2章 第18話

「よし、こんなものかな」

 俺はとろみの無いスープカレーを混ぜる手を止めて、一人頷いた。


「さて、お味は……って、そんな事しても意味無いか」

 一瞬、癖で味見をしようと思ったが、ふとその必要が無いことを思い出して手を止める。


『かおるー かれーできたの?』

「できたけど、これはガスパールが食べちゃいけないヤツな」

 隣からヌッと顔を出したガスパールの鼻面を、俺はお玉レードルの先でコンコンと叩いて下がらせる。

 ……こらっ、そんなキューキューなきそうな顔をしてもダメだぞ?

 なにせ、これは対ヒイシ用に作った『強制人化カレー』だからな!


 そう、俺が考え付いたのは、邪神に常時発動型パッシブのスキルのついたカレーを食わせ、人間にしてしまうことだったのである。

 普通ならばカレーを食わせるために色々と手段を考えなくてはならないのだが、なにせ相手は植物だ。

 植物の特性上、宿っている植物の根っこに巻けば勝手に吸い上げてしまうのである。

 いかな邪神といえど、こればかりはどうしようもないはずだ。


「ただ、作るカレーの量に限りがあるのでこのままでは役に立たないんだよなぁ」

 そう、相手は広大な森の化身である。

 薄めて使うにせよ、森の全ての樹木の根っこにカレーをぶちまけるのは無理というものだ。


 そんな事を考えつつ、俺はカレーを作り終えて用のなくなった炭火をスコップですくい、そのまま横にいたガスパールのほうに放り投げる。

 すると、口をあけたガスパールが空中で器用にそれをキャッチして、赤々と光る炭火を美味しそうにボリボリと咀嚼しはじめた。


『うまー! かおるー もっとほしいのだ!』

 大きく口を開け、お代わりをねだるガスパール。

 ……ほんと、俺の手に触れたものであれば、本当になんでも美味しく食べる事ができるんだな。

 まぁ、今からこいつらにもひと働きしてもらうことになるから、先にオヤツを与えておくのもいいだろう。


「ほら、お前等もこっちにこい。 一人一口ずつな」

 俺は残った炭火をバケツにいれると、部屋の外からしょんぼりとした顔でこちらを覗いているほかのドラゴンたちに与えることにした。

 なお、彼らがこの部屋の中にいないのは、ガスパールがけっこうなヤキモチ焼きだからである。

 今も仲間に嫉妬しているのか、別のドラゴンをかまおうとする俺のシャツの襟を口吻の先に咥えたまま離してくれない。


『かおるー! ぼくのおかわりがさきなのだー!』

「はいはい。 そんなわがまま言わない。 ちゃんとあとでご飯あげるから、服をはなしなさい」

 さて、邪神ヒイシにカレーを食わせる具体的な方法だが……テオドールたちゴブリンの伝承を元に、俺は一つの仮説を立てていた。

 それは、ヒイシの正体が森の木々による集団意識だとして、それが森に生えている全ての植物の総意とは限らないのではないかということである。


 たとえばであるが……日本人と言う集団意識が、県民性や地域性といったものでいくつものグループに分かれるように、森の集団意識と言うものもいくつかに分ける事ができて、ヒイシとはその中におけるひとつのグループに過ぎないのではないかと言うことだ。


 でなければ、ゴブリンたちに伝わる伝承に違和感が生じてしまうからである。

 つまり、それらは森というひとつの体の中に生じた別人格のようなものであり、ヒイシという意識の集合体を別の意識を使って押さえ込むというのが、今までゴブリン達が行ってきた儀式なのではないかということだ。

 そして、それが事実ならばさらに分かる事がある。


「……たぶん、あれは植物を記録媒体とした情報生命体と見るのが正しいんだろうな」

 そもそも植物と言うのは、自我と他者の境目があいまいな生き物である。

 ヒイシは、そんな植物の同調性や異化作用の薄さ、そして魔法が存在するというこの世界の物理現象を利用して存在している実体の無い存在ではないのだろうか。


「さらに厳密に言うならば、その情報を伝達する媒体は匂いだろうな」

 俺はガスパールたちに食わせる食料を大量に用意しながら、さらにヒイシの正体について考える。

 思い出したのは、植物同士の情報伝達の方法だ。


 植物がヒイシという情報生命体の記録媒体である事が真実だとしても、そのヒイシという情報データを外に出力できなければたいした脅威では無い。

 ヒイシの怖さは、他の植物に自らの情報をコピーしてヒイシ化させることで、森がある限り無制限に自分を拡大させてゆくところにあるからだ。


 現代人ならば、ヒイシをコンピューターウィルスのようなものだと定義すると分かりやすいだろう。

 つまり、記憶媒体であるハードディスクだけがあっても意味は無い。

 それはインターネット環境が伴うことではじめて脅威となるのだ。

 では、樹木がハードディスクとして、インターネットは何に当たるのか?


