6.思い込みって危険です

「今日中にはキノサイトを採って帰りたいわね」

「ああ。食事処のお兄ちゃんの話じゃ、そんな遠くないらしいぞ」


 初めてのクエスト達成に向けて、冒険を再開する。俺が先頭で列を組み、草原を意気揚々と歩いた。


「ヒルさん、キノサイトって何に使えるんですか?」

「なんだイセクタ、知らないのかよ。多いのは建材だな。壁や橋に使うと、丈夫なものが出来るらしい」


「そうなんですね。てっきり指で弾いて当てて遊ぶものだと思ってました」

「ねえ、それならキノサイトじゃなくてもよくない?」

 適当な石拾えばよくない?



「あ、みんな気をつけて。多分そろそろモンスターが出るエリアに――」

 レイの言葉を遮るように、巨大なハチ、グランビーが飛び出してきた。

「チッ、イセクタ! こいつ毒持ってるかもしれないから注意しろよ!」


 毒にやられるとマズい。高価なアイテムじゃないと解毒出来ないしな……。

 手を前にかざし、急いで雷の魔法を詠唱する。


「食らえっ!」

 が、動きが読めないジグザグな飛行。なかなか落雷させることができない。

「すばしっこいな……」


 と、横でジッとグランビーの動きを見ていたイセクタが、閃いたように「あっ」と声をあげる。

「ヒルさん、コイツ、大丈夫ですよ」

「は? おい、イセクタ!」


 黄土色のマントをなびかせて前進する。そして素早い足捌きで敵の動きに追いつき、持っていた短剣で羽を切った。


「よしっ」


 そのまま地面に落ちたグランビーにとどめの一撃を加える。

 戻ってきたイセクタに、俺とレイで駆け寄った。


「イセクタちゃん、大丈夫だった?」

「危ないだろ、毒針に刺されたらどうするんだよ」

「へへ。レイさん、ヒルさん、大丈夫ですよ。コイツ毒無いんです」

 鼻をこすって笑う。


「グランビーって、コイツみたいに角があるのが雄なんですけど、雄は毒針がないんです」

「へえ、そうなのか。おい、アイク、お前も覚えておけよ」

「ええ、今ので分かりましたよ。人間が善く生きるにはどうすればいいか」

「そんな話はしてねえよ!」

 なんでいちいち哲学そっちに結び付けるんだ!



「いいですか。ヒルギーシュはあのグランビーを見て恐れた。それは見た瞬間に『毒を持っている』と考えたからです」

 俺達の周りをグルグル回りながら話を続けるアイク。


「一方で、イセクタ・ユンデは怖がらなかった。知識を持っていて、毒を持っていない雄だと判別できたからです。つまり、この2人の差は知識の差なのです」

「……まあ、そうだな」


「言い換えれば、バカと利口ですね」

「言い換える必要ありましたかね!」

 なぜ恥を上塗りする!


「五感から来る情報をそのまま鵜呑みにしてしまう、この思い込みは『ドクサ』と呼ばれるものです。これではいけない。思い込みに惑わされてしまいます」

「確かに、冒険で思い込みって危険よね、アイ君。実際はもっと危険だったり、もっと簡単だったり」

 レイの相槌に、アイクはコクコクと頷く。


「ではどうすれば良いか。どうすれば『ドクサ』に惑わされずに善く生きられるか。それは、理性によってきちんと得た知識、『エピステーメー』を使って判断することです。情報を鵜呑みにせず、きちんと知識を通じて理解する」


 利口と褒められたからか熱心に聞いていたイセクタが、深く頷いた。


「なるほど、アイクさん、今のとっても大事ですね。例えば胸に針が刺さっていて、そこから血が出ていたとしても、敵の攻撃かどうかきちんと判断する」

「それは攻撃でしょ! 判断以前の問題でしょ!」

「いや、でもヒルさん、自分で刺した可能性もありますから」

「じゃあ考える必要ないじゃん!」

 そもそも善く生きてないじゃん!



「知識で思い込みを排除すれば怖くない。うん、これですね」


 納得したように微かに笑みを浮かべるアイクの前に、2足歩行のワニ、フレイムゲーターが現れた。

 今まで戦ったヤツより少し大きく、背も俺より頭3つ分くらい高い。


「なんだお前ら。俺の火炎を食らいに来たの、かっ!」

 ゲヘヘヘと笑っていきなり攻撃を仕掛ける敵。自分の体格以上のリーチのある炎が、赤くゴウッと燃えていた。


「いいですか、ヒルギーシュ。これもエピステーメー、つまり知識によって理解すれば恐れることはありません」

 言いながら、ゆっくりとその炎に近づく。白い髪に炎の色が反射した。


「なるほど。具体的な燃料は分かりませんね。例えばロウソクならパラフィンが使われているわけですが。ただ、いずれにせよ炭素と水素の化合物が燃料であることは、僕の知識から間違いありません」

「いや、おい、アイク、待てって」


 また2歩、3歩と進む。そして。


「ここまでは分かれば怖くな――」


 ゴオオオオオオオオオッ!


「アチチチチチッ! アチチッ! 熱い! 熱い!」

「そりゃそうだろうよ!」

 火が危険って知識を先に取り込んでくれよ!


「残念です、炎を無効化できればいいのに……」

「イデア! イデアの魔法は!」

「ああ、その手がありましたね。記憶の彼方でした」

「昨日使ったばっかじゃん!」

 この人戦闘に向いてません!




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■メモ:プラトンへのバトンと、ドクサ・エピステーメー

 ここで、ソクラテスの死とその弟子であるプラトンへのバトンタッチを見ていきましょう。


 ソクラテスは、問答法(https://kakuyomu.jp/works/1177354054884296205/episodes/1177354054884542158)により政治家をコテンパンにしたことで彼らに疎まれ、「若者を堕落させた」という罪で死刑を科されます。


 執行にはかなりの猶予があり、弟子達はソクラテスに逃亡を勧めましたが、彼は拒みました。それは彼が、真理を探究するために問答法を使って、皆に「何も知らないからこそ、真実を知ろう」と広めたことを、死刑が迫っているからといって撤回したくなかったからです。


 自分が善だと思ったことを覆したくない、という想いでソクラテスは毒杯を仰ぎ、その姿を見て弟子達は強い衝撃を受けました。「」と、改めて認識したのです。その弟子の1人が、イデア論(https://kakuyomu.jp/works/1177354054884296205/episodes/1177354054884550767)を唱えたプラトンでした。



 さて、ソクラテスは、善悪を「知」によって判断することによって善く生きることができる、と考えていましたが、プラトンはそれをもう少し具体的に掘り下げています。


 五感から入ってきた情報をそのまま捉えてしまう思い込みを、彼は「ドクサ」と名付けます。そして、善く生きるためには、ドクサに惑わされるのではなく、理性によって得られた知識「エピステーメー」によって五感の情報をきちんと理解することが必要である、と考えたのでした。

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