2章 エピローグ

 異世界においてヒイシの騒動が解決した月曜。

 総務課のみならず、社を代表する名物社員としても有名な"狂犬コニタン"こと小西馨こにし かおる係長が、体調不良のためにしばらく自宅勤務に入る……。

 そんな連絡が、家族であるという女性を通じて会社に届いたのはつい先刻のことだった。

 実に珍しいことである。


 むろん、普段から彼の圧制に苦しめられてきた(自称)被害者たちがそんな絶好の機会が見逃すはずもなく、各部署から総務へと、身勝手な要望が怒涛のように押し寄せた。

 そんな連中の中には、先日小西係長によって撃退された営業部の面々もいるわけで……。


「……と言うわけで、営業部の貴重な時間を翻訳に割くよりは、君たち総務部に任せたほうが効率がよいというのが、我々営業部の判断だ」

 そんな都合のいいことを口にしているのは、営業部の部長だった。


 彼の横には、腰ぎんちゃくのように営業部の課長が二人ほどくっついている。

 どちらも、ふだんは小西係長が怖くてめったに顔を出さない人間だ。

 総務課の面子から冷ややかな視線が降り注いでいるが、本人たちは気づいていないのか……あるいは単に無視しているのか、いずれにせよ勝ち誇ったようなニヤケ面は、営業を任せるのが不安になるほど魅力が不足していた。


「その件についてですが……このところ総務に寄せられた翻訳の手伝いに関する事例を検証した結果、あまりにも社員の語学力が低いのではないかという懸念がうちの小西からあがっておりまして」

「そ、そうなのかね?」

 小西の名に、部長の顔が微妙に引きつる。

 そして横にいる営業一課と営業二課の課長たちを振り返ると、腰ぎんちゃく二匹は不機嫌もあらわに次々と吼え始めた。


「いったい何を根拠に!」

「うちの課のものの語学力が低いというなら、その根拠を示してもらおうじゃないか!!」

 こんなときばかりは勇ましい営業の課長二人に苦笑しながらも、山口課長はニコニコとおとなしい犬のような顔のまま小さな山のように積み重なったファイルを指し示し、その中の一冊を営業部長に差し出してから告げた。


「どうぞ。 小西係長によって作成された資料です。 ちゃんと根拠も添えた代物ですのでご参考になるかと」

 営業部長は怪訝な顔でそのファイルを受け取り、その内容を一読するが……彼の顔は一瞬で青くなり、続いて赤くなったかと思うと、ブルブルと小刻みに震え始めた。


「……読んで見ろ」

 そして、ファイルを投げつけるようにして横にいた営業一課の課長に押し付ける。


「え? あ、は、拝見します」

 そしてファイルを開くや否や、営業一課の課長もまた絶句した。

 ファイルに記されていたのは営業の人間が行った翻訳に対する添削だったが、そこへさらに小西係長による翻訳能力の評価が添付されており、それがまた執拗かつ熾烈を極める内容だったのである。

 要約すると、『お前等、学生以下』という意味の内容が各種検定に使用された設問と比較されながらこと細かく記されているのだ。


「お分かりでしょうか? 総務で翻訳を行う前に、営業担当の語学力がこれでは社内の業務が円滑に進まないと判断しました。

 そこで、我々は外国語に堪能な営業を育てることこそ社の利益になると思い、営業部の社員全員に外国語学習を行っていただく計画を進めております」

 続いて差し出されたのは、さまざまな言語の検定のパンフレット。

 ざっと見ただけでも七ヶ国以上の言語が含まれており、語学が苦手な連中ならば思わずその場から逃げ出したくなるような迫力だ。


「これらの外部の検定に使用された問題集をもとに学習用テキストを作り、うちの小西を中心としたメンバーが我が社独自の語学力検定を定期的に行います。

 内容としては、我が社が主に取り扱っている商品に必要な言語……英語・フランス語・イタリア語・中国語・スペイン語・ノルウェー語・スウェーデン語の中から最低一科目は受けてもらい、点数の悪い社員は小西係長から直接指導を受けていただく予定です」

