16.艶やかエルフの心と体

「おー、すごい。ホントにさっぱり消えてる」


 立ち上がって首を左右に鳴らした。隣でレイが手を握ったり開いたりして感覚を確かめている。


「白魔術の研究者の間でも麻痺や毒の回復は解明されてないのに……哲学魔法って恐ろしいわね」

「アイクさんすごいや! やっぱり最強だよ!」

 イセクタは面白いと言わんばかりにぴょんぴょん跳ねていた。



「な、なぜだ! お前達、なぜ麻痺が治っている!」

 怪奇現象を見たかのように顔を強張らせているブルーリーパー。


我思う、ゆえに我ありコギト・エルゴ・スム。僕の哲学魔法です。疑わしいものの存在を消し去る。ヒルギーシュの言葉で気付くことが出来ました。ありがとうございます」

「いや、別に……」

 多分偶然だと思うんで。


「よし、じゃあアイク、このまま一気に攻めるぞ!」

「いえ、ちょっと待って下さい。まだ思考と魔法のコントロールが出来てなくて……」

 白い髪を揺らしながら頭を掻いて考え込むアイク。


「自分の意識以外は全て疑えるとすると……ヒルギーシュやレイグラーフは本当にいるのか……?」


 彼がその言葉を発した途端、足元に激しい寒気を覚える。

 下を見ると、俺とレイの足がどんどん透明になっていた。


「げっ! 消えかかってる!」

「ちょっとアイ君、止めて!」


 まずいまずい、なんか呪文唱えてないのに魔法が継続発動になってるぞ!

 寒気もどんどん上の方に上がってきてますけど!


「おい、早く止めろ止めろ!」

「いや、そもそも、間違いなく存在するのは僕の意識だけであって、体の存在は疑わしい……?」

「お前も消え始めてるぞ!」

 麻痺が消えたのに次は存在が消えるなんて!


「ア、アイ君! この哲学魔法も、本当に存在してるの?」

「はっ、確かに」

 3人の体が、ヒュッと音を立てて元に戻る。


「ふう、なかなか厄介ですね、この魔法は」

「もっと他に言うことないのかよ」

 心配とか謝罪とかさあ!



「さて、アイツを倒さないとな」

 ブルーリーパーの方を振り返ると、バッタリと倒れている。


「あれ?」

「あ、敵が気をとられてるうちにボクが討ちました」

「何だったのこの戦いは!」

 勝ったからいいけどさあ!



「すごい、イセクタちゃん、お見事!」

「いやいや、アイクさんの魔法のおかげですって」

 レイとイセクタ、2人でニコニコと笑いあう。



 あれ、おかしいな。どこで道を間違えたんだろう。本当であれば、もうこの頃には「ヒルさんだけが頼りです!」「ヒル君、私にも攻撃魔法、2人でじっくり教えてほしいな……?」みたいな声がパーティーで飛び交って、本島の酒場では「ほら見ろよ、あれが当代最強の噂も名高い魔法剣士、ヒルギーシュだよ」「わあ、カッコいい! アタシ、声かけてみようかな」とヒソヒソ話が漏れ聞こえる中、クエスト受付所にいって「クエスト、そこからそこまで全部やるよ」というクエストの大人受けをする予定だったのに。実際は出番がない挙句、剣が銀塊になったり仲間から消されそうになったり散々だぞ……? おかしいな、哲学者が元凶の気がしてきたぞ……?


 ええいっ、負けるか! 俺の伝説はまだこれからだ!



「あ、ヒルさん、ありましたよ、祈り草!」


 戦った場所から少し歩いた先に、20本程の祈り草が咲く草原があった。

 茎が短く、葉の周りがボウッと淡い黄色に光っている草は、見ただけで不思議な効果を予感させる。


「少し残しておけば、また種子を残して増えるらしいわ」

「そっか、じゃあ5、6本は残しておくか」


 採った祈り草を腰につけた袋に詰め、元来た道を引き返し始める。

 うん、明日の船には乗れそうだな。



「アイ君のさっきの魔法もすごかったわね。消えちゃいそうになったの、ちょっとビックリしたけど」

「すみません、レイグラーフ。でも、『我思う、ゆえに我ありコギト・エルゴ・スム』の考え方をきっかけに色々と分かりました。自分の肉体の存在は疑わしいけど、疑っている自分の意識は確実に存在する。つまり、肉体と精神はまったく別物なんです」

「別物ねえ」

 体も心も俺のものだから、いまいちピンと来ないけどなあ。


「別物ですから、例えばイセクタ・ユンデが成長するときに、先に心が女性になって、その後肉体が女性になるということも考えられますね」

「えっ、ボクが!」

 目を丸くするイセクタ。幼い顔でその表情をすると大変可愛らしい。


「そっか、でも女子って男子より先に心が大人になるって話も聞いたことがあるし、イセクタちゃんがそうなってもおかしくないわよね」

「まあ、今はどっちかは判別できませんが……」


 ペタペタ


 いきなり胸元を触り始めた。あれ、見たことあるぞこの光景。


「わあっ! ちょ、あの、アイクさん!」

「ちょっと、アイ君!」

「気にしないで下さい。あくまで観察です。貴方の体自体には興味がない。ふうむ、胸部を見る限り、やはり現時点では男性とも女性とも言いがたい」

「ヒ、ヒルさん……いやあ……」


 うおお、涙目で嫌がっているイセクタ、とてつもなく艶かしい!

 ってそういう話じゃなくて!


「ううむ、なぜエルフとは生まれてから性別を獲得するのか。生物としては始めから決まっている方が楽なのに――」



 ザクッ!



「ふう。ヒル君、イセクタちゃん、早く船着場に戻りましょ」


 軽快に歩き出すレイ。その足元には、イセクタのナイフを抜き取った彼女に刺された哲学者。


「…………死んだか?」

「かもしれませんね……」


 アイクのバカさ加減も大概だけど、レイに逆らっちゃいけないということは改めてよく分かりました。




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■メモ:二元論

 デカルトの「我思う、ゆえに我ありコギト・エルゴ・スム」についてもう一度考えてみましょう。ここで「我思う」「我あり」と言っているのは、肉体ではなく精神のことです。何かを疑っている意識、その意識の存在だけは疑いようがない、ということですね。


 デカルトはつまり、精神と肉体は別々に存在していると理解したのです。体は物体と同様であり、精神とは離れたものである、ということですね。


 彼はここから、心や自我の「精神」と、体や物質や自然の「物体」に世界は二分される、という二元論の考え方を生み出しました。

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