近代

Quest 3 祈り草 ~デカルト~

13.間違いのないもの

「レイ、次のクエスト、どれがいい?」

「んっとね……あ、これがいいかな!」


 早朝。まだ開いてない酒場と、賑わう前のクエスト受付所。

 レイが勢いよく、一覧の1つを指差した。


「祈りそう……?」

「あ、これボク知ってます。煎じて飲むと病気が治るやつですよね?」

「ええ、私の村でも1回だけ使ってたの見たことあるけど、本当によく効くの」

 へえ、俺は初めて聞いたけど、有名なんだな。


「山道のどこかに生えてるってさ。ベルシカの探検がてら探してみるか」

 相談してる俺達の前に、いつものおばちゃんが顔を覗かせた。


「アンタ達、探すの大変だし、結構強い敵がいるところみたいだけど大丈夫かい? ツインイーグルの羽毛、持ち帰れなかったんだろ?」

「ねえ、ホント、ははは……」


 調子を合わせて苦笑い。倒せなかったわけじゃないんですけどね。丸焼きにしただけなんですけどね。


「じゃあ、このクエストだね。今日から行くのかい?」

「ああ。朝ご飯食べて、すぐ出るよ」


 次こそ、成功させなくちゃ。そしてもっとカッコいいところをみんなに知ってもらわなくちゃ!




***




「なるほど。祈り草という草を探せばいいんですね」


 受付所から少し歩いた先。泊まっていた宿に戻って、食堂に1人残っていた哲学者に説明した。

 皆、自分の実家は遠いので、この宿の個室を4つ長期で借り、半共同生活を送っている。


「お前な、本当は一緒に行くべきなんだぞ。パーティーは絆が大事なんだから」


 座りながらの軽いお小言に、彼は本から視線を離さないまま答えた。


「いいですか、ヒルギーシュ。絆という概念は不可視なんです。この僕の目を見て、メンバーとして信用が出来る。それで十分じゃないですか」

「目合わせてないじゃん!」

 何を信用しろと!


「アイクさん、何読んでるんですか?」

「数学の本です」

「うっ、難しそう」


 長い耳を少し下げて溜息をつくイセクタ。開け放した窓から風が吹いて、黄土色のマントがお手上げと言いたげにひらひらと揺れた。


「アイ君、哲学と数学って関係あるの?」

「ええ、関係大ありです」

 説明してあげましょう、と言わんばかりにパタンと本を閉じるアイク。


「数学には、これは絶対に正しい、という『公理』と呼ばれる法則があリます。この公理をもとに、演繹的に個別の命題『定理』を作っていくわけです」 

「演繹……?」


 首を捻る俺の脇腹を、イセクタがつつく。

「カエルのモンスターとかが口からネバッとしたの吐くじゃないですか」

「粘液な」

 数学と粘液の関係とは。


「演繹というは、普遍的な法則から個別の小さな法則を推測する方法です。例えば、人は必ず死ぬ、というのは普遍的な法則ですね。そしてヒルギーシュは人間だ。だからヒルギーシュは必ず死ぬ」

「例えがもう」

 もっと良いのなかったのかよ。


「レイグラーフはもう分かったようですね」

 白いドレスのスカートを床から持ち上げつつ、彼女は頷く。


「ええ。人間は皆、石をつけて水に放り投げると沈む。ヒル君は人間だ。だからヒル君に石をつけて水に放り投げると沈む」

「だから例え!」

 アイクに変に感化されてますよ!


「ボクも分かりました! 女性は綺麗だ。レイさんは特に綺麗。笑った顔が可愛いと思う」

「ふふ、ありがとね」

「演繹はどこへ!」

 2つ目の文からおかしくなってますよ!


