2章 第26話

 目を開けると、空が黄色かった。 そして……臭い!?

 な、なんだこれは? うぇぇ、吐き気が、頭痛が……いったい何があった?!


 心の中で叫びながら、俺は少しずつ昨日の事を思い出す。

 そっか、昨日はゴブリンたちが邪神を倒したということで祝いの酒を持ち込んで……そのまま宴会になったんだっけ。

 しかも、脱ぎ上戸と脱がせ上戸と言う恐ろしい魔物が何人かいて……。


 酒と反吐と体臭の混じった地獄のような臭いが漂う中、俺は上半身裸のまま軋むからだを起こす。

 そして下半身を覆う頼りない布切れを見下ろし、俺は安堵のため息をついた。

 ……よかった。 なんとかパンツは死守できたようだ。

 だが、シャツとズボンはいずこへか消え去り、その姿は見渡す限りどこにも無い。

 くそっ、俺の文明を返してくれ。


「あー、くそ。 完全に飲みすぎた。 いてててててて……」

 まだ夜明け前の光を浴びながら立ち上がると、俺は頭を押さえてうめき声をあげた。

 言うまでも無く原因は二日酔いである。

 まったく、ゴブリンの酒なんてロクなもんじゃない。

 妖魔の森の厳選された名水をベースに作るから、スッキリして飲みやすい上に他の酒を追加で混ぜるから、ひどく悪酔いしやすいのだ。

 しかも、某カツオ県民もかくやというべきすさまじい勢いで酒が消費されたからな。


 ……で、たいして酒に強くない俺はと言うと、早々に潰されてごらんの有様である。

 まったく、酔ったゴブリンと冒険者たちは追いはぎか?

 もっとも、そうなる事はあらかじめ想定済みで、潰れたのも半ば演技ではあったのだが。


 恨みがましい目をしながら周囲を見回すと、昨日の夜に羽目を外しすぎた冒険者とゴブリン、さらに人化したドラゴンたちが死屍累々の言葉通りに折り重なって眠っている。

 昨日の時点で分かってはいたが、こいつらしばらく動けないだろうな。


 なお、男女問わずほぼ全員が半裸か全裸なのはご愛嬌と言うヤツだ。

 残念な事に男のほうが圧倒的に多いから、あまり目の保養にはならん。

 連中が酒盛りを始める前に色々と理由をつけて百池を日本に戻しておいたのは正解だったな。

 我ながら、まさに英断といえよう。


 さてと。 こいつらの事はさておき……やるべきことをやらなくちゃな。

 そう。 日本に帰る前に、俺にはどうしてもしておかなければならない事があるのだ。

 このタイミングでもないとできない事が。


 俺はあらかじめ安全な場所に隔離しておいた荷物の中をあさると、丸薬をいくつか取り出して口に放り込む。

 恐ろしく辛いが、ここは我慢だ。


 俺は水の入った袋を手に取り、まだ酒の臭いが残る広場を出て、誰もいなくなった明け方の森に入る。

 ヒイシに感染した森はもうない。

 処置に時間がかかるのが嫌だったから、ガスパールたちに頼んで効率よく溶岩の海にしてしまったのだ。

 さすがにここまでやれば、地中に隠されたヒイシの因子を宿した種も残るまい。


 だが、ここでひとつ疑問が残る。

 ……この事件は本当に終わったのだろうか?

 俺はウニの残骸の折り重なった山の前にたったひとりで立ち、己自身へと無言でそう問いかける。


 気になるのは、ヒイシの用意した巨大クリが、ドラゴンを想定していなかったことだ。

 向こうは俺がドラゴンを従えていることを知っていたはずなのに、何も手を打っていないというのは正直言って考えにくい。


 そもそも、邪神というわりに攻撃力に乏しいヒイシの力でドラゴンに対応するのは至難の業だ。

 奴の強みはそのしぶとさと隠蔽性である。

 ならばと開き直って、人間やゴブリンだけに標的を絞った可能性はあった。

 だが、それにどれだけの意味があるのか?


