2章 第17話

「ふっ……まさか、こいつを使うことになるとはな」

 そう呟く俺の目の前には、カレーの入った鍋がクツクツと小さな音をたてて煮えていた。

 だが、そこから漂う香りは馴染みのあるカレーのソレとはかなり違う。


 なぜならば……これがクローブをメインにしたとんでもカレーであるからだ。

 いや、クローブをメインにしたカレーも実際にあるにはあるのだが、その組み合わせはちょっと意図したものとは違う効果がでてしまうのだ。


 ゆえに効果を優先したレシピを作ってはみたのだが……。

 なんというかスパイシーなのは変わりないが、基本的に香りが甘い時点で何かがおかしい。

 ついでに辛さをつけるメインのスパイスが唐辛子ではないので、辛さの質ですら異なる始末だ。


「これは……カレーではない。 カレーでは無いのだが……」

 この屈辱を何とたとえようか?

 だが、このカレーとは呼びがたい未知のシチューを食さねば、聖属性の魔法は手に入らないのである。


 グッサンが残した聖水を材料に入れることで、このカレーもどきから漂う香りの違和感の原因……クローブの量はかなり減らす事ができた。

 味も香りも、原型から比べると格段にマシになっているはずである。

 だが……。


 聖魔法を身につければ、薬玉ポマンダーがなくともヒイシの放つ瘴気に対抗できるだろう。

 だが……。


 だが、それでもこれを食うのは嫌なんだ……と、未だに心の底から拒絶の声が響き、俺の動きを縛る。

 味を想像しただけで、額から汗が一筋流れた。


 しかし、その時である。

『カオル、なにそれ?』

 背後から響いた声に振り向くと、ガスパールが興味深そうにカレー鍋を覗き込んでいた。


「あぁ、ガスパール。 ちょっと向こうにいっていてくれるかな? あと、これは美味しいものじゃないから」

 間違ってもこんなマズいもの、ガスパールたちに食わせるわけにはゆかない。

 トラウマになって、カレーが大嫌いになったりしたら、俺は怒りと嘆きで何をしでかすかわからんぞ。


『でも、おいしそうなにおいがするのだ。 ひとくちだけちょーだいなのだ』

「あっ、まて! よすんだ!」

 これが美味しそうな匂い!?

 いや、カレーという固定観念がなければエスニックな香料に思えるかもしれんが、どちらかといえば食い物らしさは薄いと思うぞ?


 だが、俺が止めるより早くガスパールはその長い首を伸ばし、舌先を鍋の中に突っ込む。

 

『はうっ……!?』

「こらっ、ガスパール! はやくペッしなさい!」

 あんのじょう、ガスパールはその中身を口に含むなり目を白黒させた。


『おいしーのだ! すごくおいしーのだ!!』

 しかし、すぐにその表情に歓喜の色が浮かぶ。

「えぇっ!?」

 なんという予想外の展開!? もしかして……本当においしいのか?

 内心首をかしげつつも、俺は思い切ってその煮えたぎる鍋をお玉でひとすくいして口に含む。

 次の瞬間……。


「うぼあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあびゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 俺は口の中に入れた瞬間にそれを吐き出し、叫びながら床を転がった。

 あかん、これは毒だ! 美味しくするどころか不味さがパワーアップしている!?


『みんなー かおるがおいしいものつくったよー!』

『えー なになに? おいしそーなにおいー』

『たべるのー たべるのー』

『かおるー なんでゆかにころがってぴくぴくしているの? おひるね?』

 ガスパールに呼ばれたドラゴンたちが、人間の姿になって次々と部屋に入り込んでくる。

 そして次々にあの恐ろしい激マズシチューを口にするのだが……。


『おいしー!』

『うま、うま、おかわりきぼうなのー』

 そろいもそろって美味い美味いと大絶賛。

 あっというまにカラッポになった。

 いったいどうなっている? こんなに絶望的な味がするのか!!


「な……なぜに!?」

 そう呟きながら、ふと頭にひらめいた。

 あ、もしかして……人間にとってはマズくても、ドラゴンにとっては美味なのか?


