3.恐るべし哲学魔法

「えいっ」

 そのままフレイムゲーターに突っ込んで腹部に掌底をかますアイク。


「ぐうっ……」

 敵は勢いで3歩下がり、そのまま倒れこんだ。


「ヒルギーシュ、今です」

「へ? お、おう」

 言われるがままに、剣でとどめを刺す。

 辺りに静寂が戻り、やがて鳥の鳴き声が聞こえ始めた。


「ううん、やっぱり武器無しの体術だとダメージは少ないですね」

 平然としている哲学者に、動揺しながら話しかける。


「お、おい、アイク、今のは何だ……?」

「ああ、掌底しょうていっていって、この掌の手首に近い部分で――」

「その1個前のヤツだよ!」

 誰が体術に興味持つんだ!


「アイ君、さっきのイデアって、魔法……?」

「ええ、魔法の一種です」


 赤レンガ色の服のしわを伸ばしながら、レイの方を向いて答える。

 魔法? あれが? 師匠に習ったことないけど、白魔術にあるのかな?


「ヒルギーシュもレイグラーフも、知らないのも無理ないと思います。これは攻撃魔法でも補助魔法でも回復魔法でもありません。、言わば『哲学魔法』ですから」

「哲学魔法……」

 そんなのがあるのね、と驚くレイ。美人が目を丸くすると可愛いなあ。


「え、アイク、今のそれって始めから覚えたのか?」

「いえ、たった今習得した、というか……」

 頬を右手で掻きながら、言葉を選ぶ。


「魔法の素になる思考や思想が幾つかあって、それを頭で理解すると魔法として発動できるようになるみたいです。なんとなく自分で分かるんですよね。『あ、これ魔法として使えるな』って。研究してる人が少ないので、どんな魔法があるのかは未知なんですけど……」

「なるほどねえ。哲学を学んでいったら、たまにさっきみたいな魔法が使えるようになる、ってことか」

 ううん、やっぱり普通の魔法とは少し違うな。


「でもすごいよアイクさん、全然ダメージ受けないなんて! ねえ、レイさん!」

「そうね、すごかった! 普段の戦闘で見せない顔だからビックリしちゃった!」




 あれ? これあれじゃない? 俺よりコイツの方が目立ってるやつじゃない?

 ちょっと待ってちょっと待って。なんかレイも感動してるけど。


 俺は! ねえ、俺は! とどめ刺したの俺なんですけど! ほら、この剣で!

 これまでの戦いでも先陣切って攻撃仕掛けてるの俺なんですけど!


 くそう、俺は負けないからな! 有名になるんだからな!




「ところでアイク、そもそもイデアって何なんだ?」

「おお、そこに目をつけましたか」

 少し嬉しそうな声色に変わる。


「ヒルギーシュ、この世界には形も色も違う色々な剣があります。錆びた剣や折れた剣もあるでしょう。ではなぜ、その全てが剣であると分かるのですか?」

「……は?」


 なぜ? なぜってそんなこと言われても……すぐに剣って分かるよなあ。


「いや、なんとなく見れば剣って分かるだろ」

「そう、それなんです。『これが剣だ』というものがなくても、僕達は剣を認識できる。それは、この世界とは別の世界に『剣のイデア』があるからなんです」

 立て板に水で続けるアイク。


「そのイデアは即ち、究極の剣です。究極に強い、ということではありません。究極に正しい、ということですかね」

「究極に正しい……」

 呟くように復唱するレイに、「そうです」と相槌を打つ。


「僕達は現象界、つまりこの世界でその物を見るとき、頭の中で色んなイデアを認識している。そこで比較して『なるほど、剣のイデアと同じ系統のものだから、これは剣だ。剣の模造品ミメーシスだ』と理解しているのです」


「へええ! すごいですね、ヒルさん! 究極に強い剣が別世界のどこかにあるんですって」

「イセクタ、お前話分かってないだろ」

 誰がそんな伝説じみた話をしたんだ。



「で、今話したイデアの思想が、魔法になることで戦闘に使える形に変化したんですね。この世界のものは模造品ミメーシス。であれば、炎も偽物である」

「なるほど、それで熱くなかったのか……」


「面白いわね、哲学魔法!」

 レイが目を輝かせて破顔する。

 ぬおおおおっ! その微笑みは俺が見ようと思ってたヤツだぞおお!


