2章 第5話

「お、ようやくきたみたいだな」

 濃い緑の香りの漂う森の中。

 青い空に点々と浮かぶ黒い粒のようなものを見上げ、俺は誰へともなしにそう呟いた。


 説明するまでもないかもしれないが、黒い粒のように見えるのは俺の部下たちを乗せたドラゴンである。


 さて、なぜ俺が一人で先に到着しているかと言うと、単純に装備の違いのせいだ。

 やはり馬銜はみも鞍もない裸のドラゴンに乗るのはかなりの無理があったらしい。

 ドラゴンたちも安全性には気を使ってくれたのかあまりスピードが出せず、気が付いたら彼らの姿は見えなくなっていた。


 妖魔の森の一角……倒れた幹の高さが俺の腰辺りに届くような倒木(年輪を数えたが十二しかなかった)に腰をかけて後続の到着を待っていると、やがて翼を広げたドラゴンたちが次々に舞い降りる。

 その口元には、襟首を咥えられたままで真っ青な顔をしたグッサンたちの姿があった。


 ……なるほど。 後の事は彼らとドラゴンに任せたが、こういう結果になったか。

 翻訳の能力を与えたんだから、もう少し工夫する余地もあっただろうに。


「コニタン……一発殴っていいか?」

 そんな考えが顔に出たのか、ようやくやってきたグッサンは、息も絶え絶えになりつつ前かがみの姿勢のまま恨めしげに俺を見上げた。


「悪いとは思っているが、やめておけ?

 前にもほのめかしたが、ドラゴンに襲われてもしらんぞ」

 そう告げると、グッサンはぐぬぬと唸り声を上げ、俺の隣で船をこいでいたガスパールはふぁぁぁぁっと大きな欠伸をする。


「山口課長……小西係長に不満をぶつけても仕方が無いですよ。 課長が一番よく知っているでしょ」

「わかってるけど、わかってるけど、このやるせない気持ちはどこにぶつけたら!!」

 いや、お前ら俺を睨みながら言うなよ。

 どうやら、ドラゴンたちに襟首を咥えられた状態での空の旅は、彼ら全員のお気に召さなかったらしい。

 まぁ、俺も嫌だけど。


 よく考えたら、俺だけが現場に行って、あとで全員を転移させればよかったんだが……その場のノリでついて来いなんて言っちまったしなぁ。

 次はその場の空気に流されないよう気をつけよう。


「まぁ、拠点が完成したら、そのあたりのゴブリン相手にぶつければいいんじゃねぇか?

 たまに話がわかる奴もいるけど、基本的に頭の中がヤクザかチンピラみたいな連中だからぶっ殺してもかまわないし。

 向こうだってこっちの顔を見るといきなり襲ってくるしな」

 いや、ヤクザもチンピラも姿を見ただけで殺しにきたりはしないか。

 そう考えると、ゴブリンとはとんでもなく凶暴な連中である。 むろん、ストレス解消で奴らを襲う我々人間はさらに凶悪な生き物ではあると言うべきだが。


『カオルー ごぶりん、たべにゆきたい。 いい?』

 ゴブリンが話題に出たので、食欲が刺激されたのだろう。

 ガスパールは眠そうに目を半分閉じたまま俺の服の袖を咥えて引っ張った。


「あー みんないなくなると困るから、何人か残して交代しながら食べてくるといい。

 でも、テオドールの仲間だけは見逃してやれよ?」

 テオドールとは、以前俺が潰してしまったゴブリン達の集落の王だったゴブリンだ。

 妖魔の森に来るたびになぜか頻繁に顔を合わせるので、奴に請われて名前をつけてやったのである。 ちなみに、わりと最近のことだ。


『わかったー』

 ガスパールは嬉しそうに一声つげると、仲間を引き連れて森の奥へと飛んでいった。

 やれやれ、この森に住むゴブリン達にとっては厄日の始まりだな。


「さて、とりあえず話を勧めよう。 ここがこの森での拠点候補だが、どうだ?」

 俺がそう声をかけると、すでに部下たちは空の散歩の恐怖から立ち直っており、検索を使ってこの場所の下調べを開始している。

 このあたりの動きの立ち直りの速さはさすがだ。


「いい感じですね」

「水場も近いし、地盤もしっかりしています」

 妖魔の森は思っていたより条件が良かったらしく、特に不満を述べる者はいない。


「いいのか? 他にもまだいくつか候補地があるが」

 俺が念のためにそう問いかけてみると、彼らは一様に唇を吊り上げてニヤリと笑った。


「秘密基地はひとつでなくてもいいんでしょ?

 だったら、練習がてらここに拠点を作っちゃいましょう」

「賛成! 思ったより景色も悪くないしね!」

 こんな感じで部下たちが盛り上がる中、わが盟友であるグッサンはというと……眉間に皺を寄せながらコップを片手にウンウンと唸っている。


 いったい何をしているんだ?

