37.吼える花弁

「こっちの森はすごいな」

「ベルシカの中でも、こんなに違うのね」


 離れ小島のある東端に向かい、ベルシカ半島を歩く。葉が擦れる音がうるさいほど鬱蒼とした森の中を歩くと、クロン王国はおろか、この半島でも見たことがないような鳥や植物をたくさん見かけた。


「わっ、ヒルさん、見てください! 食鳥植物です!」

「うお、デカい!」


 木かと思うほど背丈の高い茎に、口のような形状のとてつもなく大きな花弁。フラフラとその花弁を動かして、飛んでる鳥をバクンと捕まえた。

 捕まった鳥もまた、赤と青の2色の体毛を持つ、初めて見る種類。



「色んな動物が生きてるのね……生命の神秘、って感じ」

「だな」

「そうなんだよなあ……人間と動物で、何か決定的な認識の違いがあるはずなんだけど……」

「うん、感動しちゃいますね、レイさん!」


 1人だけ別なことを考えてたヤツがいるみたいだけど、気のせいということにしておこう。



「アイ君、人間と動物って言ってるけど、イセクタちゃんやモンスターはどっちに入るの?」

 綺麗に光る石を拾いながら、レイが尋ねる。ですよね、やっぱり気のせいじゃないですよね。


「どっちも人間側です。だから僕の話しているのは生物としての特徴とかではないんです。どぢらかというと知能の問題なのか……」


 返事はいつの間にか独り言に戻ってしまい、またブツブツの呟き始めた。ううん、よくそんなに飽きずに考えられるな。




「お、人間がいるぞ」

「本当だ、この森に来るなんて珍しい」


 後ろの声に振り向くと、でぶんとした2匹のタヌキが、二足歩行でゆっくり歩いてきた。


 俺達と同じくらいの身長であるものの、その手には俺達をまとめて斬れそうなほどの大剣を持っている。



「ソードラクーン……動きは鈍そうですけどリーチが厄介ですね」

 イセクタが弓を構えようとしたその時、フォンッと風を撫でる音が聞こえる。


「…………え?」

 目の前に、剣を振り上げたラクーンがいた。


「イセクタちゃん!」


 ブウンッ!


「うわっ!」

 身の軽さに救われ、思いっきり横に跳んですんでのところで避ける。


「あんまり僕達をナメない方がいいよ」

 軽々と片手で剣を振るソードラクーン。


「……太ってるからって油断は禁物だな」

「ですね」


 と、俺達とラクーンの間にアイクが割って入る。


「おい、アイク、どうし――」

「君達、僕達が存在するって、ちゃんと分かるんですか?」


 これは……哲学魔法……!


「は? そりゃそうだろ?」

「なるほど、ありがとうございます」

「…………え! 終わり!」

 ただ質問しただけ!


「あ、どうぞ、戦闘続けてください」

「どんだけ他人事だよ!」

 パーティーはチームプレイなんですけど!



「仕方ねえ、行くぞ!」

 手を翳して、ラクーンの上空に炎の渦を作り出す。


「食らえ!」

 渦は蛇のようにうねりながら敵を囲み、全身を焼いた。

「ぐおおおおおおっ!」


「イセクタ!」

「任せてください!」

 2本の矢が射出できる弓。角度を変えて同時に放ち、1本は敵の胸深くに刺さった。


「ぐうう……」

 心臓まで達したのか、そのままドサッと倒れる。


「よしっ!」

 ガッツポーズをした直後に気付く。もう1匹が手で矢を掴んでいることに。


「コイツの恨み……僕が晴らす!」

 そしてまた、風の音。目では追えない速さで、俺の前まで来ていた。


「おおうっ!」

「がっ!」


 その一撃を、刀で受け止めた。だが、敵の力と大剣の重さで、どんどん上から押し込まれている。

 遅かれ早かれ、このままでは俺が倒され、刃の餌食になることは目に見えていた。



「ヒル君!」

 すかさずレイグラーフが、魔法で俺の力を上げてくれる。

 ググッと押し返し、鍔迫り合いの状態に。


「恨みは……こんなものじゃない!」

 信じられない勢いでドンッと突き飛ばすように押すラクーン。


「クソッ……馬鹿力め……」

 体勢を崩したところで大剣を水平に振り、俺の左足に鮮やかなほどの傷を残した。


「ぐああっ……!」

「ヒルさん!」


 敵は、横に払った剣をそのまま上に持っていって振り被る。



 瞬間、戦いに没頭していたはずの俺の頭に、あの恐怖が蘇った。

 消そうと思っても消えない、死の予感。




 そしてその予感を破ったのは、後ろの哲学者だった。


「そうか……自分自身や相手を『存在している』と理解できるのが、僕達の特徴なんだ」

 アイクがゆっくりと俺達から離れ、食鳥植物の方に向かって歩く。


「…………あ? なんだお前?」

「動植物にとっては、他のものはただの刺激でしかない。逆に言えば、相手を『存在している』と認識できれば、そいつは人間に近い生き物だ」


 ラクーンの呼びかけも気にせず、アイクはその背の高い茎に話しているようだった。



 やがて、その茎に向かって手を翳す。


「君も、?」



現存在ダー・ザイン



 シュルシュルと茎が動き、花が下まで降りてくる。


 ラクーンをも丸呑みできそうな口のような形の花弁がグワッと開き、葉が擦れて鳴き声のような音を響かせた。



「シャアアアアアア!」



 食鳥植物が、敵を見つけて動き出す。




 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■メモ:現存在(ダー・ザイン)

 ハイデガーは、まず存在者ザインデス存在ザインを定義しました。存在者ザインデスは物だけではなく人間や動物も含まれますが、人間と動物の間に差はないのでしょうか?


 自分自身や物が「存在している」と考えられるのは人間だけである、とハイデガーは考えます。


 動物にとって、食べ物や障害物などは「刺激」でしかなく、「物が存在している」とは考えません。


 一方で人間は、「自分はここに存在している」「あの動物もここに存在している」といったように存在の概念を理解できます。生まれたときから時間や環境や身の回りに存在するものを解釈して生きているのです。



 ハイデガーは人間について、ただそこに存在するものではなく、「存在の概念を理解できる存在」として、現存在ダー・ザインと呼びました。

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