26.綺麗じゃなくても
「全員寝かせたし、大丈夫だろ」
毒を消したけど未だグッタリしたままの3人を酒場の裏手に寝かせ、さっさと店を出てきた。
「アイクさん、ありがとうございました。やり返してくれて嬉しかったです」
「いいんですよ、イセクタ・ユンデ。それにやったのは僕じゃない、毒ですから」
でも主犯は毒じゃない、君ですから。
「さて、次のクエストはどうするかなあ」
頭の後ろで手を組みながらぼんやり考えていると、クエスト受付所の先にある広場がやけに騒がしいことに気付く。
「見て、なんか演説やってるわよ」
「ほう、演説ですか。興味深いです、行ってみましょう」
そう言って足早に歩くアイクに、後をついていく俺達。
「いいですか皆さん、来たる今度の選挙、ぜひ私に投票して頂きたい! 私には理想とする家族や国家の姿があるのです!」
大勢の聴衆に囲まれ、壇に乗った政治家が大きな手の動きで話していた。小太りで少し髪が薄く、口周りの髭は立派。古典的で典型的な政治家、という見た目。
「家族も、仕事仲間も、そして国家も、『繋がりを持つ共同体』という意味では全く同じです。私はこれらを全て、競争や諍いのない、幸せな場所にしていきたい。それこそが、暮らしやすい社会への道なのです!」
「いよっ!」
「よく言った!」
口々に掛け声が飛び交い、拍手が起こる。政治家は、お礼を言いながら深くお辞儀していた。
「ヒルさん、あの人良いこと言いますね」
服の袖を引っ張るイセクタ。
「だな。口だけかもしれないけど、言ってることはまともだよな」
「争いのない幸せな家族かあ……ボクもそんな家庭築けたらいいなあ」
「まあお前なら大丈夫な気がするけどな」
笑いながら相槌を打つと、イセクタは袖を掴んだまま、目を少し逸らした。
「そうだなあ……ボク、ヒルさんとなら、幸せな家庭作れる気がしますけどね、エヘヘ」
何この子! 俺を悶絶死させるために送り込まれた敵なの!
恥ずかしそうに顔を背けるのは何! 計算! 計算か!
これを無意識でやってるってもう罪、罪でしょ! 俺、自分が怖いよ! いつか理性が飛んで、「そんなつもりなかったのに」って言われそうで怖いよ!
「温かい声援、ありがとうございます! 一緒に、競争のない社会を作っていきましょう!」
声と拍手が止むと、隣の哲学者の大きな溜息が聞こえる。
そして、静まった広場だからこそ響く、アイクの俺への言葉。
「ヒルギーシュ、彼は何を綺麗事言ってるんでしょうかね」
ざわつく集団。その場から逃げようとする俺。
「待ってくださいヒルギーシュ」と服を掴まれる俺。悲しい俺。
「アイク、言って良い事と悪い事があるだろ!」
「もちろんです。ですから言って良い事を言いました」
「判断基準がもう」
悪い事はどんなひどい内容なのよ。
「おい、お前! 今なんと言った!」
演説を邪魔されたうえにコケにされた政治家が、声を張り上げて激昂する。
「アイクさん、柔らかく収めてくださいね」
ヒソヒソ声でお願いするイセクタに、アイクは深く頷きながら広場の前の方へ人並みを掻き分けていく。
「もちろんですよ、イセクタ・ユンデ。えっと、そこの貴方。いいですか、正論を言っている人に綺麗事と言ったのなら謝りましょう。しかしですね、耳障りの良い綺麗事を言ってる人にその事実を伝えて、何か問題がありますか?」
「何だと!」
俺とイセクタは肩を落とし、レイは座り込む。
全然柔らかくないよー堅すぎて噛み切れないよー。
「いいですか、ここにいる皆さんにもはっきり言っておきます。完全に争いも競争もない社会などというものは存在しないのです」
いつの間にか壇上に立ち、全員を見渡しながら話し始める。ダメだ、もうアイツの独壇場だ……。
「そもそも、家族と仕事仲間というのは全く性格が異なるものです。家族は愛情で繋がっているから、基本的に競争はありませんが、繋がりが強固なので互いが独立していません」
「お、おい……」
横長の壇をゆっくり左右に歩きながら続けるアイクと、予想外の展開に慌てるおじさん。もうどっちが政治家だか分からない。
「一方で、仕事の仲間。これは繋がりは家族よりは薄いので個々人の意識は独立していますが、より良い賃金を得るための競争は避けられない。いいですか、仕事において、そこに処遇が発生する以上は、競争を無くすことは不可能なのです。では、この対立する2つをどうすればいいか? そうです。ご存知、弁証法です」
誰もご存知ないよ! みんなの顔見て! ポカンとしてる!
「国家というものは、家族と仕事仲間、それぞれの良い所を取るべきなのです。即ち、愛情と個々人の独立性、これが共存している。貴方、これが理想の国家ではないですか?」
「そ、それは……」
「競争のない王国ではなく、愛情と独立性に満たされた王国を目指す。どうですか、何か反論がありますか? それともまだ、争いも競争もない国家が良いなどという、耳障りの良い言葉をここにいる人々に投げかけますか?」
政治家は手をグッと握り、顔を真っ赤にして震えている。
「ぐっ……今日の演説は中止だ! 場所を変えて話す!」
吐き捨てるように言い放ち、彼は足早に壇上を下りていった。
「言い負かしちゃったわね……」
「アイクさん、政治家みたいでした……」
その直後。広場は大歓声に包まれた。
「兄ちゃん、すごいな!」
「アンタと言うとおりだよ!」
「言われてみりゃあ競争は無くならねえよなあ!」
多くの声をかけられ、肩をバンバン叩かれながら、アイクがこちらに戻ってくる。
「どうです、イセクタ・ユンデ。柔らかく収めてきました」
「どこから来るんですかその自信!」
なんなら軽いパニックだよ!
「さて、ヒルギーシュ、新しいクエストを受けに――」
「あの、お兄さん」
その哲学者の服を後ろから引く、若い男性。
「いやあ、素晴らしい演説だったね。どうだい、今度選挙があるんだけど、君も出てみないかい?」
「…………え? は? ええええええっ!」
周りから「いいぞいいぞ!」「出たら絶対勝てるよ!」と声援が届く中、俺とレイとイセクタの驚嘆の叫びが響いた。
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■メモ:家族・市民社会・国家
ヘーゲルが「対立している」と考えたものの1つに、家族と市民社会があります。どういうことなのでしょうか。
家族とは、愛情で繋がっている共同体です。そこに競争・争いはありませんが、夫と妻、母と子どもなど、繋がりが強すぎるあまり、互いの意識は独立できません。
一方、市民社会という共同体については、会社を思い浮かべると分かりやすいでしょう。上司でも同僚でも互いの意識は独立していますが、今度はそこに互いの出世競争などに拠る争いが生まれてしまいます。
この対立した関係を弁証法によって統一(=アウフヘーベン)したものが「国家」である、というのがヘーゲルの説でした。お互いの良いところを取り、愛情と独立性が共存する共同体、それが理想の国家の形であると彼は考えたのです。
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