30話:決着

 厚く覆われた曇天の空、薄暗く陰り光など通さないはずの天上から、一筋の光が差す。その中心は――。


「クロっ!!!」


 ドウッ! と光の奔流が柱となって出現した。


「はーい。あなたのデリヘル、クロちゃんですよー!」


 雨雲を吹き飛ばし、天まで届く光の柱の中から、そんな間の抜けた声がした。七色の光柱は収縮しはじけ、粒子となり霧散する。


「……く、クロ?」


 こんな状況だというのに、あたしは素っ頓狂な声を上げてしまった。


 これからの時期には暑そうな、ひざ下ほどまであるごつい茶色のブーツで、太ももをさらすのをいとわない(しかも腹立たしいくらいに美脚)紺色のホットパンツで、大きな胸元をさらに強調するようなピンクのボーダーに、白いカーディガンで、絶妙なウェーブを描くボリュームのある髪を胸のあたりまで伸ばして――


「あんた……誰?」


 背はあたしの顔くらいまでしかない。動きやすそうな紺のスニーカー、膝頭が出るくらいのチェックのスカートからは、若い筋肉が程よくついた健康的な足がすらりと伸びている。清潔な白の半そでカッターシャツの上からは、ささやかに主張する未来ある胸部。その上にはかわいらしい赤のリボン。髪は短く切りそろえたボブカットで、つややかな黒髪だけが変わらずそこにあった。


 女子高生だった。


「ひどいなあ。あなたが泣いて私の名前を呼ぶから、満身創痍の体に鞭打って立ち上がったというのに」


 今までとはすっかり姿かたちが変わってしまったクロは、すっと胸元に手を当て、一回り幼くなった顔に見慣れたあの微笑みを浮かべた。


「これが私の本当の姿です。今までのは、あなたの願望を反映した仮の姿」

「願望……?」

「あなた、おっぱい大きくしたいんでしょう?」

「なぁ――」

 場違いながら、図星を突かれ顔が熱くなる。


「おっと、今はそんなこと言っている場合じゃありませんでしたね」

「そ、そうだよどうしようクロ!」

 あたしの胸元では最愛の人が血まみれのままだ。


「本来テンシは直接人間を殺傷できるはずないのですが……やはりイレギュラーか。ちょっと見せてください」


 駆け寄ってきたクロが彼の傷口を観察する。クロの視線につられて目を向けたあたしは、真っ赤に染まった彼の背中を見て急に現実に引き戻される。


「クロ、大丈夫だよね? 大丈夫だよね?」

「ふむ……とはいえ腐ってもテンシですか。大丈夫。派手にざっくりやられていますが、実際はそこまでひどくありません」

「でも、こ、こんなに、血が。ぐさって、突き刺さって」


 クロが戻ってきた途端緊張が解けたのか、舌が回らなくなりたどたどしくしか言葉を話せなくなってしまった。


「落ち着いて、私の言うことを信じて。ね?」

「う、うん」


 前の姿の時は子供っぽいと思っていたのに、子供の姿の方が包容力がある気がする。解せない。


「とはいえ、このままでは危険なのも確か。血とかもそうですが、根幹の生命力が足りませんね」

「じゃあ――」

「ま、私におまかせください。ちょうどそこに、生命力のかたまりみたいな化け物がいるので」


 シュコン、と先ほども持っていた三又の槍がどこからか現れる。その槍の先で、アレを差す。


「わたしは人間に幸せを導くテンシ、わたしは人間に幸せを導くテンシ、わたしは――」


 テンシは首をあらぬ方向に傾け、腕をだらんと下げた格好で、うわごとのように何かをつぶやき続けている。もはやテンシどころか、人型とも思えないほどどす黒いオーラに包み込まれてしまっている。