「よし、じゃあ鉱石を採りに進みましょう」

「いいんだよイセクタ、その仕切り役は俺がやるから」

「なんでしたっけ、鉱石の名前。イデア?」

「キノサイト!」

 そこ混同しないで!




 ***




「ふう……結構歩くわね、ヒル君」

「ああ、クエスト受付所のおばちゃんは、途中で一泊することになるって言ってたな。モンスターがほぼいないエリアに簡易宿泊所があるらしい」


 額の汗を拭いながら、4人1列になって歩く。だだっ広い草原が遥か遠くまで続くのが見え、歩くのも出てくるモンスターも楽とはいえ、多少気が滅入った。


 先頭を跳ねるように歩くのは、エルフのイセクタ。


「イセクタ、元気だな……」

「ええ、体も小さいし軽いから、ヒルさん達より疲れないのかも――わあっ!」

 急に俺に体を寄せ、ギュッと抱きつく。


「どわっ、イッ、イセクタ!」

「ヘビ! なんかヘビみたいなのいた!」


 顔をうずめて、ふるふると身を震わせる。狼狽する俺の視線の先には確かに小さなヘビがいて、こちらに尾を向けてシュルシュルと去っていった。


「ああ、大丈夫だ。向こうに行ったぞ」

 その声に、瞳を潤ませながら、上目遣いで俺を見る。

「…………ほんと?」



 ぐはあっ!

 これは、これは反則じゃないか! 中性的な顔でその仕草!

 女子なら無条件で可愛い。でも、男子でも女子でもないって存在がまた、背徳感をくすぐる!

 「女子になるかもしれない でも男子かもしれない」ってヤツがこのリアクション……ズルい、ズルすぎる!




「あ、ヒルギーシュ、フレイムゲーターです」

「ふぁいっ! お、おう」

 アイクに呼ばれて冷静さを取り戻す。


 炎を吐かれる前に……ん、待てよ……良いこと考えた!

「よし、アイク! 『イデア』使ってくれ!」

「え? ええ、分かりました。 では……【イデア】」

 アイクが魔法を唱えた。これで敵の炎は偽物だ。


「あとは! 俺が! 決めるぜええ!」

「バカめ、むざむざと焼かれに来たか!」

 口から炎を噴射する敵。



「あの、ヒルギーシュ。イデアの考え方は個人の認識の話なので、唱えた本人にしか効果はないですよ」



 ゴオオオオオオオオオオッ!



「アチチチチチッ! アチッ! 熱い! 死ぬ!」

 そこは先に言っておいてくれませんか!




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■メモ:プラトンとイデア

 師であるソクラテスの教えをまとめて後世に伝えたのが、彼と同じく紀元前のアテネ出身の哲学者、プラトンです。


 プラトンはアテネ郊外に、実に900年も存続することになるアカデメイアという教育施設を設立し哲学の研究と教育に専念しました。彼が勉強していた数学が、彼の思想にも大きな影響を与えており、イデアもその中の1つです。


 皆さんは「完全な三角形」というものを見たことがあるでしょうか? どれだけ綺麗に描いても、少し曲がったり、線に多少のギザギザが入ったりしていて、完全ではありません。


 しかし私達は、「完全な三角形」を見たことがないのに「これは完全な三角形ではない」と理解することが出来ます。なぜでしょうか? その答えがイデアなのです。


 彼は、この世界ではない別のどこかに「完全な・究極の三角形」即ち「三角形のイデア」が存在すると考えました。


 現実世界(=現象界)でその図形を見ているとき、からこそ、目の前のものを「三角形らしきもの」、つまり模造品ミメーシスと認識できる、と結論付けたのです。


 この発想は、彼の国家思想にも関わってきます。イデアは物に限った話ではなく「正義」や「善」のイデアも存在すると考えたプラトンは、「完全な正義や善(=イデア)を知る哲学者が王になって政治を行うべきだ」という思想を唱えたのでした。

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