20.酔いどれ2人

「あ、あの……レイ……?」


 ニコニコした表情は全く変わらない。むしろいつもより楽しそう。


「ね、どうしようね、ヒル君、ふふっ。この前、昔からの友達の結婚式に誘われたんだけどさ。『レイが来てくれたら、教会とっても華やかになるし!』って。ふふっ、別に私、誰かの幸せな場を華やげるために生きてるわけじゃないのにね」


 怖い! 「ふふっ」が余計に怖い!


「私ももう22よ。昔は漠然と『大人になったら幸せになれる』なんて思ってたけど、違うのよね。自分で掴み取るものなのよね、ふふっ」


「おい、イセクタ。どうなってんだこれ」

「あー、酔ってますねこれ」

「酔うとこうなるの!」

 大分闇が深い酔い方ですけど!


「えっと、どうやって治すんだったかな。レイさんに前聞いたんですよね。確か後頭部のこの辺りを……」

 そういって、右手を振りかぶり、手刀の形にする。


「うりゃっ!」

「は?」


 バチーン!


 ガターンッ!


 殴られた衝撃で前につんのめり、ビールを撒き散らかして派手に椅子から転げ落ちるレイ。


「これで治るはずです」

 えええええっ! こんな荒療治!


「んん……あ、ごめんね、イセクタちゃん。記憶あんまりないな。酔ってたのね」

「いえいえ、頼まれた通りにやっただけですから」

 ええええええええっ! ホントに治るの! っていうか覚えてないの!



「ヒル君、ごめんね。もう大丈夫だから」

「あ、うん、はい……」


 レイグラーフ。とってもとっても美人だけど、怒らせたくないし一緒に深酒はしない方が良さそうです。




「アイ君、さっき、経験と理解の仕方は人間に限っては共通だ、みたいな話してわよね? あれって他の動物は確認しようがないってこと?」

「ええ。いいところに気がつきましたね、レイグラーフ」


 酒場を出る前、最後に冷たい水を飲みながらアイクが感心する。

 むしろあの酔い方から冷静に戻ったレイに感心するよ。


「他の動物も同じように認識しているかもしれないし、違うかもしれない。人間は人間のことしか分かりません。更に言えば、人間だって実際の『物』自体を認識することは出来ない」

「物自体? ああ、人間独自の『経験の形式』と『理解の形式』で認識してるからってことか」


 ついていけていないイセクタがポカンとしてる中、その通りです、と答える。


「どの動物も、何らかの形式を通じて物事を認識している。真理に当てはめると、全生物にとって普遍的な真理は無いということです。人間の真理は、人間にのみ適用される」

「そういうことか……やっぱり面白いわね、哲学って」


 レイが水を飲み干し、そろそろ出ようとした、その時。


「その白い髪、お前が噂の哲学者か」

 かなり酔っ払っている別のパーティーの剣士が、俺達の後ろまで歩いてきた。


「ちょっと、やめなよ」

 止めようとする周りのメンバーも意に介さず、彼は立ったまま、ニヤニヤしながらアイクを見る。


「ぶはっ! 変わった髪の色だし、服も変だぜ。力もなさそうだし、戦闘の役に立つとも思えねえ。こりゃまた大変なパーティーだな」


 ったく、厄介な酔っ払いってのはどこにでもいるもんだ。

 揉め事にならないよう、アイクに小声で伝える。


「おい、あんなの気にしないでいいからな。酒が入って気が大きくなってるだけだ」

 彼は、もちろんです、という目で頷いた後、口を開いた。


「ヒルギーシュ。これも良い例かもしれません。僕達には彼が驚くほどの愚か者に見えますが、彼の本当の姿は分かりません。他の生物が彼を認識したら、もっと愚かに見えるかもしれない」

「全く意図が伝わってない!」

 完全にケンカ売ったな!


「んだとお! おい、なんだ、やんのか!」

「いいえ、貴方とケンカする気はありません。僕は真理を見つけるのに忙しいので」

「ふざけんなよお前!」


 チッと激しく舌打ちした後、酔いどれ剣士はレイの方に目を遣って下卑た笑顔を見せる。


「おっ、白魔術師さんは美人だねえ。ここでコイツと戦っても一向に構わねえが、どうだいアンタ、一度抱かせてくれりゃこの件は――」


 ギャリン!


 瞬時に抜いた刀の切先が、相手の喉下を捕らえた。


「このがなんだって?」

「……じょ、冗談だよ冗談」


 少し慌てて後ずさりし、「行くぞ」と他のメンバーと共に去っていった。


「さて、皆さん。喧嘩してる場合ではありません。今回の目的はジュナイスです」

「お前が言うな!」

 誰が発火点なんだ!



「んじゃ、先に進むかね」


 会計を終え、先に進んでいたイセクタとアイクに追いつこうとすると、レイが「ヒル君」と肩を叩く。


「さっきありがとね」

「いいってことよ」


「でもホントにケンカになったらどうするのよ。無茶するんだから」

「……俺も愚か者ってことだ」

 2人で笑う。


 さて、鉱石持ち帰って、また4人で楽しく飲むとしましょうか。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■メモ:物自体

 カントは「人間の中では、意識・概念を共有できる」という考えを示しました。これは更に言えば「人間にとっての真理は見つけることができる」ということです。


 では「人間にとっての」ではなく、「この世界全体の」真理を見つけることは出来ないのでしょうか。カントは「不可能だ」と考え、次のようなことを述べています。


「人は決して、には到達することはできない」


 彼の考えはこうです。どんな物を見ても、どんな事象があっても、私達がそれを受け取るときには、人間固有の「経験の形式」と「理解の形式」を通して変換してしまっています。つまり、変換する前の物、それ自体にはどうやっても辿り着けないということです。



 そしてカントは、このように真理を再定義しました。


「全生物にとって普遍的な真理はない。



 この発想の転換を機に、哲学は「人知を超えた真理を果てしなく探求する」ものではなく、「人間の中で成立する真理を見つける」ものへと舵を切っていくのです。

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