35.僕を戻す、君の声

「ううん、さすがにどこもいっぱいね」

 3件目の宿屋に満室と断られ、気落ちするレイ。


 このあたりは港が近いから観光や仕事で大勢が来るし、酒場も多い。それにクエスト受付所があるので、この近辺に滞在したい人はたくさんいた。


「こんな夜だしな。そろそろ店主も寝始める頃だぜ」

「まあ文句を言っても始まりません。地道に探していきましょう」

「お前のその切り替えの速さは何なの」

 もういっそ憧れるよ。



「まあまあ、いいですかヒルギーシュ。世界の話の続きですけどね」

「え、それ続くの!」

 今は前に進みましょうよ!



「世界は進歩するのではなく、同じところをグルグル回る。でもだからこそ、それを肯定的に受け入れ、既存の価値に縛られずに新しい価値を生み出すことが大事なのです。超人、と呼ばれる人ですね。僕もそんな人間になりたいです」

「超人ねえ……」


 そんな人は一握りだろうなあ、と考えていると。


「さて、僕に泊まる場所を確保するアイディアがありますので、試してみましょう」

「ホントですかアイクさん!」

「へ? おい、ここ入るのかよ!」


 跳んで喜ぶイセクタと一緒に、今レイが断られたばかりの宿屋に入る。

 受付には、性格のキツそうなおじさんが座っていた。


「すみません、今日は満室……って何だ、さっきのじゃねえか」

「あの、僕達寝る場所がないので、この宿で働いてる人の寝場所を使わせて下さい」

 いきなりとんでもないこと言い出したー!


「はあ? 無理に決まってるだろ。帰れ帰れ」

「お願いしますよ、もちろんその、お金は、払えないんですけど」

 払えないのかよ!


「何ぃ! ケンカ売ってんのかお前は!」

 たった2言で顔を真っ赤にするおじさん。苛立たせる役任せたら天才だな……。


「そう言わずに、なんとかお願いします。助けると思って」

「うるせえ! 金もねえなら来るな!」


 そこで、アイクは下を向き、口元を緩めた。


「待っていました、僕に上に立ってくれるのを」

 翳した手を包む、オレンジの光。




【ルサンチマン】



「あ、えっと、泊まりたいってことですよね……。でもその、この宿の従業員が体を休める分のスペースしかないので、お客様4人で狭い思いをしてしまうかもしれませんが……」

「いや、構わないですよ。とりあえず僕達は今日だけ泊まれれば良いので」

「それならどうぞごゆるりと。今ご案内しますね」

 成功しちゃってる!


「さて、皆さん入りましょう」

「アイクさん、すごい! 哲学魔法って底知れないですね、レイさん!」

「え、ええ、そうね」

 笑いながら言葉に詰まるレイを見ながら、同じように吹き出してしまう。

 アイクシュテット、こいつホントに超人かもしれないな。





「あー疲れたー!」


 もう今日何度目から分からない叫びをあげながら、従業員の宿泊スペースの一角にドサッと身を投げる。

 荷物はほとんどなく、板張りの床にマットが敷かれ、2~3人いっぺんにかけられるような大きい毛布と枕が転がっているだけの設備。



「ふぃー、気持ち良いですねー! あ、でもあのおじさん、他の人もそろそろ寝に来るって言ってましたよね?」

 毛布を巻きつけて遊ぶイセクタに、レイが「そうね」と答える。


「端っこで少し固まって寝ましょ」

「今日はここで我慢するとして、アイク、明日はあの宿のおばちゃんに謝りに行くんだぞ」

「パンのお替りをしなかったことですか?」

「美人! 美人がどうとか言ったこと!」

 パンの話なんてこっちも忘れてたよ!



「とにかく、宿屋はちゃんと確保したうえでクエストに臨みたいだろ? あ、イセクタ、明かり消してくれ」

「分かりました!」


 フッという息を吹く音とともに、部屋から光が消える。

 もぞもぞと動く音がして、誰がどこにいるか分からなくなったまま、部屋は静寂に包まれた。




 そして部屋に微かに響く、「ヒルギーシュ」と呼ぶアイクの声。



「んあ? どした?」

「そろそろ生きることの真理に迫るようなクエストはないんですか?」

「そんな真のクエストはねえよ」

 受付所が気軽に依頼していいの? ねえ、いいの?