 そう思った瞬間である。


「うわぁぁっ!?」

 ズドンッ!と激しい音とともにグッサンの手にしたコップが爆発した。

 同時に白い水煙が衝撃と共に押し寄せ、周囲は一瞬にして濃い霧に覆われる。


 何かの能力によるものか、やたらと濃い霧だ。

 視界は1メートルにも満たない。


「グッサン!?」

 俺はあわてて白い煙を掻き分け、彼の元に駆け寄った。

 すると……。


「うへぇ……一気に力を入れすぎると爆発するのか。 こりゃ色々と使い方を考えないとダメだな」

 上半身を起こす音とともに、能天気なグッサンの声が響き渡る。


 あの爆発にも関わらず、どうやら奴は無事らしい。

 次の瞬間、彼の制御を受けたのだろうか……白い闇のようになっていた水蒸気がサッと分かれて視界がクリアになる。


「お、お前な……何かするなら一言声をかけろよ! びっくりするだろ!!」

「コニタンに言われたくないなぁ、それは」

 おもわず文句を言ってみたが、そう切り返されるとさすがにぐうの音も出ない。


「で、何をしていたんだ?」

「あぁ、しばらくここで作業することになると思ったから、妖魔よけの結界だよ」

「妖魔よけ?」

 つまりこの霧はただの水蒸気ではないということか。


「検索を使ってみたところ、妖魔ってのは塩水が苦手らしい。

 だから連中が苦手としている塩水を霧状にして周囲を覆う結界にしてみたんだが、どうやら新しい技としてこの世界に認識されたようだね。

 制御のコツもなんとなくわかったから、次からは爆発しないと思う」

 なるほど、この白い霧は全部塩水なのか。

 効果のほうは……十分だな。 精査で周囲を探ってみたところ、俺達の様子を見にきたゴブリンが血反吐を吐きながら逃げ出しているようである。


 妖魔よけというよりは、もはや妖魔大量殺戮兵器だな。

 この霧がある限り、ゴブリン共が近寄ってくることは無いだろう。


 しかし……これが得たばかりの能力だというのだから、イレギュラー系の職能とは恐ろしいものである。

 とはいえ、本来は奴の煙使いの能力に直接的な攻撃手段や防御手段は存在しないらしい。

 触媒から煙を生み出し、その動きを自在を自由に操る……それだけの力なのだ。

 これはあくまでもグッサンが編み出した応用である。


 なお、俺が知る限り、この世界の現地人の職が扱う能力はこんなに条件限定ピーキーでも奇抜トリッキーでもない。

 俺のカレーの魔術師にしても、スパイスが容易に手に入る現代人の俺でなければほとんど使い道が無い代物だ。

 現地の人間にスパイスを触媒にして魔術を使うことが出来るということを説明しても、おそらくはコストがかかりすぎて興味すら示してもらえないだろう。


 そんな事を考えていると、今度は倒木や岩が音も立てずにズブズブと沈み始めた。

「こ、こんどは何だ!?」

「あ、小西係長。 私です。

 地面を一時的に沼地に変える能力があったので、整地に応用してみようと思いまして」

 俺の声に応えたのは、沼使いの職を得ていた百池だった。

 なるほど、見れば周囲の土が水平で均等にならされている。

 日本に帰って土建屋にでも就職したら、さぞや重宝されるだろうな。


「……悪くは無いが、倒木が沈んだままだと地盤がそこだけ不安定になるかもしれん。

 誰か相性のよさそうな能力を持ったやつを探して、そのあたりも対処しておけ」

「わかりました!」

 普段の仕事の時よりも生き生きとしている百池を見て、俺は思わず唇の端をほころばせた。

 どうやらこの異世界来訪は彼女にとってもいい気分転換になっているらしい。


 だが、そこに不満を覚えるモノがいた。

「おわぁぁっ! なんだ!?」

 不意に後ろから襟首をつかまれ、俺の体が空中に持ち上げられる。

 ――何事!?

 気が付くと、いつのまにか食事から戻ってきたドラゴンたちが不満げな目で俺を見つめていた。


『カオル、カオル、ぼくもすづくりする! みんなですづくりてつだうのだ!』

『どらごん、すをつくるの! いまのすあなも、みんなでつくったのー』

 なるほど、俺が百地や他の連中を褒めていたので、やきもちをやいているらしい。

 なんともかわいい奴らである。


 しかし……ドラゴンとは巣作りをする生き物だったのか。

 単に大きな洞窟を巣穴として利用しているだけだと思っていたのだが、どうやら何か違うらしい。

 ちょっと興味があるな。


「わかった。 じゃあ、ガスパールたちも手伝ってくれないか?」

『やるのー』

『やるのだー』


 俺が笑顔で手伝いを頼むと、ドラゴンたちは一斉に動き出し……地面を食べ始めた。

 なぜに!?

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