40.代わりは幾らでも

「まだまだあ!」


 戦いは続いていたが、猛攻を仕掛けている俺達に「押している」という感覚はなかった。


 跳ね返され、反撃され、その度に白魔術で少し回復する。敵を焦らせることもなく、こちらは確実に力を削がれていった。



「っりゃあっ!」


 魔法で起こした風に乗って高く飛び、頭上から一撃を浴びせる。

 額から青い血を流したレッドドラゴンはしかし、すぐに目を見開き、宙にいる俺に向かって口を開けた。


「焼けて消えろ」

「ヒル君!」


 すぐに防御魔法をかけてくれるレイ。俺の目の前に光の壁が現れた直後、恐ろしいほどの炎が吐き出された。



「……っ! ヒルさん! 壁が破られます!」

「くそっ!」


 炎のあまりの量に、光の壁はバリバリと音を立てて割れていく。その隙間から炎が漏れ出し、降下中の俺の体を襲った。


「ぐっ……」

 足に火傷を負う。太ももに力を込めると、ビリッと痛みが走った。


「はあっ、はあっ……ヒル君、そろそろ魔力が無くなりそう」

「だろうな、こんだけ助けてもらったら」


 口元が歪に歪む。それはレイに対してではなく、自嘲の笑いだった。



「イセクタ、2人で攪乱しながら行くぞ」

「分かりました」


 二手に分かれて走り出してすぐ、ドラゴンが翼を広げ、こちらに向けて大きく羽ばたかせる。


 轟音と共に舞う砂吹雪。目をやられないよう腕で顔を覆った、その時。



 ドゴオオオンッ!


「がはっ……!」

「ヒルさん!」


 その風に乗って勢いを増した尻尾を肩から叩き込まれる。

 体を地面に押し付けられ、研磨するかのようにザリザリと引きずられた。


「ぐ……ぐあ…………」

「もう終わりか、人間」


 首をゆっくり回すように動かしながら、尻尾を戻すレッドドラゴン。

 腕も足も力が入らない。自分の体ではないかのよう。



「ヒル君! 回復――」

「そこまでだ」


 敵がその口を開き、イセクタやレイ、アイクに向かって氷柱に近い形状の炎を矢のように飛ばす。


つうっ!」

「ぐうっ!」


 鋭いその炎は3人の腕や脚に刺さり、全員が膝から崩れ落ちた。


「レイ! イセクタ! アイク!」

「おい、剣士」


 倒れている俺に近づき、足を大きく持ち上げる。


「前に他のヤツを心配してる余裕は無いだろう」


 ドンッ!


「があああああああっ!」


 腹部を踏みつけられ、叫びながら吐血する。

 鉤爪の1つが足に食い込み、感覚はほぼなくなった。


 ダメだ……コイツは、桁が違いすぎる。



「ヒルさん! この、よくもっ!」


 ゆっくり立ち上がり、震える腕で矢を放つイセクタ。さらに、刃のついたブーメランを足目掛けて投げる。


 だが、レッドドラゴンはゆっくりとイセクタの方を向き、低い声で諭すように呟いた。


「もう少し、己の力量を自覚してから来ることだ」


 そして、岩をも穿ちそうな手の爪で突く。


 ザシュッ!


