竜使いの週末
卯堂 成隆
第1話
週末になると、俺はカレーを作ることにしている。
とは言っても、わりと最近はじめた話だがな。
仕事に追われすぎていると、家に帰っても目を閉じればなぜか仕事をしているような錯覚を覚えることは無いだろうか?
そんな呪いのような状況を断ち切る儀式が、俺にとっての料理なのだ。
幸いなことに俺の職場は飲み会が盛んではなく、金曜の夜は仕事さえ終われば自由な時間が待っている。
なので一人の時間を有意義に使うため、俺は学生時代に趣味だった料理をもう一度はじめることに決めたのだ。
そして、たまたま目に付いた輸入食料の店にフラリと入り込み、スパイスの並んだ棚を見てふとこう思ったのである。
……そうだ、スパイスからカレーを作ろう。
誰だって一度ぐらいは夢にみるだろ?
無数のスパイスを自由に操り、自分だけのオリジナルのとんでもなく美味いカレーを作ることを。
そのまま必要な材料を買い込むと、俺はさっそく自分だけのカレーを作ることにした。
……とは言っても、まずは基礎からだ。
カレーといえば、何十種類もあるスパイスを幾つも混ぜ合わせるイメージがあるが、それは大きな間違いである。
そもそも、そんなたくさんのスパイスを最初から使いこなすのは不可能だし、入れたところで違いがわからない。
それどころか、フェヌグリークなどの上級者向けのスパイスを突っ込んでローストに失敗でもすれば、苦くて食えたものではない異物が出来上がるのだ。
カレーの基本は四つのスパイス。
味の基本になるターメリック、香りの元であるクミン、辛味の元であるチリペッパー、そして風味をさわやかに変化させるコリアンダー。
これだけあればちゃんとしたカレーを作ることが出来る。
だが、これだけで外食や市販のルート同じ味を期待してはいけない。
あれはプロの業者が他にも何十種類ものスパイスを入れ、小麦粉でとろみを出し、豚や牛の脂をこれでもかと思うほど突っ込んで初めて実現する味なのだ。
なら、なぜあえてスパイスから作るのか?
それは……楽しいからだ。
本当は市販のルーをいくつも組み合わせたほうが手軽においしく作ることが出来るのは知っているが、これはただおいしいものを食べるというだけでなく、料理を作るという娯楽なのである。
おっと、またコリアンダーの粒が逃げた。
擂り鉢でスパイスを粉にするのは面倒だが、粒から引いたほうが香りがいいので、こればっかりは譲れない。
「お、完成か」
そんな妄想をしている間に、どうやらビーフカレーの煮込み時間が終わったようだ。
100円ショップで買ってきたキッチンタイマーがジリリとけたたましい音を立てる。
早速俺はカレー専用の黒いお玉でルーをすくい、あつあつのご飯をよそった茶碗にかけて一口味見。
うん、今日も美味い!!
だが、もう一口味見をしようとした瞬間である。
突然、周囲が強い光に包まれ、気が付くと俺は真っ暗な場所で一人たたずんでいた。
「ここは……どこだ?」
少なくとも、俺の住んでいるアパートの中ではない。
足元には石と砂利が転がっており、しかもじっとりと湿っている
どうやら、ここはどこかの洞窟のようだ。
遠くから白い光が漏れて、周囲をぼんやりと照らしている。
いや、それはおかしい。
今はもう20時を過ぎた時刻のはずだ。
ならば、これが太陽の光のはずが無い。
だが、こうも真っ暗な状況では、ただそれだけで不安を覚えるものである。
俺は電灯に群がる羽虫のように、半ば無意識でカレーの鍋を持ったまま明るい方向に移動をはじめた。
あぁ、くそ。 足場が悪くて、室内用のスリッパでは動きにくい。
だが、そのときである。
突然、後ろからなにやら生暖かい風を感じて俺は思わず振り返った。
すると、見上げるほどの高さの場所に赤い光が二つ灯っている。
いや、あれは明かりではない。
……目だ。
そう判断するのと同時に、地響きを立てながらものすごい勢いでその生き物の顔が近づいてきた。
――ドラゴン!?
生き物が近づいてきたことで、ぼんやりとそのシルエットが浮かび上がる。
まるで鰐のような顔、蛇のように長い首、蝙蝠のような翼
それは、どう見てもドラゴンとしか言いようのない姿をしていた。
そしてその生き物は大きな口を開き、俺を頭からがぶりと……おや? 痛くないぞ?
うひっ!?