「ありゃりゃ、自己矛盾でオカシクなってしまったようですね。そもそも安易にこのような状況に陥るのも変ですが、崩壊はしていないあたり、やはり……」

「クロ、あれを、どうするの?」

「おっとそうでした。ええとですね、テンシは膨大なエネルギーをもって顕現しています。さっき私を吹き飛ばしたようなね。なので、少々拝借します」

「???」


 よくわからない。


「ま、見ててください。あなたの愛する人は、私がきちんと救ってあげます」


 これ以上ないくらい頼もしく笑い、クロはテンシに向き合った。



「苦しいですよね、あなたも。すぐ楽にしてあげますからね」



「わたしは、死、シ、幸せを導く、テンシは、わたしはァ――!」



 両者の激突は一瞬だった。


「ははっ、元気いっぱいですね!」

 でも、と、テンシの突き出した薙刀を槍で受け止めながら、口元を緩める余裕すらもって続けた。


「さっきは胸が邪魔で不覚をとりましたが、この姿の私は正真正銘強いですよ!」


 クロの槍が、テンシの薙刀をはじき返す。上方向にはじかれた薙刀を、テンシはそのまま力任せに振り下ろそうとする。


「――遅いです」


 その一瞬の隙に、クロはテンシの後ろへ回り込み、槍の先端をその体へ突き刺した。


「ぐ、ぅああああああああああ!?」


「はーい採血しまーす」


 槍の刺さった場所を中心に、テンシを取り巻くどす黒いオーラがクロの槍へと吸い込まれていく。絶叫するテンシはお構いなしに、クロはぐんぐん槍で押さえつけていく。


「あああああああああああああ!? や、やあああああああああ、や、め」


「まだもうちょっといただきますねー」


 化け物じみたテンシの風貌が、光り輝く純白の姿へ、そして見る見るうちにはじめの人間のものへと戻っていく。



「やめ、うあ、やめろ、やめて、や、や、いや、あ、あああああ、やだ、やだよ、たす、け、あ、あく、ま、さ――」



 絶叫は徐々に薄れ、懇願する子供のような表情を最後に、憑き物がとれたようにテンシは地面へ倒れ込んだ。


「それは……」


 しかし、戦いに勝利したはずのクロもその場で固まったまま呆然としている。どうかしたのかと、あたしは我慢できずに叫ぶ。


「クロ! 大丈夫!?」

「え、ああ、はい。大丈夫ですよ。殺してはいません。お仕置にちょっと多く吸い取りましたが」

「そうじゃなくて、あんたが!」


「――私は、大丈夫です。心配してくれてありがとう。それよりも、彼を治してあげないと」


 クロは「すぐ済みますからね」と言って、槍の反対側で彼の体に触れた。


「うわっ――!」

 槍の触れた部分から、緑色の光が溢れ出す。その光におそるおそる触れてみる(光に触れるというのも変な話だが)と、疲弊した精神がゆっくり安らいでいくような気がする。


「結構吸い取ったから、加減が分からないですね。あんまり入れすぎると破裂しちゃうから気を付けないと」

「えっ」

「冗談ですよ、冗談。っと、こんなもんかな」

 クロが槍を離すと、何事もなかったかのように光も消えた。


「ん――っ。あ、れ」


「! 意識が!」

 彼の目が開いた!


「ぼく、は……」

「よかった、よかったよぅ……! ごめんね、あたしのせいでひどい目にあわせちゃった。ごめんね……!」

 状況が呑み込めていない彼だったが、あたしは構わず彼の体を抱く。


「大丈夫、さ。だって、僕はキミを愛しているから、ね」

「うん、うん! あたしも、あたしも愛してる!」



 そして、触れ合うようなキスをした。



「ぐ、くっ……わたし、は、わたしは……」


「!」

 クロが槍を構える。再びテンシが立ち上がろうとしていた。しかし、


「わたしは、負けたのですね」

「ええ。あなたは私と、彼女たちに負けたのです」

「そう……ですか……」

 テンシは薙刀を支えにして立っているのがやっとのようだ。彼女はあたしを見、そして彼を見て言った。


「あなたは、それでいいのですか。それで、幸せなのですか」


「幸せだよ。僕たちで決めたんだ。……ごめんねテンシちゃん。僕たちは、はじめからこうするべきだったんだよ」


「――あなたがそれで幸せだというのなら、わたしには何も言うことがありません」


 少し。ほんの少しだけ、テンシが寂しそうに、ほほ笑んだような気がした。


「アクマ」

「なんです?」

「今回はここで引かせていただきます。本当はあなたに聞きたいことがたくさんありますが――」


 がくり、と倒れかけるテンシ。言葉をつづけるのも苦しそうだ。

 クロは「はっ」と短く笑って言った。


「奇遇ですね。私もいろいろ聞きたいこと、あるんですよね。どうです。今度お茶でもしますか」

「はは、ご冗談を」


 そうしてテンシはあたしたちに背を向け、去ろうとする。


「ま、待ってくれ……」


 息も絶え絶え、といった様子で彼がテンシに呼びかける。テンシはその声を聞いて、ピクリ動きを止める。


「ありがとう……テンシちゃん、も……あ…………」


 唇は震えていたけれど、最後は言葉になっていなかった。しかしテンシは一つ頷き、瞬きをした次の瞬間には跡形もなく消えていた。

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