「あ……あ、あ……あああああっ!」

 イセクタの右肩を、貫いた。


「イセクタちゃん!」

「イセクタ!」


 倒れ込んだ俺からも、その肩からおびただしい量の血が噴き出しているのが見える。イセクタはそのまま、前に倒れこんだ。




「騒がしい戦いは終わりだ」


 そう言ってまた口から尖った炎を飛ばし、レイとアイクの足を貫いた。


「やっ……足が……」

「くっ……痛い……」


 もう誰一人、まともに戦えるメンバーはいない。



 こんな敵と戦うなんて、早かったのか。


 ここで冒険は終わりなのか。俺の夢も野望も、全てが終わりなのか。



「言っておくが、私は傷の再生もできる」


 そう言ってドラゴンは体を震わせる。徐々に、剣や矢で傷つけたはずの体が綺麗になり、血も止まった。

 それはもう、戦う前と何ら変わりない。




 勝てる気はしない。それでも、諦める気になれなかった。




「……へへっ、化け物め」

 俺の言葉に、ギロリとこちらを睨む。

「お前達のような人間に倒されないために、力を磨いてきた。私はもはや不死身だ」



「不死身ね……そりゃあ……大したことないな」

「…………何?」

 地面にめり込ませるかのように拳を押し付け、渾身の力で立ち上がる。



「死ぬことを意識して、覚悟して、初めて自分の進む道を決められる……俺もそうだった……お前みたいに死ぬことから逃げているヤツより……俺の方が高みにいる」


 痛みで震える手で剣を抜き、頼りなく構える。


「ふん、高みか。この戦いが終わってから改めて言うことだな」


 俺にズッと近づき、口を開けた。既に熱気を感じる。

 ああ、炎か……上等だ。


「来てみろよ、レッドドラゴン」



 これまで色んなものを採ってきた。クロン王国の、そこに住むみんなの役に立てただろうか。もし俺が持ち帰ったもので、誰かが少しでも幸せになれたのなら、幸せだ。

 よし、最後まで戦うとしようか。



「魔法剣士、なめんなよ」



 剣を振り上げようとした、その時。




「よく言いました、ヒルギーシュ」


 アイクの声が、響いた。槍を杖の代わりにして、よろめきながら立っている。


「生き方には2種類あります。いつか死が来ることを自覚して、死ぬその日まで自分らしく生きる。もう1つは、死から目を背け、自分らしさも持たずにそのまま生きる」

「…………やっぱり哲学!」


 いい感じに決戦の流れだったのに!



「いや、アイク、これは俺とレッドドラゴンの――」

「ヒルギーシュ、ありがとうございます。貴方のおかげで新しい哲学魔法を覚えました」

「ここで! このタイミングで!」

 タイミングいいんだか悪いんだか!


「さて、レッドドラゴン。一瞬だけ僕が戦います」

「……何だお前は」

「哲学者、アイクシュテットです」

 敵はアイクに顔を近づけた。

 おかしい。これまでの流れを完全無視で会話が進んでいる。



「レッドドラゴン、君が突出した強さで良かった。突出した存在で良かった。この魔法を使う価値がある」


 そして、アイクは右手を前に翳した。




世人ダス・マン



 今まで見た中で一番強い黄色の光が、島一面を強く照らし、すぐに消える。

 特に、何も変わった様子は見られない。



「どんな魔法かは知らないが、仕留められなかったな……では、私の番だ」

 ドラゴンは口を大きく開け、息を吸った。マズい、炎が来る。


「終わりだ、アイクシュテット」

「アイク!」



 ゴオオオオオオッ!



 しかし、その炎は、とても、とても弱い。少し後ろに下がったアイクにすら届かない。



「な…………何だと…………っ!」



 その哲学者が、いつものように、微かに笑った。



「もう怖くない。




 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■メモ:世人ダス・マン

 ハイデガーは人間を「存在を認識できる存在」として現存在ダー・ザインと呼びました。彼は更に、この現存在ダー・ザインの在り方を「本来性」と「非本来性」の2つに分けます。


 本来性とは、いつかやってくる死を自覚し、その日まで自分らしい生き方をしよう、と決意している人の在り方です。


 一方、非本来性とは、日常の出来事にばかり関心がいき、死から目を背けている人の在り方です。こうした人は本来性の「自分らしさ」がないため、同類と同じ意見を言い、同じ行動をとる、誰とでも交換可能な「誰でもない人」になってしまいます。


 ハイデガーは、この非本来性の在り方をしている人間を世人ダス・マンと呼びました。世人ダス・マンのように世間に埋没することなく、死を見つめ、自らを「自分の進むべき道」に投げ入れる(=投企)ことで、人は本当に自分らしく生きられる、と彼は考えたのでした。



 著書は未完ながら「存在」そのものを考え直し、人間の生き方を説いたハイデガー。こうして彼は、20世紀最高の哲学者とも称されるようになったのです。

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