15.信じられること、1つ

「お、おはよ、レイ」

「おはよ、ヒル君。んーっ、よく寝たわ」


 早朝、レイの金色の髪が陽射しを吸い込んで、宝飾品のように輝く。


 この半島のモンスターのいないエリアに点在する簡易宿泊所。

 冒険者のために開業しているこの施設の廊下で、寝起きに鉢合わせた。


「綺麗ね、朝日。建物が少ないし、空気も澄んでるからよく見えるわ」

「ああ、そうだよな……」

 目の前にもっと綺麗な人がいますけどね!



 いつもの白いドレスではなく、半袖の水色シャツにグレーの膝上ショートパンツ。

 確かにいい気候だったけど、そんな! そんなけしからん格好しちゃうなんて!


 その白い腕と白い太もも、最高すぎます。眼球が朝から喜んでます。ずっと撫でてたい、なんなら頬ですりすり……ハッ、俺は何を! 危ねえ、妄想がとんでもないところに迷子になってた。



「おはよっ、ヒルさん!」

 俺が寝ていた隣の部屋のドアが空く。


「おう、イセクタ、おはよひょっ!」

 最後声が裏返っちまった。


「お前、そ、その、下は……っ!」


 薄いピンクのボタンシャツに、いつものショートパンツは履いていない。

 小柄なイセクタが着てるせいでシャツが太ももまで隠していて、何も履いてないように見える。


「えへへ、すみません。今日ちょっと暑かったから下着だけで……」


 ずるい、ずるいぞお前、そんな格好!


 女子なら文句なしに最高、男子なら気にしない。

 なのに、なのに、「男でも女でもないけど、女子になるかも」なんてステータスのせいで、むしろ妖しい魅力が匂い立つ!

 くうう、シャツを、そのシャツを捲らせてくれっ!



「ヒルギーシュ、おはようございます。朝ごはんを食べに行きましょう」

「お前はホントにひどいタイミングで来るな」

 気絶から復活を遂げた哲学者にため息をつきながら、1階の食堂に向かった。




***




「よし、今日で祈り草を見つけるぞ!」

「あのネズミから聞いた話だと、ここからそう遠くない場所にあるみたいですしね」


 雲1つない快晴の中を軽快に進んでいくが、最後尾がちょいちょい遅れる。


「おい、アイク。考え事してると1人ぼっちになるぞ」

「ううん……僕は本当に1人なのか……本当は2人いるとか……」

「お前みたいなのが2人いたら面倒事が多すぎる」

 嫌な分身だな。



「何してるんだ、お前ら」

 かすれた低い声に、4人で一斉に振り返る。

 人間のような背格好に青い体色、首からドクロをさげた、見るからに厄介そうなモンスター。


「祈り草って草を探してるんだけど、そこを通してくれる気はない……かしら?」

 レイの問いかけに、敵は掠れ声でガラガラと嗤う。


「ある、と言ったら嘘になるな」

 だよなあ。ふう、戦闘は避けられないか。


「そう……。ちなみに、この先に祈り草ってある?」

「ない、と言ったら嘘になるな」

「正直なヤツだな!」

 教えてくれちゃうの!



「知られたからには仕方ない。ブルーリーパー、参る」

 名乗ってからゆっくり歩いてくる。いや、教えたのはお前だからな。


「ぬんっ!」

「うおっ!」

 突進を剣で止める。見かけは細いけど力が強いな。


「そんな軟弱な剣で、私を倒せると思うか」

「ああ……負ける気はないぜ?」

「いや、ヒルギーシュ、それも疑わしいです。貴方が勝つことが真理ではない」

「いいんだよ疑わなくて!」

 戦う気を削ぐようなこと言うな!


「おい、アイク、迎撃手伝ってくれ」

「え、僕武器持ってないけど大丈夫ですか」

「大丈夫なわけないでしょ!」

 このレベルの敵に素手で何しようってんだ!



「アイクさん、今は哲学よりクエストを優先しましょう!」

「いや、イセクタ・ユンデ。僕にとっては哲学優先です」

「即答!」

 あのイセクタがツッコんでるよー。アイクすごいよー。


「いいですか、イセクタ・ユンデ。今僕は哲学者として、あらゆる物を疑わなくてはいけないんです。部屋に少し溜まった埃の掃除と3日ぶりの食事、どっちが大事ですか。哲学とクエストの比較も、それと同じです」

「同じなの!」

 何か楽しそうだなお前ら。


「まあ、私も別に物理攻撃が得意なわけじゃないからな」

 トンットンッと数歩下がり、ブルーリーパーはドクロを揺らして口元を歪めた。


「耐えられるかな?」

 そう言って、口から薄黄色の霧を撒き散らす。


「何を…………あぐっ!」

「か……は……」

 その霧の正体に気づいたときにはもう遅い。


「痺れ霧だ。動くのも辛いだろう?」


 俺もレイもイセクタも、そして近くでブツブツと考え事を呟いていたアイクも、全員が霧を吸い込んで膝から崩れ落ちた。

 電気が流れているかのように、体の自由が利かない。


「レイ……一応聞くけど……麻痺って治せるのか……」

「残念だけど……うう……魔法でもアイテムでも無理ね……しばらくして動けるようになるのを待つしか……」


 だよなあ……くそっ、ゆっくり動かすのが精一杯だ。

 この状態でアイツの攻撃はかわせない。

 どうする、煙幕とか持ってたかな……なんとかして全滅は避けないと……。



「ぐうっ……イセクタもアイクも大丈夫か……」

「ええ、なんとか……」

「ひょっとしたら……麻痺なんて無いかもしれないですし……」

「お前、もう疑うことが存在意義みたいになってるな……」


 息も絶え絶えにツッコんだ時、アイクが目をカッと見開いた。


「存在意義……そうか、そうなんだ。

「…………は?」

「どしたの、アイ君?」


「『疑っている自分』の存在を疑ったとしても、そこにはやっぱり『疑っている自分』がいる」

 そして、痺れている体でユラリと立ち上がる。


「ヒルギーシュ、ありがとうございます。真理を見つけました」

 え、何! 俺が何かしたの!



「ほう、お前、無理しなくていいぞ。痺れ霧を受けたら、立つのがやっと――」

「逆に言えば、ということです」


 ブルーリーパーの話を遮り、後ろで倒れている俺達に向かって手を翳す。



我思う、ゆえに我ありコギト・エルゴ・スム



「君のその攻撃も、疑わしい」



 体の痺れが、消えた。




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■メモ:我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)

 あらゆるものを疑い、真理の候補を排除していったデカルト。そんな彼が突然閃いたのが、このアイディアでした。


「たとえこの世界の全てを疑ったとしても、それを『疑っている自分』がいることは疑えない。


 これが有名な「我思う、ゆえに我あり」です。全てを懐疑しても、「我が思う・疑う」のであれば「我が在る」ことは間違いない。デカルトは遂に、「絶対に正しいと皆が認める真理」に辿り着いたのです。

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