトップスと白のスカートを押し付けるように持たせて、試着室に押し込む。


「ふぅ……」

 なんだろうな。よっぽどあたしの心が弱ってるんだろうな。そうに違いないよな。実際そうだし。


「心、か」

 クロが来てから、なるべく意識しないように、も意識しないようにしてきた。あるいはクロがそうさせてくれていたのかもしれない。おかげであたしはなんとか今日まで生きているし、楽しい、という感情を持つことができている。


 でも――あたしの心は、どこにあるんだろう。


「あ、あの、どうでしょう。とりあえず黒のほう着てみましたけど……」

「あ、お、おう」

 男みたいな声を出してしまった。


「男みたいな声出てますよ」

「うっせ」

 不意に「きゃあ」とか言えるほど今のあたしの女子力は高くないのよ。


 考え事は一旦置いておいて、慣れない装いに若干恥ずかしそうにしているクロを上から下へ舐めるように見る。トップスの黒とスカートの白が対照的ではっきりしている。下が膨張色なので上半身は引き締まって見え、首元が開いていることで胸元が気にならない。


「さすがあたしの見立て」

「自分で言いますか」

 クロに白い目で見られるが、それあんたには一番言われたくないんだけど。


「自分ではどう思うのよ」

「そうですね……スカートも可愛いですね。そんなに動きにくい感じもないですし、意外とこの姿にあってます」

 試着室の鏡で自分の姿をくるくる見回すクロ。そのたびにスカートの裾がふわっ、ふわっと振れる。


「そう。じゃあ次赤のほうね」

「えー。これでいい感じなんだからいいんじゃないんですか」

「だめだめ。ちゃんと着比べてみないと。つべこべ言わず着替えた着替えた」

「はーい」

 しぶしぶ、でもちょっと楽しそうにクロは試着室のカーテンを閉めた。上を着替えるだけなのですぐにカーテンが開かれる。


「はいどうぞ」

「どうぞって」


 やっぱり赤だとずいぶん印象が変わる。活動的な印象になるし、夏に負けない熱さ、明るさがある。端的に言うと派手だ。しかしスカートの白と青のストライプのおかげで派手すぎることはない。


「やっぱりさすがあたしね」

「自画自賛ですー」

「うっせ」

 情熱の赤とはまさにこのこと。当初考えていた活発という印象より行き過ぎた感じはあるが、これはこれで悪くない。


「で、どうよ。着る本人としては」

「そうですねえ。こういうビビットな服はあまり着たことないんですが、似合うものですね」

 先ほどと同じでずいぶん簡単な感想だった。ていうかさっきからなんか他人事なんだよねえ。意外とファッションとか興味ないんだろうか。


「それで、黒と赤だったらどっちがいいと思う?」

「どっちがいいと思います?」

「あたしが聞いてるんだけど……」

「いや、こういう時って普通人に意見を求めるものでしょう。他人ひとに見せるんですから。自分ではわからないですよ」

 それもそうか……。


「…………」

 どっちも魅力的、と言ってしまえばそれまでなんだけど。そういうことを言うとこいつは調子に乗る。


「どっちも魅力的で甲乙つけがたいですか? いやあやっぱり私の内からにじみ出る天性の魅力の前では服の種類なんて関係ないんですね!」

 ほら、言わなくても調子に乗っている。


「でもまあ、そうなのかもね。あたしにはどっちがいいって決められない。だってどっちも素敵だもの」

「……ボケをつぶされるとちょっと反応に困るのですが」

 クロは若干、いやかなり恥ずかしそうに体をもじもじさせる。


「でもまあ、そう言われるのは嬉しい、です」

「……」

 やめてよ……。そんなに嬉しそうにはにかまれると、こっちまで……。


「せっかくあなたが選んでくれたんです。どっちか一つに絞ることなんてないでしょう」

「……そう?」

「ええ。――というわけで買ってきます」

「ええっ!?」

 クロの即決に驚いて素っ頓狂な声をあげてしまう。


「いやなんでそんなに驚くんです」

「あの……別に買う目的で選んでたんじゃなくて、なんとなく合わせてみたかっただけだったんだけど……」

「……そういえばそうでしたっけ」


 興が乗ってヒートアップしたが、そもそもまだ一店舗目だし。もともとなんとなくウィンドウショッピングするつもりだったわけで。色々考えて選びはしたけど、どんな服が似合うのか試してみたかっただけだし……。


「でもいいんです。んですよ」

「……ふーん。まあ買う買わないはあんたが決めればいいことだから、あたしが言うことじゃないけど」

「ええ。ですからこれ、いただいてきますね。ちょっとお時間いただきます」

「ごゆっくりどうぞ。あたしもちょっとその辺見てくるから」

 クロが服を持ってとてててとレジへ向かう姿を見送って、あたしは足早にその場を離れる。


「……ひどいよ」


 そんなこと言われて、あたしはどうすればいいの。


「こんなの、許されない」


 これは、彼女に対して失礼だ。いまだ彼への想いを捨てきれていないあたしが、思い出しても苦しいだけ、悲しいだけなのに、それでも一切を忘れて新たに歩み始めることのできないあたしが、このようなことを、このような気持ちを抱くのは彼女に対して失礼だ。


 クロの目的が何なのかはよくわからない。彼女の荒唐無稽な話はにわかに信じられないけど、見ず知らずの人間を見返りもなく助けてあげようなどという人間はいないだろう。そんなことをするのは神か天使くらいだ。悪魔だって力の対価に魂を要求するのが相場なのだから。

 でも、そんなことはどうでもいいのよ。目的が何かなんて、あたしはどうでもいい。例えばさっきの言葉が、特に何も考えずに出たいつもの天然セリフでも、あたしを気遣ったり喜ばせようとして発せられたものだとしても、それは関係ない。その言葉によってあたしがどう感じたかが重要なの。――クロの目的がどうあれ、あたしが彼女に対して感謝の念を抱いていることに違いはないのだ。


 そう、感謝。あたしが彼女に対して抱く感情は、感謝でなければいけないのだ。それだけじゃないと……いけないんだ。


「あたしはあんたに『ありがとう』って言いたいのに――」

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