 その宣言に、営業部の面々の顔が白を通り越して蒼になりはじめる。

 この期に及んで、ようやく彼らは自分たちが"ここにはいない人物"による策謀にはまってしまったことに気づきはじめた。


「あ、あまりにも一方的で急な話ではないかね!」

 難癖をつけてうやむやにしようと謀る営業部長であったが、彼らはすでに総務部の策の中。

 ぼんやりとした笑顔を浮かべたまま、山口課長はさらに追い討ちとなる言葉を口にする。


「そうそう。 小西から聞いたのですが、部長はフランス語が堪能で、昔は向こうで散々女性を口説いたと言っていたそうじゃないですか。

 まず最初に部長さんにこの検定を受けてもらって、企画に勢いをつけたいと思っているのですが……」

「わ、悪いが急用を思い出した。 失礼する!」

 山口課長の口から営業部長の自称『飲んだときの鉄板ネタ』を持ち出されると、彼は旗色が悪いと判断して即座に撤収に入った。

 なお、営業部長がパリで働いていた頃の女遍歴についてはすでに検索のスキルも交えて調査済みである。


「こ、こんな勝手は許されんからな!!」

「断固として抗議してやる!!」

 営業部長の姿が消えると、残された課長二人も捨て台詞を吐いて逃走にかかった。

 その台詞にかぶさるように、キャイーンという音が聞こえたは、おそらく幻聴であろう。


 そして営業部の面々が去った後。

「よっしゃあ、完全勝利!」

「ふっ、存外に楽であったでござるな」

 総務課のブースから歓声が響き渡った。


 そして総務部の面子が勝利に酔いしれる中、山口課長は椅子にもたれかかるようにして安堵のため息をつく。

「いや、よかった……これで後からコニタンに怒られなくてすむ」

 ――むしろ、本来ならばこれは君の出番じゃないか。 ここに君がいないことを、本当に恨めしく思うよ。

 彼の疲れきった目が雄弁にそう語る中、ふと部下たちの視線が課長である彼に注がれた。


「そういえば、小西係長っていつごろ復帰できるんですか?」

「つーか、あの小西係長が自宅勤務って、異世界ではどんな激しい戦いがあったのやら」

 その瞬間、山口課長の顔に困ったような、それでいてニヤつくような、なんとも形容しがたい表情が浮かんだ。

 小西係長が自宅勤務になった原因を知るのは、午前中のうちに彼とじかに話をしてきた彼のみである。

 そして十秒近く考え込んだ挙句、山口課長の口にした台詞は、このようなものであった。


「まぁ、ある意味すごい戦いだったみたいだね。 うん、詳細は口止めされているけど、個人的に言うと……天罰かな」

「天罰?」

「そう、天罰。 本人、今頃はクシャミでもしているんじゃないかと思うよ」


**********

「へくしょーい!!

