31.作り出す善と悪

「ふう、結構急だな……」

 息を切らしつつ崖に続く山道を登りながら、顎に流れてきた汗を拭った。


「西や北の方にも船着場があれば楽なのよね」

「潮の関係で難しいらしいからな」



 遠くに見えた崖の麓に近づくまで、更に1日がかり。漸く山の中腹を過ぎた。

 このまま進めば、今日の日が落ちる前にはカイコを捕まえられそうだ。



「おわっ、キングファンジャイ」

 食べたら間違いなく食あたりしそうな色をした、キノコのモンスター。

 まだこちらに気付いてないようだけど、キノコが歩いてるというだけでちょっと不気味ではある。


「ヒルさん、手伝いましょうか?」

「いや、1人で十分だ……なっ!」


 イセクタへの返事を合図に、突撃。

 キングファンジャイがこちらに視線を向けた時にはもう遅い。

 左手で剣を持ちながら、右手を敵に翳す。


「動かないでいてもらうぜ!」


 呪文を唱え、四方から強風を呼ぶ。さながら風圧の壁に邪魔されて、キノコはこちらへ攻めてくることも、向こうに逃げることもできない。


「りゃあっ!」

 薙ぎ払う直前に風を止め、無防備な敵の胴をスパンッと横に切り裂いた。


「ヒル君、相当強くなったわね」

 レイに褒められ、後頭部を掻きながら心は有頂天。


「まあな。もう大抵の敵はなんとかなりそうだな」

 隣を見ると、アイクが「それは頼もしいです」と深く頷いていた。


「これで私の槍攻撃もお役御免ですね」

「お前の槍がお役に立ったケースがほとんどない」

 その肩の荷が下りたような表情を今すぐやめなさい。





「よし、てっぺんに来たぞー!」

「やったー!」

 登山で頂上に来たときのように、歓喜の声が溢れる。



 ほぼ一面が土の切り立った崖、ところどころで草が日に向けて背伸びしている。

 恐る恐る崖の端まで行くと、眼下に広がるのは歩き疲れが吹っ飛ぶような絶景。

 染料では出せない青さの海と、ベッドにして横になりたいような生い茂る森林。



「良い眺めだなあ、アイク。なんか叫びたくなるぜ」

「ア・プリオリ、とかですか?」

「もっと語感のいいやつ!」

 言葉選びのセンスが無さすぎる。



「ヒル君、カイコいたわよ!」

「ホントか!」

 レイのもとへ走ると、そこには草に群がって葉を食べているキサンカイコがいた。

 赤・緑・青・黄・オレンジ……様々な色に親指の半分くらいの大きさで、ちょっとした子どものおもちゃのようでもある。


「よし、生きたまま捕まえるぞ」

 食料の葉っぱと一緒に、持ってきたカゴに入れる。カラフルなので、捕まえるのも楽しい。レイやイセクタが気持ち悪がらずにやれるのも分かるなあ。


「ここから戻るのが大変だなあ」

「まあ帰りは下りだから、行きより楽よ、きっと」


 仲良くレイと話していた、その時。




 目の前の葉を這うキサンカイコが、真っ暗になった。

 カイコだけじゃない。俺の視界全てが、黒く染まる。


 目は開いたまま。視力がおかしくなったわけじゃない。

 そしてすぐに気付く。その暗闇は、影。


「ヒルさん!」

 イセクタに呼ばれるのとほぼ同時に、頭上を見上げる。


 徐々に大きくなる影と、耳を侵食する羽の音。そして、砂塵を高く巻き上げる、それ自体が攻撃であるかのような風。


「怪鳥……レイピア……!」

「…………そりゃ難易度高いわけだぜ」



 全身黄色、見上げるほどの巨大な鳥が目の前に降り立つのを見ながら、イセクタの呟いた名前を頭の中で繰り返す。


 片手剣を意味する名の通り、突き刺すことに特化した嘴。細い目がギョロッと動き、俺達を捉えた。



「久しぶりの人間だなあ。戦うのが楽しみだ」

「なるほど、大分好戦的なんだな」

 イセクタに合図をしてから、鋼の剣を抜く。


「こっちから行かせてもらうぞ!」

 俺の影から、イセクタが弓を構える。飛んで避けようとしたところで、すかさず魔法を唱えた。


「上に逃がすかよ!」

 地面から草木のように氷が伸び、レイピアの足を完全に固定した。


「ぬうううっ!」

「食らえっ!」