 樹木とは、匂いによって周囲の樹木に信号を送る存在である。

 一本の樹木が虫に齧られると、その樹木は周囲に危険信号となる匂いを撒き散らし、その結果として周囲の植物は自分の体の中に毒物を作り出すことでその虫の脅威に対抗するのだ。

 つまり、匂いは植物にとっての情報伝達手段であり、インターネットなのである。

 そしてこの理屈を元にして考えたのだが……この森を覆う瘴気とは、ヒイシという情報と魔力をのせた森の香りなのではないだろうか?


 そう考えると、ヒイシの行動にも納得が行く。

 俺が作った薬玉ポマンダーを避けたのは、強い匂いと魔力によって自分を形成する情報を乱されるのが嫌だったからではないだろうか?

 そしてグッサンの霧をよけずに浄化されてしまったのは、それが匂いを伴うものではなかったからではないからという可能性が高い。

 ようするに、ヤツにとっては爪の先を切られるのか、爪の一部ががんになるのかの違いであり、後者のほうが厄介なのは言うまでもないだろう。


 全ては仮説に過ぎないが、精査によって得られた情報と統合するとそれが正解なのだとしか思えない。

 ならば、どう対応するか?


 おそらくコンピューターウィルスに対応するときと同じように振舞えばいい。

 まず、薬玉ポマンダーというセキュリティーソフトを利用してヒイシウィルスの感染経路をふさぐのだ。

 そしてヒイシウィルスに感染した樹木を浄化する……いや、いっそ木を切り倒すのもひとつの選択である。


 つまり、ここでガスパールたちドラゴンの出番だ。

 ヒイシの媒体である森の木々を処理してもらうのに、彼らほど適役はいない。


 新しく身につけた聖属性の力で浄化できればよし。 できなければそのまま汚染された樹木を焼き払ってしまえばいい。

 環境破壊?

 生憎とこの世界はまだそんな問題を考える必要はなくてね。

 あとは行き場をなくしたヒイシを狭い場所に追い込み、強制人化カレーで媒体である樹木ごと人間に変えてしまえばいい。

 人の体では、ヒイシの本体である香りを外に出す事はできないはずだ。


 ……ただし、問題はその強制人化の効力がいつまで続くかと言うことである。

 最近わかったことだが、どうやら俺のカレーによって身についた能力は、無期限に使用できるものでは無いらしい。

 中には完全に定着するケースもあるようなのだが、基本的に数年単位の時間をかけてその力が薄まってゆき、最後にはまったく効果をもたなくなるようなのだ。

 まぁ、邪神と呼べるほどの存在を数年とはいえ無効化できるならばそれはそれでヨシとすべきだろう。

 そうして時間を稼いでいるうちに、次のもっと良い方法を考えればいい。

 

 ちなみにヒイシを森ごと完全に滅ぼしたりしないのは、そんな事をすれば他の森の意識グループが恐怖を感じて次のヒイシとなるからである。

 さすがの俺も、妖魔の森を残らず灰にするのは抵抗があるし、テオドールたちの居場所を奪ってしまうとしばらく夢見が悪くなりそうだからだ。


「さて、考え事ばかりしていても仕方が無い。 そろそろヒイシと対決といきますか! 行くぞ、ガスパール!」

 両手で顔を叩いて気合をいれ、俺はふたたび邪神と対決するために立ち上がり、ガスパールを振り返る。

 だが……。


「ガスパール?」

『はふーん……おなか一杯でもうだめなのだー』

『おひるねー ごろごろー』

『かおるー おなかなでなでしてー』

 そこには、満腹になったドラゴンたちが魚河岸のマグロのようになって転がっていた。

 うん。 ダメだな、これは。


 何かを諦めた俺は、そのままどっかりと地面に座り込み、ガスパールの腹に背中を預けて天井を見上げる。

「時間……あんまり無いんだけどな。 今日中にケリをつけたいんだよなぁ」

 おもわずそんな愚痴を漏らしてしまうが、おねむになったドラゴンたちの耳に届くはずもない。

 結局、ドラゴンたちがお昼寝からさめるまで作戦は延期になってしまうのであった。



 そして二時間ほどドラゴンの昼寝に付き合った後である。


「待たせたな、邪神って……あれ?」

 人化したドラゴンたちを連れて隠れ家に戻ってきた俺だが、転移してみるとなぜか邪神の姿はどこにもみあたらなかった。

 どこにいったのかと軽く精査をかけてみたが、すくなくとも1km以内にはいないようである。

 いったいどこに行ったというんだ?

 その行方についても、ここを離れた理由についても、まったく見当がつかなかった。


 だいたい向こうは百年単位で生きているような存在だから、この程度待たせたぐらいで気が変わってしまうとも思えないし、この隠れ家の破壊を諦めるとも思えない。

 つまりヒイシの気がかわるか優先すべき何かが起きたということになるのだが……。


 その時、ガスパールが戸惑うように口を開いた。

「カオル、どこか遠くから悲鳴が聞こえるよ」

「なんだと?」

「あと、なんかこげくさい」

 言われてみれば、かすかに何かが焦げる臭いがする。


 まさか……。


「ガスパール! 悪いけど、ドラゴンの姿に戻って俺を空の上に連れて行ってくれ!」

「いいよー」

 そしてガスパールの上に跨って空から森を見下ろした俺が見たのは、想像以上に性質の悪い現状であった。

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