 ……っあー、この鼻の穴から1.5センチの右側部分が痒い感覚は、たぶんグッサンだな。 畜生め」

 妖魔の森にある隠れ家の中。

 そんなオッサン臭い台詞を吐きながら俺は会社に提出する資料を作成すべくノートパソコンを弄っていた。


「あーもー、休憩。 疲れた!!」

 目の疲れを感じてパソコンの電源を切ると、暗くなったディスプレイにラフな格好をした美少女がうつりこんだ。

 そう、いつも見慣れた性格のキツそうなオッサンではなく……である。


 お分かりだろうか? 何をどう間違ったのか、これが今の俺の姿なのだ。

 いや、間違うも何も、ヒイシを引っ掛けるために口に含んでおいた強制美少女化カレーのルーが少し体の中に入ってしまったのが原因である。

 ……美少女化の部分はやめておけばよかったと、現在本気で反省中だ。


「では、少しはこちらの相手もしてもらおうか」

 その言葉と共に、ヴィクトリアンスタイルのメイド服に身をつつんだ耳の長い金髪の美少女が、つやっぽい流し目をこちらに向けつつ肩にしなだれかかってくる。

 このどこからどう見てもエルフの美少女なソレは、俺と相打ちになる形で美少女化したヒイシだ。


 あの戦いが終わってからというもの、どうも俺に対する距離が近い。

 というか、露骨に誘惑されている。

 なんでも、今回の敗北で危機感をもったらしく、屈強な体と植物を操る魔力と邪神すら上回る狡猾さをもった、最強の守護者を作るのだそうな。

 ……しかも材料は俺の遺伝子なのだそうで。


「ところで、お前はいつ男に戻るのだ?」

「今のところ不明だな。 徐々に戻りつつはある」

 自分の体の異変に気づいたのは夜が明けてすぐだった。

 俺は、声が甲高くなり始めた時点で効果解除用のカレーを作りはじめたのだが、その前準備として自分の体を精査した結果……困った事が判明したのである。

 急激な肉体の変化を頻繁に繰り返すのは危険であり、そのためにすぐに体を男に戻すようなカレーは肉体に負担がかかりすぎて作る事が出来なかったのだ。

 そのため、効果が出るまでの間は体調不良と言うことにして、自宅勤務をする事になったのだが……。


「はやく男に戻って我と子作りをしようぞ、カオル」

「しねーよ! 少なくとも今はお前と子作りをする気は無い!!」

 困ったことに体が美少女化したせいで性的嗜好まで変化したらしく、自分の視線が見舞いに来たテオドールの股間や胸板をさまよっていることに気づいた時は死にたくなったものだ。

 今もエルフの美少女がメイド服で誘惑してきているというのに、心の中のチンコがピクリともしない。

 ……エルフなのに。 ……メイドさんなのに。


「と、ところで、この服……どうだ? ガスパールたちから、お前が好きそうな服だと聞いたのだが」

 そう言いながら俺から離れると、少し顔を赤らめたヒイシが見せ付けるように軽く踊るように一回転してみせる。

 その動きにつられ、長い裾がふわりと広がり、その重い生地の下から素足がチラリと覗いた。

 ……実にいい。 いいのだが、股間がピクリとも反応できない自分が辛い。


 俺が自分の中のジレンマに苦しんでいると、不意に伸びてきた指が俺の顎を捉えた。

『無理をせず、今の自分を受け入れればいいじゃないか。 カオル……男に戻る前に俺と子作りをしないか?』

「失せろ、テオドール! お前に節操と言うものはないのか! 俺はもともと男だぞ!!

 どうせならヒイシのほうを口説け!!」

『そっちは口説いて、すでにふられた。 初めてはお前がいいそうだ。

 だからお前の初めては俺がいただくことにした』

「理屈が意味不明だ、馬鹿野郎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 耳元で囁かれた頭の悪い口説き文句にそんな台詞をたたき返しながらも、胸がドキドキする自分がいることに気づいてすさまじい嫌悪感に囚われる。

 あぁ、早く男に戻りたい。

 こんな状態が続いたら、俺の頭がおかしくなっちまう!!


 そんな風に俺が身悶えていると、危機を感じて駆けつけてきたのだろう。

 上から大きな羽ばたきの音が聞こえてきた。


『だめー! カオルはぼくたちのものなのだ!!』

『みなのものー! せんそうじゃー であえであえー』

 そして頭上に響く着地の振動。

 嫌な予感が雷鳴のように駆け抜け、テオドールとヒイシがものすごい勢いで部屋から逃げ出す。

 続いて響く、ベキッと何か柱のようなものがというより柱が折れる音。


「うわぁぁぁぁっ、よせ、お前等! 俺は仕事中なの!って……いい加減にしろぉっ!!」

 傾く部屋からパソコンを持って逃げ出しつつ、俺は天を呪うように心の中で呟いた。


 ――どうやら、今週もこの隠れ家は完成できないようである。

 竜使いと建築は、どうやら相性が悪いらしい。


 俺の背後で、耳慣れた倒壊音が響いた。

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竜使いの週末 卯堂 成隆 @S_Udou

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