「で、僕は哲学もこの数学のように深めていけると思うんです。まずは絶対に間違ってない法則、つまり真理を掴んで、そこから考えを演繹的に広げていきたい」


 髪に触りながら話す。俺の黒髪と比べると、本当に真っ白だなあ。


「まあ、この前も理性で真理を探究していく、と話しましたけど、その真理の見つけ方を考えなくてはなりません」

「ふうん。でもアイク、この前、形相エイドスとか質料ヒュレーって説明してくれただろ。あれも真理じゃないのか?」


「物の本質という意味では1つの真理だと思ってます。でも、もう少し経ったら変わるかもしれません。ヒルギーシュの剣が銀塊に変わったように」

「なぜ悲しい思い出を蒸し返すんだお前は!」

 愛着あったのに買い替える羽目になったんだぞ!



「そういえば大した話じゃないですけど、現実態エネルゲイアの魔法、可能態デュナミスで元に戻せることに気付きました。ちょっとイセクタ・ユンデにかけてみます」

「え、ボク?」



現実態エネルゲイア



 すぐにイセクタに魔法をかけるアイク。緑色の閃光が食堂でパンッと瞬く。



 途端。身長が少し伸び、どんなお見合いでも婚約を迫られること間違いなしの可愛さ、そして何よりレイよりも存在感のある胸。

 素敵すぎる女性に変身したイセクタが現れた。


「なっ……! イセ、イセクタ!」

 思わず声が裏返る。


「イセクタちゃん、可愛い!」

「こ、これボク……?」



 どわああああ! 可愛い子に抱きつく美しいレイに、その顔で一人称が「ボク」のイセクタ! この組み合わせは正に視線泥棒!


 ああ、ずっと見てたい! 出来たら手元のお茶を頭からかけて、びしょ濡れのパターンも見たい!



「まあ、イセクタの場合は男女両方の可能性があるので、これはあくまで成長の一例ってことですね」

 そう言って、アイクは魔法を唱える。



可能態デュナミス



 黄色い閃光とともに元に戻るイセクタ。

 ああ、もう。もっと見たかったのに、残念。


「と、こういう風に使えば、ツインイーグルも丸焼き前に戻せたわけです」

「あのときに気付いてくれよ!」

 クエスト成功したかもしれないのに!

 というか俺の剣も直せたのに!




「よし、ヒル君。次は頑張ろうね」

「はあ……そうだな。よし、アイク、ベルシカ行くぞ」


「いや、もう少し数学を――」

「だーめーだ。船の時間がもうすぐなんだ」


 本に齧り付くアイク。赤ワイン色の服、後ろ首の部分を引っ張ってズルズルと連れて行く。


「ううん、引っ張られながら数学の問題を解くのは難しい。これも揺るがない真理かもしれない」

「真理ってもっと大きなものだと思う!」

 早く冒険始めるぞ!




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■メモ:デカルトと数学

 プラトンやアリストテレスが真理を探究したものの、「真理とは何なのか」「どうすれば辿りつけるのか」という答えは長い間見つからないままでした。ここには宗教も絡んできます。「人間は理性だけでは真理には到達できず、神への信仰が必要だ」というキリスト教の思想が西洋を支配したためです。


 しかし、16~18世紀の近代に入ると、ルネサンスによる古代栄光の復興や科学・数学の発展の中で、「信仰から理性へ」と揺り戻しが起こります。



 その中で近代哲学の礎を作った1人が、フランスのルネ・デカルト(1596~1650)です。デカルトは実は数学者としても有名です。X軸とY軸の2次元座標は彼が考案したもので「デカルト座標」と呼ばれています。実はデカルトの思想を考えるうえで、数学と哲学には密接な繋がりがあるのです。


 数学は「絶対的に正しい法則『公理』を仮定し、その公理から演繹的に新しい個別の『定理』を作る」という学問です。デカルトはこれを哲学にも応用しようとしました。即ち「絶対的に正しい哲学における公理(=真理)を設定し、そこから定理を導くように哲学を深めていけば良い」ということです。


 そしてここから、デカルトの真理を見つける挑戦が始まります。

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