34.同じ所を回って追われて

「あー疲れたー!」

 長期滞在している宿屋。さっき身を投げたベッドに再びドサッと身を投げる。


「ったく、心がもたないっての」

 なんか精神的にどっと疲れたぜ。


「買ってきたウイスキーでも飲むか……」

 瓶どこに置いたかなあ、なんて考えていると、ノックの音が響いた。


「はーい。ん、どしたんだ?」

 ドアの前には、酒瓶を持ったレイが立ちながら揺れていた。

「ふふっ、ちょっと遊びに来たのよ」

「……レイ、お前酔ってるな」

 頷く代わりに、くにゃっと体を曲げる。


「へへ、ちょっとね。買ったお酒、空けちゃった」

「全部かよ」


 結構買ってただろ。大丈夫かよ、また闇モードなんじゃないだろうな。


「心配しないで、楽しいお酒よ。でも、一人じゃ寂しいからさ。ちょっとお話ししにきたの」

「へ? あ、うん、いいですけど……」

 動揺して、いきなり敬語になってしまった。


 レイが? 俺の部屋に来る? 何、夢なの? ならこのまま現実に引き返せなくても後悔ないですけど?




「ふう、今回のクエスト、大変だったわね。私も、相手の動きを封じるような魔法覚えなきゃ」

「そう……だな」


 ベッドに腰掛けながら、レイは天井を見た。

 金色の髪、薄い水色の半袖ワンピース、凛々しくも優しい目、ピンクでほどよく厚みのある唇。その全てが、綺麗で艶っぽい。


 俺は緊張をほぐすために一気にウィスキー瓶を仰ぐ。

 カーッと沸騰したその頭で、冗談の体でレイの心を探ってみた。


「へへっ、夜に男の部屋入るなら、何かあったときように動き封じは覚えておいた方がいいぜ」

「ふふっ、大丈夫よ。少なくともヒル君は『伏せ!』って言えば伏せるでしょ」

「なんだよ、バレてんのか」


 2人で笑った。全然その気がなくて、ガッカリしたようなホッとしたような。



 そして、唐突に来る、彼女からの問いかけ。


「…………ヒル君、怖くなかった?」

 強がることもできたけど、レイ相手に強がる必要もない。


「…………怖かったよ。ああ、俺は死ぬんだなあと思った。あの嘴にやられてさ」

 椅子に座って、ベッドで少し眠そうにしている彼女を見る。


「最後まで抵抗するとか、刺し違えても一撃食らわせてやるとか、そんなカッコいい感じじゃなかったよ。ただただ、死にたくない、何で俺が、ってそれだけだ。パーティーのリーダーがこんな体たらくなんて、我ながら笑えるぜ」



 ニコニコしながら聞いていた彼女が、その表情のまま口を開いた。


「ふふっ、大変なこと多いわよね……人生ってみんなそうなのよ。だから、生まれながら楽できてる人を見ると憎らしくなるわ」

「闇モードになってるじゃん!」

 え、ここで! 割と正直に打ち明けてたのに!



「ふふっ、金持ちの家の子とかさ、本当は『人生ちょっとだけ失敗して挫折を味わってほしいな』って思ってるわ。私だけ結婚のアテもない挫折続きなんて不公平すぎるもの、うふふっ」

「……よし、レイ、夕飯食べるか」

 廊下まで連れ出してすぐ、彼女の首の後ろにチョップが飛んだ。




***




「明日キサンカイコを換金したら、また次のクエスト申し込もうな」

「そうですね、また冒険したいです!」


 1階の食堂で、少し無理を言って作ったもらった遅めの夕飯。ジャガイモの熱に溶けたバターを絡めながら、イセクタが嬉しそうに返事する。


「じゃあ私も今日たくさん食べてしっかり寝て、また気合い入れないと」

 何事もなかったかのようなレイ。多分俺の部屋に来たことも忘れてるな……。


「冒険ってのは日々前進だからなあ。哲学もそうだろ?」

 ジッと皿を見て考え込んでいるアイクに目を遣ると、「まさにその通りです」と答えた。


「そうなんです、全然違うんです」

「違うのかよ!」

 考え事してるときに適当な相槌打つのやめろ!


「いいですか、世界や歴史というものは前進しているのではありません。同じところをグルグル回っているのです」

「……は?」

 その意味を図りかねていると、アイクは俺の腰を指差す。


「例えば、ヒルギーシュのその剣を地面に倒すとしましょう。何千回、何万回と倒せば、全く同じ向きで倒れることが何回かありますよね」

「まあ、そうだな」


 カツンカツンとジャガイモをスプーンで切るアイク。白い髪が皿に落ちてしまい、器用に柄の部分で取った。


「この世界も考え方は同じなんです。世界は幾つかの原子が組み合わさって出来ていますが、時間が無限に流れるとしたら……」

「この世界と全く同じ世界がいつか現れる……?」

 レイの返事に、彼は小さくニッと笑った。



「世界は進歩するのではなく、同じところをグルグル回っている」

「グルグルかあ。なんか夢のない話だなあ」

「アンタ達、パンのお替りいるかい?」


 この宿を切り盛りしてるおばちゃんが俺の後ろに立って、パンの入ったカゴとトングを持ちながらぶっきらぼうに聞いた。

 性格が滲み出ているように人相が悪いけど、長期滞在してることもあって、問題を起こさないよううまくやっている。


「あ、いえ、大丈夫です」

「フン、そうかい」

 コーヒーに口をつけながら返事する俺を、手招きのような仕草で呼ぶアイク。


「回るだけ、というのをどう解釈するかはヒルギーシュ、貴方次第です。さっき説明した遠近法主義パースペクティヴィズムですね。例えばこのおばさんを美人と解釈しても何の問題もないわけですから」

「ぶほっ!」

 突然の火種にコーヒーを噴き出す。


「ちょ、ちょっとアイ君!」

「いや、分かりますよレイグラーフ。美人じゃないという意見は当然あると思います。でもね、それは解釈の問題なんです。彼女を美人とみなす解釈も……」


 後ろでトングがカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチと鳴っている。


 おそるおそる振り向くと、おばちゃんがさらに人相を悪化させ、憤怒の表情で立っていた。


「…………ねえ、その、ねえ、コイツ悪気はないからさ……へへへ」

 とりあえずニッコリ。おばちゃんもニッコリ。


「…………ねえ、とりあえず、今日だけは罰として他の宿に泊まってもらおうかねえ、ウフフ」


 荷物とともに即刻追い出されました。横暴です。





「バカアイク! お前のせいで追いだされたじゃねえか!」

「いや、これも解釈の問題です。あの人が理由もなく怒って、僕たちが自ら出ていった、という解釈もあります」

「そんな解釈はねえよ!」

 レイのあの無表情を見ろ!


「仕方ない、宿探すか……アイク、渡してた地図よこせ」

「ダメです、使ってます。裏面に未来に関する考え方を書いてまとめているので」

「メモ用紙にするな!」

 もっと近い未来を心配してくれ!




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■メモ:永劫回帰えいごうかいき

 サイコロを幾つか投げる行為を数百回・数千回繰り返せば、同じ目・同じ配置になることもあるでしょう。更に幾度となく繰り返せば、何度も同じ目・同じ配置になるはずです。

 世界も全く同じであると、ニーチェは考えました。


 時間が無限に流れる中で、全く同じ原子の組み合わせで成り立つ宇宙は何度も誕生する。そうであれば、時間というのは何かの目的に向かって進歩・前進しているのではなく、同じところをグルグル回る円環運動の中で変化するのみではないか、ということです。


 この考え方を永劫回帰と呼びます。

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