27.揃いきった歓声

「僕が選挙ですか?」


 聞き返すアイクの手を握ってブンブンと振るお兄さん。「ああ、僕はクロン王国東南部の選挙管理人なんだけどね!」と勢いよく話し始めた。


「今、東南部の議会は出馬してる人が少ないんだ。皆に関心持ってもらうためにも立候補者を増やしてるんだけど、君は別だね。頭も良いし、若いから同年代からも票を集められそうだし、何より弁が立つ。政治に興味はないかい?」

 あのね、お兄さん。アイクは冒険者なんだぞ。そんな急に――


「面白そうですね。政治は国の中枢に近づける仕事。国というものの存在を観察して理解するのに良い機会です」

 そうだよこいつは冒険者じゃなくて観察者だった悲しい。


「でも、あの、選挙管理人さん……?」

 彼は中指で自分の胸をトントンと叩く。

「ビーキュっていうんだ、よろしく」


「あ、はい。じゃあビーキュさん、確かもう投票日近いんじゃなかったでしたっけ?」

「そうなんだ。だからすぐに皆に覚えてもらえるように、早速演説を開こう。えっと……」

 目線を向けられ、アイクは白い髪をファウッと揺らしてお辞儀した。


「哲学者のアイクシュテットです。よろしくお願いします」

「哲学者……? まあいいや、じゃあ準備するから一緒に来て!」

 そのまま腕を引っ張って、小さい建物に向かって歩いていく。



「アイクさんがついに政治家かあ。そしたらボク達も権力の利得にあずかることができますね!」

「無垢にそういうことを言うなよ」

 目の奥が純真なのが怖いよ。


「でもヒル君、議会に入ったら、アイ君私達のパーティー抜けちゃうのよね……」

「まあ、そうかもな……」


 クエストで冒険を続けるんじゃなくて、思考と試行を続けながらこの国を導く。

 アイツには、そういう道の方が合ってるのかもしれないけど。




***




「うわっ! すごい人だかり!」

 イセクタが興奮した声で目の前の聴衆を見渡す。


 この前アイクが政治家を言い負かした、あの広場より広い草原が、老若男女で埋め尽くされていた。


「すごいな、アイツこんなところで喋るのか」

 ゆっくり歩いて空いている場所に座った。周りから噂話が聞こえる。



「このアイクシュテットという若者、かなり頭の良いヤツらしいぞ」

「なんでも哲学者らしい」

「哲学? なんかよく分からないけどすごそう!」


 ビーキュが「噂が広がった方がみんなが興味を持ってくれる」と話していた。うん、その読みは正しいらしい。


「ベルシカに行ってるパーティーのリーダーらしいぞ」

「え、そうなんだ! やっぱりデキる人は違うね!」


 ちょっとそこのお嬢さん達! 間違ってますよ、リーダーは俺ですよ! このヒルギーシュですよ!


「戦闘でもパーティーの要なんだって」

「魔法剣士みたいな人もいるらしいけど、アイクシュテットさんの魔法で大体解決するみたい」


 俺! 俺の扱い!


「……ヒルさん、強く生きましょう」

 慰められながら肩を優しく叩かれ、俺はイセクタのマントで涙を拭いた。



「あ、アイ君出てきたわよ」

 大きな歓声と拍手に迎えられ、トコトコと歩いてアイクが登壇した。


「お集まり頂き、ありがとうございます。哲学者のアイクシュテットです」


 そして、大観衆を前にしているとは思えない落ち着きで、話を進めていく。


「……というわけで、私腹を肥やすために働く政治家とは違うということを理解してください。僕は哲学者、真理とは何か、国とは何かを考えながら、その好奇心だけで動いていく。そこに金銭や名誉の私欲はないのです」


 周りの人は皆、満足そうに頷いている。


 うん、話し方ももちろん上手いけど、話している内容も良い。哲学者という立場や性質を上手に活かしている。

 やっぱりアイク、頭が切れるなあ。


「私には理想としている共同体があります。それは、道徳と法律の共存する社会なのです」

 身振り手振りも交えた、抑揚のある演説。レイもイセクタも、真剣に聞いている。


「道徳というものは、尊重されるべき個人の考えです。ただ、主観的な信念なので社会性に乏しい。一方で法律というものは、客観的ではあるけど、個々人の考えや意見は尊重されない」


 気がつくと、聴衆のほとんどが、立って彼の話を聞いていた。


「ではどうすれば良いか。それが僕の哲学魔法で言うところの……」


 そう言って、両手を開いて見せる。



【アウフヘーベン】



「まあ今は何も起きませんが……対立する考えをぶつけて統合することで、理想の共同体の形が見えてきます。つまり、個人の道徳観を尊重しつつも、法律という制度で社会全体を秩序立てる。これが僕の目指す、『人倫』と呼ばれる共同体なのです」


 その言葉に全員が止まない拍手を送る。そして。



「人倫! 人倫! 人倫!」


 声を揃えての大合唱。こんなに大勢でここまで息が合うなんて――


「ちょっと待て……幾らなんでも息が合いすぎじゃないか?」

「ヒルさん、なんか変ですよこの人達。表情が無いし、目に光が……」

「虚ろな感じね…………え、ねえ、ヒル君、ひょっとして」


 レイの表情が一瞬で変わる。今日の晴天には似つかわしくない曇り顔。



 そして俺はといえば、多分レイと同じことを考えて、苦味成分の多い苦笑い。



「ああ。さっきのアウフヘーベン、ここにいる人達に効いてるのかもしれない」



「人倫! 人倫! 人倫! 人倫!」



 哲学魔法は、人の心をも自在に操る。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■メモ:人倫

 家族と市民社会を統合(=アウフヘーベン)することで理想の共同体である国家となる、と提唱したヘーゲルですが、共同体についてもう1つ述べています。そこで対立させているものは「道徳」と「法律」でした。


 道徳は、主観的な信念なので、尊重されるべき個人の考えではあるけど社会性に乏しい。


 一方で法律は、客観的ではあるものの、個々人の考え方が尊重されるわけではない。


 この対立構造をアウフヘーベンした結果が「個人の内面が尊重されながらも法律で社会全体の秩序を保つ」という共同体です。ヘーゲルはこの共同体のことを「人倫」と呼びました。

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