 ヒイシの立場を自分だと思って考えよう。

 そう、この戦いの勝利条件を見直すのだ。


「ヤツのとっての勝利条件とは、はたして人とゴブリンを全滅させることだけなのか?」

 最終的な勝利条件はそうだとしても、今回の件については違うはずである。


「そう、今回の局地的な戦闘においては、薬玉ポマンダーによる包囲を越えてその範囲外に自分の情報を伝達するだけでも十分に勝利と呼べるのではないか?」

 しかる後に誰も知らないところで繁殖し、こっそりと寝首をかけばいい。

 すなわち、俺達の目をかいくぐってこっそり生き残ることこそ、ヤツの勝利に他ならない。


 だとすれば、可能性が一つだけである。

 その時、目の前の巨大クリのいがが小さくピシリと音を立てた。


 ヒュン……と、鞭を振るうような音がしたときにはもう遅い。

「……っく」

 いがから伸びた触手は、一瞬で俺の体を縛り上げていた。


『はても厄介な人間よな。 だが、褒めてやろう。

 貴様さえいなければ、ここまで我が追い詰められることはなかった』

 いがの割れたところから、緑の触手の塊が姿を表す。

 あぁ、やっぱりな。

 死んでいなかったのか……ヒイシ!


『貴様だけは許せぬ。 ここまで我を怒らせたのは貴様が始めてだ。

 褒美として、最悪の死を用意してやろう。 お前を陵辱し、人としての尊厳が崩れ去るまでなぶってくれる。 そしてお前の子種から、森の生命力と貴様の狡猾さを持つ、人間とゴブリンを全て滅ぼす最高の森の守護者を作り出してやるのだ!』

 ヒイシの触手が、鼻や口だけでなく体にある全ての穴から俺の中に忍び込む。

 ……やべぇ、ちょっとどころじゃなくて気持ちいい。

 それは俺の敏感な部分を容赦なく刺激し、より深く俺の中に入り込もうとした。


「……ぐぁっ……かはっんぐっごぽっ」

 叫びを上げようとした俺の口の中に太い触手がねじ込まれ、俺の意識を快楽と共に蹂躙する。

 その屈辱的な暴虐に、ただの人でしかない俺があらがえるはずもなかった。

 最後には昨日見た冒険者のように、体液を残らず吸い上げるつもりだろう。


 だが、まだまだ甘いな。

 俺が何の対策も無く、一人でこんなところに来るとでも思ったか?


『ぬ……き、貴様、何をした!?』

 ヒイシの触手が、その動きを止める。

 しかも、その声は途中から甲高い少女の声に変わりはじめていた。


「よぉ、俺の唾液で溶かした特製カレーの味はどうだった? お前が陵辱好きなド変態で助かったよ」

 口に含んでいた残りの丸薬を水袋の中に吐き出し、俺は口元を指でぬぐう。

 あぁ、クソ不味かった。


「お前がここに隠れているのは、あらかじめ予想できた。

 ついでに俺をどうやって殺そうとするかも、最初からお見通しだ」

 こいつが俺の口の中に触手を突っ込んで体液を吸い上げると予測したからこそ、俺はあらかじめスパイスを固めた丸薬を口の中に含んでいたのである。

 ……もっとも、さすがに子種を求められるとまでは思わなかったがな。

 そりゃ多少は気持ちよかったが、あれはちょっとしたトラウマだぞ。 覚悟はしていたが、全身の穴を攻められて愛撫されるなんて体験は二度と御免だ。


「さすがにこのいがの中からお前を引きずり出すのは面倒だし、まとめて焼き払おうとすればドサクサにまぎれて逃げるのは目に見えている。

 だから、俺をエサにしておびき出そうと考えたんだが……まぁ、見事に引っかかってくれたもんだ」

 そんな台詞を垂れ流しながら、俺は丸薬……強制美少女化カレーを水袋の上に放り込み、しっかり溶かしてからヒイシの上にぶちまける。

 ほら、遠慮なくたっぷりと吸え。


『馬鹿な……そんな馬鹿な! この我が人間ごときに翻弄されるなど……』

「そうか? お前、ワリとチョロかったぞ」

 屈辱に身を震わせながら、ヒイシの姿はみるみる縮んでゆく。


 そして気が付くと、そこには妙に耳の長い美少女ががっくりと肩を落としていた。

 むっ、完全な人間には出来なかったか。

「我の……負けだ。 好きにするがいい」


 俺は無言で精査を発動させ、ヒイシの因子がまだ他のいがに残っていないかを確認してから、ようやく頷く。

「では、好きにさせてもらおうか」


 かくして、この長い戦いはようやく終息したのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る