38.蘇る恐怖、訪れた迷い
「な、なんだコイツは!」
ソードラクーンが焦ったような声で叫ぶ。
「ただの植物のはずなのに、なんで動く! なんで僕を狙うんだ!」
その声に呼応するように、食鳥植物は開かれた花の中心から消化液を飛ばす。
「シャアアアア!」
その光景を見て、俺もレイもイセクタも、同じくらい驚いている。
そう、間違いなくコイツは、さっきまでただの草だった。
今は、まるでモンスターのよう。
「アイクさん、これは……?」
「相手が『存在している』と理解できるのが、
「ってことは、アイクさんのあの魔法は、花を人間に……?」
イセクタの問いに、やんわりと首を振った。
「人間と同じような存在にする、っていうことですね。ソードラクーンの『存在』を認識して、敵であることを僕から聞いて、今攻撃を仕掛けてる」
事も無げに言うアイク。
いやいや、そんな魔法は賢者クラスの魔導士も使えないぞ。
哲学魔法、どこまで可能性が広がるんだ……。
「シャアアアアアッ!」
「ぐっ……!」
消化液を吐きかけた後、避ける敵の体に蔓を巻きつける。
煙をあげて腕の一部を溶かしつつも、ラクーンは大剣でその蔓を切る。
さっきのように風を巻き起こすスピードで花の真ん前に移動して、ザシュッと斬り落とした。
速かった。その動きは本当に速かった。
通り過ぎたもう一つの花に気付かないほどに。
「キシャアアアアアッ!」
「しまっ――」
それは、アイクが知らないうちに仕掛けていたもう一つの
斬った一本より遥かに大きなその花弁を、口を開けるかのように開き、ソードラクーンを丸呑みした。
「ふう。危なかったですね、ヒルギーシュ」
「あ、ああ。ありがとな……」
動揺を隠して、一緒にまた歩き出す。
「レイ、力上げてくれたの、助かった。あれがなかったら押し切られてたよ」
「ううん、最近習得したの。覚えておいて良かったわ」
「ヒルさんもああいう大剣持ったらどうですか?」
「振り回せる自信ないなあ」
「高いところから落とせば結構なダメージになりますよ!」
「うん、もう少し俺を剣士でいさせてくれ」
いつものようにツッコミながらしかし、頭の中にはさっきのラクーンの剣が、あのレイピアの嘴が、恐怖とともに棲みついて離れない。
俺もいつか、モンスターに倒される。その未来図が俺の顔を強張らせた。
***
「そろそろ休まないとね」
「確か簡易宿泊所が近くにあるはずですよ、レイさん」
日も沈み、辺りに暗闇が降り注いでいる。
モンスターを倒しつつ漸く森を抜け、砕けた岩が散らばっている坂を上り始めた、そのとき。
後ろを歩いていたアイクが、声をかけてきた。
「ヒルギーシュ、大丈夫ですか?」
「…………ん?」
「少し、何かに怯えているようですが」
「……ははっ、だな」
さすが哲学者。その目は全てお見通しかと思うと、思わず笑ってしまった。
「あそこで話すよ」
少し先に見えた簡易宿泊所を指差しながら、どこから話すかを考え始めた。
***
「もともと冒険がしたかったんだ。剣もカッコいいし、魔法もカッコいいし、習ってみたらどっちもそれなりに出来た」
他に客がいない宿泊所、大きな部屋を使わせてもらう。4つのベッドにそれぞれが腰掛けたところで、ゆっくり話し始めた。
「だから、魔法剣士になって、クエストたくさんクリアして、それで人気者になって女子にモテれば幸せだと思ってた。でも、レイピアと戦ったときにはっきり分かった。俺は、この仕事で死ぬかもしれないってことを全然考えてなかったんだ」
レイもイセクタもアイクも、黙って頷いてくれる。
「バカだよな、きっといつも死と隣合わせだったのに、その怖さを理解しようとしなかった。今は戦うたびに怖くて、ソードラクーンと戦ってるときも思い出したりして、この仕事に向いてないのかなあと思うよ」
死ぬかもしれないということ。いつ死んでもおかしくないということ。
それが改めて分かった今、そしてその事実に怯えてる今。
正直、これまでと同じように冒険を進められる自信はなかった。
「悪いな、レイもイセクタもアイクも、幻滅させたと思う。でも、これが俺の正直な気持ちだ」
「……なるほど」
ずっと黙って聞いていたアイクが、納得したように頷く。
全部話したからか、少し気が晴れた。
うん、何か一言でも貰えれば、それでもう十分だ。
「そうですよね。人間は死からは逃れられない、そういう存在である。僕は最近そのことを理解しました」
「…………は?」
「そこから目を背けず、自らが『死への存在』であることを理解したとき、初めて自分の使命を理解できるのです」
「え、哲学の話!」
少しくらい慰めてもらえると思ってましたけど!
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■メモ:死への存在
人間だけが存在を認識できる、と結論付けたハイデガーは、「存在について知るためには、まずは人間を知るべきだ」という説を展開します。
彼はこうした内容を、かの有名な「存在と時間」という著書にまとめましたが、残念ながらこの本は未完であり、上下巻のうちの上巻だけで終わってしまっています。上巻は「人間とは一体何か」という分析を深く進めており、存在論というより人間論に近い内容になっているとも言われています。
さて、その人間論とは一体どのようなものなのでしょうか。そのキーワードの一つが、「存在」の対極にも思える「死」なのです。
どんな人間も「死」から逃れることはできません。そしてまた、人間だけが自分に死が訪れることを知っています。それはどても恐怖に満ちたことですが、私達は日々の勉強や仕事、遊びや家庭に気を取られ、死の不安から目を背けています。
しかし、そこから目を背けず、自らが「死への存在」であることに向き合ったとき、人は自分の使命を理解し、その使命に向かって突き進む決意をすることができる、とハイデガーは考えたのでした。
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