「俺達はベルシカに行って、モンスターを倒したり、貴重な花を摘んだりするんだ。それが仕事だ」

「ちょっと待ってください。それじゃあまるで、興奮と危険に溢れた冒険に勤しむだけの毎日じゃないですか」

「じゃあ何も問題ないじゃん!」

 割と幸せじゃん!


「大体お前が哲学者なのにパーティーに入りたいなんて――」

 見えないアイクに話そうとした、その時。



 カツッ カツッ カツッ カツッ



「ヒルさん、従業員の方ですよ!」

「げっ、やばいやばい! 静かに静かに!」

「いや、イセクタ・ユンデ。なんなら従業員の方も交えて人生について――」

「いちいち問題を起こすな!」

 ツッコみながら、近くの毛布に潜り込む。



 ギイィ……ガサ……モソソ…………ゴソゴソ…………



 少し経って、音が止んだ。




 ……ふう、どうやら寝たようだな。イセクタやアイクの声も聞こえなくなった。




 と、毛布が俺の前方からグイッと引っ張られる。

 しまった、人数分あったけど、誰かと一緒に使っちま――


「ヒル君、ちょっと寒いから、もう少しこっちにもらっていいかな」



 どわあああ! レイじゃん! え、はい、何! 顔見えないけど俺レイと一緒の毛布で寝てるの! 幸運すぎて明日倒れたりしない? 大丈夫?



「おい、レイ。俺、向こうで寝るか――」


 俺の頭を、レイの手が撫でる。どわあああああ!


「え、いや、あの、レイ!」

「ふふっ」

 小声で叫ぶ俺に、小声で笑うレイ。



「レイ、どうしたん――」

「大丈夫よ、ヒル君。大丈夫。ヒル君が死なないように、私も強くなるから」

「…………ああ」


 そっか。さっきのベッドでのこと、覚えてたのか。



「大丈夫よ。大丈夫」

 頭を撫でて、ただただ、同じ言葉を繰り返す。


 気付かなかったけど、それはきっと、俺が欲しかった言葉。


 大丈夫の根拠はないけど、そう言ってもらえるだけで、心が満たされる。



「…………このまま寝るよ」

「ふふっ、もちろんよ」



 くそう。やっぱり彼女は人生の先輩で、いつまで経ってもお姉さんで、そして素敵な憧れの人だ。




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■メモ:超人

 人類は共通の目標を持ち、歴史はその目標に向かって進歩している、というヘーゲルの考え方(https://kakuyomu.jp/works/1177354054884296205/episodes/1177354054884727509)に対し、ニーチェは異なる考えを展開します。


 神が死んだ世界においては、人は目標に向かって生きることはなく、円環運動の時間の中をグルグルと生きるのみだ(=永劫回帰)、というのがニーチェの見解です。


 しかし、ニーチェは決して永劫回帰の考え方を否定していたわけではありません。その円環運動を「人類共通ではない、自分自身の目標を決められる」と肯定的に捉え、使い古された価値に固執せずに新しい価値を生み出す人間も存在する、とニーチェは考えます。こうした、真の意味で自由な存在である人間を超人と呼びます。



 超人は、初めは周囲から理解されません。新しい価値を生める強い人間は、奴隷道徳の元では弱者からレッテルを貼られて悪とみなされてしまうからです。


 しかし、既存の価値が意味を失った世界で能動的ニヒリズム(https://kakuyomu.jp/works/1177354054884296205/episodes/1177354054884759210)の姿勢を貫き、奇想天外なアイディアを具現化していくなかで世界に新しい光をともすのは、超人だからこそ成せることなのです。


 現実を直視し、生き方を説いたニーチェ。彼の言葉が今なお雑誌や書籍で人気なのは、不安定な世界の中でどう生きるか、というヒントが隠されているからかもしれません。

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