 ずっと俺の作ったカレーを美味そうに食っていたから、てっきりドラゴンと人間ではあまり味覚が変わらないものだと思っていたのだが……どうやらここにきて大きな差異を発見してしまったらしい。

 そんなかんじで、水で口をゆすぎつつやりきれない気持ちに折り合いをつけていると、ふと妙なことに気がついた。


「ちょっとまて、ガスパール! お前、体が……なんか光っているし!」

 しかも、内側から光が出ている感じである。

 いったい何がおきた?

 あわてて精査を発動して現象の解析を始めるも、情報量が莫大過ぎて理解がおいつかない。

 そうしている間にガスパール以外のドラゴンも光だし、しかもその光の量が増してゆく。


『ふおぉぉぉぉぉぉぉ! なんか目覚めそうなのだ!』

 感極まったようにガスパールが吼えた瞬間、光の量が爆発的に増大し、部屋の中が真っ白に染まって何も見えなくなる。

 ダメだ、失敗だ! やはりアレは口にしてよいものじゃなかったんだ!!

 くそっ、何が起きている!? まさか命にかかわるようなことにはならないよな? 体が爆発したりしないよな!? 

 嫌な予感ばかりが怒涛のように俺の脳裏をよぎる。


「そんなのは嫌だ! 誰か、誰か俺の家族を助けてくれ!!」

 俺はまぶしさのあまり目を開ける事ができず、大事なドラゴンたちに何かが起きているという不安に耐え切れず恥も外聞も無く叫んだ。

 だが、そんな助けなどどこからも入るはずもなく……俺はガクガクと震えながら輝きが納まるのを待つことしか出来なかった。


 しかし、謎の発光のあとは特に妙な事も無く、次第に光の量が下がってゆく。

「えっと……大丈夫……なのか?」

 光が収まったらしいので、俺はおそるおそる目を開いた。

 すると、そこには全身の鱗が虹色の光沢をもつドラゴンたちがいるではないか。


『なんともないのだ! 絶好調なのだ!!』

 俺の声に、虹色に輝くドラゴンがこたえる。

 その声は、ガスパール?

 だが、体の色がまったく違うぞ。


「うげ……種族がかわってる?」

 好奇心にかられて精査をかけ、俺は思わず声を漏らした。

 ガスパールの種族が、ドラゴンからホーリードラゴンにかわってしまっていたからだ。


 どうやら、俺の作ったあのカレーは【聖属性の魔法を与える】ではなくて【聖属性の生き物に進化させる】という代物になっていたようである。

 いや、この精査による分析結果……もしかしたら【聖属性の魔法を使える=聖属性の生き物に進化する】なのか!?


 つまり……もしもあのカレーを食べていたら、自分も違う種族に変化していたかもしれない。

 そんな事を考えて、俺は思わず背筋にうすら寒いものを感じた。

 いくらなんでも、人間をやめてまで聖属性の力を使いたいかと聞かれたら、ちょっと考えさせてくれといいたくなる。


 まてよ? 種族を……かえる?

 そこで俺は、一つのプランを思いついた。


「あ、これ、もしかして使えるかもしれんな」

 俺は自分の思いつきを精査にかけて、成功する確率を算出する。

 そして思うような結果を手にし、思わずにやりとほくそ笑んだ。


『かおるー かれーなくなっちゃったよ。 おかわりないの?』

「ごめんな、ガスパール。 そのカレーはちょっとこの世に存在する事が許されないんだ……そんな目で見るなよ」

 だが、すぐに作戦に入ろうとした俺の動きを、無数のうるんだ瞳が絡めとる。


『えー ダメなの?』

『カレーほしいのー』

『かおるー かれーたべたいー』

 ぐおぉぉぉぉぉ、圧力が! 抗いがたき圧力が俺を襲う!?


 おれがそのままドラゴン用にカレーを作り始めることになったのは言うまでもない。


 なお、ガスパールたちはクローブの薫りが好きなわけではなく、竜魅了体質を持つ俺が作ったものであればなんでも美味しく食べる事ができる……という事実に気づいたのは、おかわりのカレーを三回ほど作った後であった。

 結局、あのカレーはクソ不味いんじゃねぇかよ! 完全に騙された!!

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