19.赤くなんかなってないで

「…………あ?」

「…………は?」

「…………へ?」

 マグマリザードと俺達3人、同時に声が出た。



 信じられない光景を目の当たりにしている。


 俺達に、炎が当たっている。当たっているはず。

 でも熱くない。熱気も熱風すらも感じない。

 ただ俺達の体を通り抜ける炎を、不思議な気持ちで眺めていた。



「なぜだ! なぜ食らっても平気なんだ!」

 叫ぶ敵の声。高音と重なって聞こえるその低音が、お腹に響く。


「君と僕達は種族が違うから、経験や理解の仕方が違う。それを魔法で具現化したんです」

 淡々と、アイクは答えた。


「だから、君の吐く炎と、僕達の見ている炎はもう別物なんです。もう炎も、突進も、僕達人間には当たらない」


 その意味するところはよく分からない。ただ、どうやら敵の攻撃は、俺達には通じなくなっているらしい。


 そして認めよう。こういうときのアイクは、悔しいけどメチャクチャかっこ良く見えるぜ。



「アイ君、すごい……攻撃の全無効化なんて魔術なんてレベルを超えてるわ……」


 憧れに近い、うっとりしたような目でアイクを見るレイ。イセクタも、尊敬の眼差しを向けている。クソッ、俺も負けてられない!



「ここから反撃だなあ!」

 動揺している敵に向かいながら抜刀し、足を目掛けて横に払うように斬る。


「せいっ!」


 スカッ


「…………は?」


 当たらない。というか、素通りしている。



「ヒルギーシュ。『ア・プリオリ』を使っているときは、僕達の攻撃も当たりませんよ」

「え、じゃあ意味なくない!」

 一方的に攻撃できるんじゃないんだ!


「なんで! なんでそういう仕組みなの!」

「はい、僕達と敵は種族が違うから、経験や理解の仕方が――」

「ホントに理由聞いたわけじゃなくてさ!」

 ビックリして思わずツッコんじゃったわけ!



「アイク、前に『イデア』って哲学魔法あったろ。あれならこっちの攻撃は当たるんだよな?」

「当たります。あの魔法は使った本人にしか効かないので、ヒルギーシュは黒焦げになりますけど、それでもいいですかね?」

「よくないです」

 バカにしてんのかお前は。


「それに、僕の考え方も日々変わってますから、もうイデアの頃の思想には戻れません。イデアなんて言ってる時代もあったなあと」

「そんな昔じゃないけどな」


 俺が律儀にツッコミを入れていると、イセクタが「あの……」と割って入った。


「アイクさん、結局どう倒せば……?」

「僕が『ア・プリオリ』をやめればお互い攻撃し合えるようになります」

「でも、今の私達には勝てそうにもないけど……」

 イセクタとレイで顔を見合わせ、大きく頷く。


「よし、ヒル君。回復して逃げましょ!」

「やっぱり!」


 こうして、マグマリザードがかすりもしない炎を吐き続ける中でゆっくりと回復をし、その場を去るという不思議な逃亡劇が展開されました。






「あ、見てくださいヒルさん、簡易酒場です」

 鉱石ジュナイスを求めて再び歩き出すと、イセクタが少し先を指差した。


 窪んだ場所にあるキッチンらしき簡素な建物。周りに置かれた椅子には、俺達のようにジュナイスを採りに来た幾つかのパーティーが座っている。


「酒場? こんなところに?」

 レイが首を傾げる。そうそう、宿泊所なら分かるけど。


「暑いからですかね」

「あ、イセクタちゃんの言う通りかも。ここで飲むの美味しそうだもんね!」

「やっぱり! レイさんもそう思います?」

 女子2人、否、女子1人と性別無し1人でキャピキャピとはしゃぐ。


「あのな、こんな早くから飲まなくても――」

「え、ヒルさん行かないんですか? 多分こういう場所でやってるから、グラスもビールもキンキンに冷やしてると思いますけど」

「行かないとは言ってない」

 まあ冒険はいつでもできるけど、飲むのはこの場所でしかできないしね!




「……くうーっ! 冷たい! ビール! ね! もう! ね! 最高!」

 言語力を低下させて、何度目か分からない幸せを噛み締める。


「経験の仕方と理解の仕方、かあ」

 グラスを頬につけて、考えるように視線を斜め上に向けるレイ。


「ええ。経験の仕方については、物を空間的、そして時間的に認識している。これは人間に限っては共通です。もちろん、エルフもですが」

「やった、ボクも仲間だ! それでそれでアイクさん、理解の仕方っていうのは?」


「色んなパターンがあると思いますが、分かりやすいのは、起こった事象に対して、原因を探る能力がある、ということです。例えばこんな感じです」


 そう言って、座ったまま体重を後ろにかけていく。


 ガターンッ!


「……はい?」

「アイクさん!」


 そのまま激しく椅子から転げ落ちた。ざわつく周りの席。


「ほら、僕は転んだ原因を考えた結果、体重のかけ方を間違えていた。周りの人は今、僕がなぜあんな大きな音を出したのか、原因を考えている」

「もっと迷惑かけない方法で教えてくれよ!」

 言葉でいけたんじゃないでしょうか!



「みんな楽しそうね」

 ニコニコと俺達のやりとりを見ているレイ。


 おおっ、酔って赤ら顔の美人ってビール以上に最高ですね! これ以上お酒が進むとどうなるんですか! 怒る、泣く、それとも乱れる! どれも見てみたいかも!



「ふふっ、あーあ……私の幸せはどこにいったのかしらね、ホント」

 笑顔と口調はいつものままで、何かがいつもと違う人。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■メモ:ア・プリオリ

「意識や概念が全て経験から作り出したものであれば、なぜ異なる経験をしている人同士がお互いの意識・概念を理解できるのか」という問いに対するカントの答え。それは「人間には生まれつき、共通する『経験の仕方』と『理解の仕方』が備わっているからだ」というものでした。このように、経験知に先駆けて先天的に備わっていることをア・プリオリと呼びます。



 まず、経験の仕方。これは「感性の形式」と呼ばれています。人間は何かを認識するときに、必ず「空間的」「時間的」にそれを認識している。どこの空間も占めていない物、過去・現在・未来どの時間にも存在しない物を我々は認識できません。


 そして、理解の仕方。これは「悟性ごせいのカテゴリー」と呼ばれています。彼に拠ると、人間に共通の考え方は12通りあり、その中の一例が「原因と結果」。人間は何かが起きたときに、必ずその原因を探るというものです。



 私達は人間なので、他の生物もそうであるかは不明です。虫であれば原因を探らないかもしれませんし、空間も時間も関係なしに物事を認識できる地球外生命体がいるかもしれません。


 そのためカントは「経験の仕方と理解の仕方が一緒なので、“人間の中では”意識・概念を共有できる」と結論付けたのです。

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