23.どっちもあるのさ

「あ、見てください、ヒルさん」

「ん? おお! ジュナイスだ!」


 イセクタに腕を引っ張られ、地面に落ちていた石に目を遣る。

 何の成分なのかところどころがキラキラと光っていて、すぐに今回のクエストのお目当てだと分かった。


「この辺り一帯にありそうですね」

 先を歩いていたレイが、きびすを返す。


「やったわね、ヒルく……きゃあああ!」

「どした!」

 戻ってくる途中で矢庭に悲鳴をあげ、俺達は彼女のもとに駆け寄った。


「あれ、あそこに死体がある!」

 今まで俺達が向いていたのと反対側、少し先に、4人がバッタリと倒れていた。


「死体……? いや、レイさん、これ寝てるだけですよ。モンスターに眠らされたんですね」

「というか、こいつさっきアイクにケンカ売ったやつだろ」


 俺達より先に進んで、ジュナイスを見つけて油断した瞬間に攻撃受けた、って感じかな。


「ヒルギーシュ、このように愚か者には罰がくだるのです。恐ろしいですね。ヒルギーシュも気をつけてください」

「完全に俺が愚か者っていう論調だけど」

 一緒にしないで頂きたい。


「死んでるんじゃないんだ、ビックリしたわ。じゃあヒル君、この人達が起きる前に採集した方がいいわね」

「まあそうだな。揉め事は面倒だし」

「もし起きそうになったら、私がまた眠らせるわ」

「完全に攻撃じゃん!」

 冒険を重ねるたびにレイの黒い部分が少しずつ明らかに!


「よしっ、じゃあ手分けして拾うぞ。各自の道具袋に入れよう」

「あ、ヒルギーシュ、待って下さい。今、考え事がまとまりかけてるんです」

「待てません」

 だからこいつらが起きる前に急いで退散するんだって。


「後から混ざりますから。いいですか、今この考えを整理できれば、僕は嬉しい。一方で、今僕が整理を中断してジュナイスを集めたら、パーティーでクエストを達成して依頼報酬が入ってみんなで喜びを分かち合うだけ」

「じゃあそっち選ぼうよ!」

 何なのその自分に不利な二択!



「まあまあ、ヒルさん。いったんボク達だけでやってましょうよ」

 レイと「そうしようそうしよう」と同意しあって、ジュナイスを拾い始める。

 くそう、みんなアイクに甘いんだから。


「で、アイクさん、今度はどんなこと悩んでるんですか?」

「よく聞いてくれました、イセクタ・ユンデ。前に僕は、経験や理解の形式は人間で一様だと言いました。しかし、一様と割り切れないものもあるんです」


 白い髪をゆっくりと左手で掻きながら、彼は続けた。


「世界は有限である。世界は無限である。どっちも正しいと言えてしまうんです」「なるほど、有限と理解する人も無限と理解する人もいるから、一様といえないってことか」

「ええ、そこに理由がつけば……或いは異なる認識でも……」

 そのまま勝手に会話を終えて、ブツブツ呟き始める、。


「ったく。俺が2人分拾ってやる。後で酒奢りだぞ」

 そして3人で、見える範囲ほぼ全ての石を袋に詰めた。






「よし、これだけあればいいだろ。そろそろ――」

「眠る時間かい?」


 図ったかのように、背後からザリッとモンスターが現れた。

 俺達より大きい、つり目が特徴的な狐。


「メージフォックス、相当な魔法の使い手よ」

「今のボク達にはかなり手強いかもしれませんね」


 そう言いながら、レイは杖をギュッと握り、イセクタは弓を右手に持った。

 あのパーティーを眠らせたのもコイツってわけか。


「ヒルギーシュ」

 俺の肩をトントンと叩くアイク。


「考えが整理できたので、僕が先陣をきります」

「いや、レイの話聞いてただろ。お前がどうにか出来る相手じゃないぞ」

「集めるの手伝えなかったので、そのお返しということで」


 口元だけ笑って見せ、メージフォックスに近づいた。


「世界は有限か、無限か。これは経験を超えた問題だから、理性で処理しきれずに脳が混乱する。理性の二律背反、ってところですかね」

 そして、敵に向かって手を翳す。



二律背反アンチノミー



「ぐおおおおおおっ! 頭が! 頭がわれるうううう!」


 突然、頭を抑えて膝から崩れ落ちるメージフォックス。


 そうか、どっちも正解である問いみたいに、頭を混乱させる技ってことか!


 これはすご――



 ポンッ!

 メージフォックスは分裂した。



「…………は?」

「しまった、どっちの命題も正しいってことで、2匹に分裂する魔法なのか」

「効果も分からずに使うなよ!」

 むしろピンチを招いてる!


「ヒル君、さすがに2匹は相手できないわ」

「逃げましょう、ヒルさん」

「結局逃げるの!」

 今回ロクに戦えてない!





「ぐう……なんとか逃げ切ったな……」

「つ、疲れたわ…………」

 駆け足で坂を上り、火山を出たところで4人一斉に倒れこんだ。


「ヒルギーシュ……だ、誰も怪我なく……クエスト達成しましたね」

「お前が……まとめるの……すごく納得いかない」

 まあ達成したのは嬉しいんだけど。


「あれ? ヒルさんのジュナイス、なんか増えてません?」

「へ? あ、道具袋が2つになってる!」

 腰につけてた袋が、なぜか1つ増えていた。


「そっか、アイ君の前にいたから、二律背反アンチノミーの魔法が当たったのね」

「なるほど。量り売りだから、儲かるな……おっ、アイク、二律背反アンチノミーってやつ、もう1回かけてくれよ! もっとたくさん儲けられるぞ!」


 そのお願いに、鼻で大きく溜息を漏らす。


「ヒルギーシュ、僕がそんなことをすると思いますか」

「はいはい、しないと思います」

「僕は道徳的に生きると決めたんです。モグラ相手に先陣きって攻撃したときは、失敗してご迷惑おかけしましたからね、別の形で道徳的に生きないと」


 そう言って、船着場に向かって歩き始める。


「……レイ、今のって謝ってるのか?」

「……ふふっ、そうじゃない?」

 素直じゃないぜ、まったく。



「皆さん、行きますよ」

「よしっ、換金して今日は宴会だな!」

 さて、暑いところにいたからな。ビールで涼むとしましょうか!





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■メモ:理性の二律背反アンチノミー

 カント最後のトピックでは、経験の話に戻りましょう。


 この世界の様々な事象を経験していく中で、「○○という考え方は、正解でもあり間違いでもある」ということは通常起こりえません。しかしカントは「世界は有限である」といった問いは、正解(=有限)も間違い(=無限)も理性的に証明可能であると考えました。


 正反対の主張が同時に成り立つのは、経験を超えた問いに対しては理性が混乱を起こし、正常な答えが出せないためです。このようにどちらも成り立つカントの議論を「理性の二律背反アンチノミー」と呼びます。


 彼は、「世界は有限である」以外にも、以下のような二律背反アンチノミーを例示しています。


「神は存在する(神は存在しない)」


「自由は存在する(自由は存在しない)」



 カントは決して、哲学界を混乱させるためにこの考えを提示したのではありません。アリストテレスが礎を築き、存在論などの研究が進められていた形而上学に対し、「存在すること・しないことが同時に成り立つケースもあるよ」と一石を投じたかったのです。


 経験・認識の方法を深掘りし、真理や存在のヒントを手繰り寄せたカントは、これ以降の西洋哲学に大きな影響を与えます。

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