21.戦闘より対話

「なるほど! そういうことなんですね!」

 俺の前を並んで歩くイセクタとアイク。イセクタが満足気に頷く。


 大分奥深くまで来て、熱気はさらに激しさを増した。さっきの酒場で分けてもらった水を大事に飲みながら、ジュナイスがあるという最深部まで坂を下っていく。


「ヒルさん、ボク分かりました! 人間やエルフには独自の認識形式があるから、物自体は見られないってことなんですよ!」

「え、今そこなの!」

 結構前に終わった話だと思ってましたけど!



「ん? それじゃアイクさん。本当の『物』はどこにあるんですか?」


 お、イセクタ鋭い質問だな。確かに、どこかには本体があって、それを俺達が認識してるってことだもんな。


英知えいち界、というところにあると考えてます。僕らはそこにあるものを見ている。といっても、まったく異なる場所にあるわけではありません」

 一足先を歩きながら、説明を続けるアイク。


「よく幽霊は霊界にいるなんて言いますよね? それと一緒です。この同じ地に、いくつかの世界が重なっている」

「へえ、英知界かあ! ヒルさん、どんなところですかね。美味しい果物とかあるかなあ!」

「どんな楽園を想像してるんだお前は」

 だから同じ場所なの!


「ふう、暑くなってきたわね」

 俺達の話にくすくすと笑いながら、レイが白いドレスの後ろのチャックを少しおろした。綺麗な背中が露わになり、生唾を飲む。



 嗚呼、神様。私、今まで子どもでした。胸やお尻や脚にばかり目がいき、背中にこんなに艶っぽさがあるなんて考えもしませんでした。

 なんでしょう、その汗ばんで少し照っている真っ白な肌。膨らみがない分、撫でやすそうに広がった夢を乗せたカンバス。



「イセクタちゃんも、マントとったら? 暑さ少し和らぐかも」

「はい、そうします……」

 そして黄土色のマントを脱ぐ。半袖シャツにショートパンツのおかげで、細い手足が丸見え。


「あの、ヒルさん、何見てるんですか。へ、変ですか?」



 神様、本当に変なのは私、この私なのです。男子でも女子でもないこの目の前のエルフを、性別がないから恋愛対象ではないはずのこのエルフに、「俺がその小さい体を守ってあげたい」という感情を抱くなんて。

 身長差から生み出されるその上目遣いと潤んだ瞳。嗚呼、いっそその無垢な体に剣先を這わせて、一線の血で彩ってしまいたい。



「ヒルギーシュ。ボーっとしてますけど大丈夫ですか」

「ひゃいっ! あ、ああ、大丈夫だ」

「では、さっきイセクタ・ユンデからもらった質問について補足しましょう」


 横を歩きながら話し始める。ふう、危なかった。現実から遠ざかってた。今いたのが英知界かな。


「僕は、英知界にあるのは物それ自体だけではないと考えてます。道徳法則もそこにあるのでは、と」

「道徳、って私達が知ってるあの道徳?」


「そうです、レイグラーフ。道徳もそれ自体を認識できるものではありませんよね? つまりこれも英知界にあるわけです」


 まあ確かに認識でき……ん?


「なあアイク、道徳ってどうやって認識するんだよ。前にお前が話してた、空間的とか時間的に認識するようなものじゃないだろ?」


「ヒルギーシュ、貴方の成長が嬉しいです。貴方が魔法剣士として大成しなくても、哲学者としてやっていけるかもしれません」

「なぜそんなに自然にケンカを売れるんだお前は」

 もはや特技の域だな。


「道徳法則は、視覚的には認識できません。僕達に『こういう風に行動しなさい』と、良心の声として訴えかけてくるわけです」

「そっか、心の声ですね! ボクもやってみます!」


 俺達を「シーッ! 逃げちゃうから!」と制してから耳に手をあてるイセクタ。

 いや、心の声じゃないのかよ。あと何が逃げるんだよ。


「……ホントだ! 聞こえる気がする! なぜ何も危害を加える気が無いものを攻撃するのかって!」

「いいですね、その調子です」


 えええええっ! 何! 何が聞こえたの! ちょっと怖いんですけど!




「お前達、ここから先は俺達が相手だ」


 イセクタの感動を邪魔するように、地面から穴を掘って飛び出してきたモグラのモンスター。そんなに大きくないけど、4匹もいると厄介だな。


「お前ら、手分けして――」

「ちょっと待って下さい、ヒルさん」


 そう言って弓を地面に置くイセクタ。え、弓使いなのに?


「ボク達に必要なものは戦闘ではありません、対話です。ボクの道徳がそう囁いています」

 なんかすごく面倒な話になってきてる!


「いいかい、君達。そっちが攻めてこないなら、ボク達は攻めない」

 そしてモグラに話しかけるイセクタ。続いて、アイクも口を開いた。


「そう、決して貴方達を攻撃する気はないのです」

「であれば、なぜ君達は攻撃してくる必要があるのか」

「不必要に相手に危害を加える必要があるのか。それは道徳として正しいのか」

 2人の穏やかな口調に諭されたかのように、4匹は小さく項垂れた。



「……確かにそうかもしれないな。俺達が間違ってた」

「戦わなければならない、と勝手に決め付けていたかもしれない」

 道徳の勝利! まさかの!



「穴に戻ろう。戦いなど、この場の誰も望んでいない」

「いや、あの、俺戦う気満々だけど――」

「お前達、非礼を許してほしい」

「ううん、また会おうね!」


 そして帰っていくモンスター。もう冒険でも何でもない。



「ヒルさん、ボクの中の道徳法則が、ジュナイスなど採らずに、みんなの身の安全を優先して帰るべきだと語りかけてきます」

「絶対イヤだ!」


 イセクタが道徳症候群から治ったのは、次に襲ってきた溶岩のモンスター、ブレイズロックに対話虚しく殴られてからでした。



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■メモ:道徳法則

 物自体には到達することが出来ない、と考えたカント。ここでポイントとなるのは「到達できない」ということです。


 では、本当の「物自体」というのはどこに存在しているのか。彼はその世界を「英知界」と呼びました。私達の認識能力では英知界の物を見ることは出来ず、人間独自に変換して認識しているわけです。



 そして、この英知界に、物自体と一緒に存在しているのが「道徳法則」です。自然界には自然法則があるように、人間界には従うべき道徳法則がある、というのがカントの説でした。それは決して自分のためだけではなく、皆が普遍的に納得できる行いです。


 この道徳法則も英知界にあるので、それ自体を直接認識することはできませんが、良心の声が「汝、~すべし」と理性に訴えてくることで認識できる、とカントは考えました。

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