 そこにイセクタが連続で矢を放つ。5本、6本と体に刺さり、血が体毛を赤く染めた。


「下が冷たいなら、上は熱い方がいいだろ!」

 続いて、人間大の炎の玉を上空に出し、落下の勢いをつけてレイピアに落とす。


「ギャアアアアアアッ!」

 頭上から顔、顔から体と燃え広がり、黒煙を出して全身が焼かれる。


「最後は……」

 手を翳して、自分の前方に上向きの風を起こす。

 剣を構えながらその風に飛び込み、相手の顔の高さまで宙を舞った。



「だりゃ!」

「ぐおおおおおっ!」

 振りかぶってからの、目への一撃。これで左目の視力は奪ったはずだ。


「ヒル君、すごい!」

 レイの声援が後ろの下から聞こえる。くうう、魔法剣士やってて良かった!


「どうした、さっきから悲鳴しかあげてな――」


 右目がこちらに向き、楽しそうに笑った。



「なかなかやるねえ。仕方ない、右目だけで戦わせてもらうよ」

 名の通り、レイピアのような嘴の突きが、ギュンと風を裂いて迫る。


「くっ……!」

 なんとか空中で体を捻り、貫通は避けたものの、脇腹を思いっきり切られた。


 そして、この避け方は正に、敵の狙い通り。


「無防備だなあ!」


 ヒュンッ!


「ぐふうっ!」

 嘴を横に払われ、そのまま地面に叩きつけられる。


「ヒルさん!」

「ヒル君!」

 全身に激痛が走る。打撲の痛みが激しすぎて、骨が折れてるかどうかも分からない。



「ヒルギーシュ、大丈夫ですか」

「へへ……正直ハイとは言い難いな」


 一撃で大ダメージ。幸い武器や防具は壊れてないものの、体の方は走ることもままならなそうだった。



「回復までは数日かかりそうだなあ……目をやられたのは久しぶりだ。でもまあ、オレもそれなりに強いんだぜ」


 首を横に向け、生きている右目で俺達4人を見る。


「オレ達はいつもこの島で食う食われるの生活してるからな。生き残るためには強くなるしかないのさ。お前ら人間とは考え方が違う」

「考え方……?」

 俺が聞き返すと、やれやれ、というようにかぶりを振る。



「色んな人間が俺達に戦いを挑んでくる。でも、何人か殺すと叫びだすんだ。『いつか罰が当たる』『汚い戦い方だ』、挙句には『私達の方が心は清らかだ』なんて一方的に決め付けられて、悪者扱いだ。冗談じゃない、こっちは生きるために戦ってんだ」

 両翼を広げる怪鳥。倒れた姿勢からだと、さっきより巨躯に見える。



「弱いやつらが自分達を善にして、オレ達を悪にして、こっちを引き摺り下ろそうとしてるのさ。ったく、変な道徳みたいなものがはびこっていやがる」


「いうなれば奴隷道徳、か」

 アイクが呟くと、レイピアは満足そうに笑った。


「分かってくれるヤツがいるとは嬉しいねえ。お前が一番弱そうだけど、殺すのは最後にしてやろう。最初は……」


 嬉しそうにすら見える表情で俺の顔を覗いた後、開いた嘴を勢いよく閉じた。


 カキイィィンと、金属音のような音が崖の上に響き渡る。




 その瞬間、頭を一瞬よぎったのは、「死」だった。




 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■メモ:奴隷道徳

 自然界の生物は、強いもの、環境に適応したものが生き残るという自然淘汰の形で進化を遂げてきました。チーターが足の遅い草食動物を食べ、同じ種族同士でも縄張り争いをする。そこには強い・弱いという概念はありますが、善悪の概念はありません。


 ところが、人間においては往々にして、美貌や才能や金運に恵まれた人が悪、恵まれていない人が善、という道徳・価値観が見られます。これはなぜでしょうか?



 ニーチェは、鍵は弱者の目線にあると考えました。貧しい人、体が弱い人達が集まり、恵まれた人達に対抗するために「貧しい人は正直者」「お金持ちは欲深くて卑劣」といった善悪観念を作り上げて道徳化したのだ、ということです。


 ニーチェは、弱者により意図的に作り出されたこの思想を「奴隷道徳」と呼びました。

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