食われると思った瞬間、俺の顔をべっちょりと生臭くて湿ったものが包む。
しばし混乱した俺だが、数秒ほどで俺はそれがドラゴンの舌だと理解した。
「ふうーんっ! ふうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん!!」
甘えた声を出しながら、ドラゴンは俺を涎まみれにし、その巨大な歯を俺の体に押し当てるようにして……たぶん甘噛みをしている。
まるでマタタビを前にした猫のようだ。
――なんか、なつかれてる?
そしてしばらくすると、ひととおり嘗め回して満足したのか、ドラゴンは気持ちよそうに寝そべっていびきをかきはじめた。
よし、今のうちだ。
俺はふたたびカレーの鍋を抱えると、フラフラになりながら外に出る。
だが、俺はすぐさま後悔することになった。
「おわぁっ! なんだこりゃ!?」
なぜなら、そこは断崖絶壁であり、海鳥のコロニーよろしくドラゴンの群れがひしめき合っていたからである。
そして俺の存在に気づいた瞬間、甘えた声を出しながら群がってくるドラゴンの群れ。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ふうーんっ! ふうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅん!!」
俺が無数の巨大な舌の洗礼を受けたのは言うまでもない。
「い、いろんな意味で死ぬかと思った」
ようやくドラゴンから開放された俺は、今にも崩れ落ちそうな足取りで元の洞窟の奥へと逃げ込んだ。
どうせ舌でベロベロされるなら、せめて一匹のほうがマシである。
……というか、あれじゃとてもここから逃げ出すのは無理だ。
いや、そもそもここってどう考えても地球じゃないよな。
まさか、異世界転移ってやつか?
だとしたら、どうやって帰ればいいのだろう。
「とりあえず、腹が減ったな」
思えば、夕食を食べる寸前だったのだ。
俺は持っていたカレー鍋にお玉を突っ込むと、ナンもご飯もなしにカレーをすすった。
その瞬間である。
なにやら妙な文字が目の前に浮かび上がった。
「な、なんだこりゃ?
ビーフカレー(精査付与)。 食べると精査の特殊能力がつく?」
どうやら、異世界転移のお約束というやつで、特殊能力がついていたらしい。
ただし、カレーに。
「えっと、もしかして俺にもなんかついている?」
俺は自分の手を見つめ、意識を集中する。
だが、残念なことに、詳細なステータスなるものは表示されなかった。
ただし……こんな文字が表示されたのである。
職業:カレーの魔術師
特殊能力:マジカルスパイス/竜魅了体質/精査
どうやら、俺にもしっかりとチートは刻まれていたらしい。
でもなぁ。
なんというか……すごいのかすごくないのかわからないな。
正直、微妙だ。
「とりあえず、これからどうしようか?
なんとかして日本に帰る方法を探したいのだが……。
この状況だと、人のいる町に行くのもちょっと厳しいよな」
とりあえず、カレーを食べてのどが渇いた。
あと、休む場所と飲み物がほしい。
「洞窟の中に水場がないかな」
鍾乳洞でもなければそんな可能性は無いのだが、とりあえず何もしないよりはマシである。
すると、頭の中に近くに存在する水場の位置がなぜか浮かび上がる。
……どうやら精査という能力は、俺の知りたいと思ったことを不思議な力で調べ上げてくれる能力のようだ。
おそろしく便利な能力だが、異世界をわたったチートカレーを食べるだけで誰にでも身につくというのはさらに恐ろしい話だと思う。
そして洞窟を探索しはじめて5分ほど。
「す、すげぇ!!」
目の前には、金色の山、山、山!
なんと、俺はドラゴンの溜め込んだ財宝を見つけてしまったのである。
日本に持ち帰ったらどれほどの金額になるだろうか?
まさに金貨の風呂でも作れそうな量の黄金だ。
いや、黄金だけではない。
なにやら怪しげな形をしたオブジェもいくつも転がっているではないか。
「も、もしかして魔法のアーティファクトとかだったりして……」
そんなことを考えながら、俺は紺色に輝く金属性の腕輪を拾い上げる。
「なになに、転移の腕輪? 一度でも行った事のある場所に瞬間移動できる?
もしかして、これで元のアパートに戻ることができるんじゃ……」
そう思いつつ俺は腕輪を身につけると、目を閉じて元のアパートの部屋を思い浮かべた。
すると次の瞬間、空気の匂いが変わる。
「……え?」
目を開けると、そこは間違いなく俺の自宅であった。
「夢……だったのか?」
あわてて腕輪をつけた場所を見ると、なぜかそこにはトライバル系の黒い刺青が刻まれているではないか。
「えぇっ、なんで!?」
驚いて大きな声を上げると、目の前に再び文字が現れる。
転移の紋章:転移の腕輪の本体。 異世界転移によって腕輪が崩壊し、その内部の術式が安定しようとして
……理解した。
どうやら、俺は日帰り系ファンタジーの主人公になってしまったようである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます