第37話 最高なわたしの居場所

 私を待っていたくせに、二人ともライブ会場の場所を知らなかった。そんな事であんな入り組んだ喫茶店によく辿り着いたものだ。二人が四苦八苦しながらトラッシュボックスを探し当てた光景が目に浮かんで微笑ましい。


 渋谷のアスファルトがしたたかに日に打ち付けられて、じりじりと音が聞こえてくるようだ。高く上がった太陽が真上から、日陰をしらみつぶしに消している。リコちゃんと太陽には何かの因縁でもあるのだろうか。


 立っているだけで汗が流れる。ふと、かおりちゃんと目があった。かおりちゃんはにっこり微笑んで私に顔を近づけた。そして肩に手を回すと小声で話しかけてきた。


「奥山さんは今は大丈夫だけど、お宅へお伺いした時には、とても混乱されていて、真奈美さんと愛花ちゃんの区別がつかなくなったり、はっきり区別していたりを繰り返していたの。だから、これからもきっと大変だと思う……でも、これからは私も一緒に頑張るから! 一緒にがんばっていこう! ね!」


 そう言い終えると、私の背中を強く叩いた。かおりちゃんは優しい、そして強い。私の中での一番のお母さんはかおりちゃんだったのかもしれない。もう一度顔を覗くと、かおりちゃんは笑顔だった。笑顔だけれど、一杯にたまった涙が今流れた。私は、今日初めて、かおりちゃんの涙を見た。涙を流しているときでさえ、彼女は笑っている。そして力強い希望の言葉を発している。


 早く気が付けばよかった。


 早く、かおりちゃんを「お母さん」って呼べばよかった。


 私には亡くした二人の父親と、亡くした一人の母親、それから、失いそうだった母親と、今見つけた頼もしい母親がいたのだ。

 私は胸が熱くなった。久しぶりに味わった、とても穏やかな気持ちだ。リコちゃんにも伝えたい「かおりちゃんって、私たちのお母さんなんじゃない?」って。リコちゃんは笑ってくれるだろうか、それとも……。


 ライブ会場は渋谷駅からほど近いビルの六階にあった。外からの見た目はこじんまりとしていたが、会場に入ると二階席まで備えた、立派な劇場と呼んでいいと思える重厚感漂うホールだった。


 会場の入り口には私でも見たことのあるような有名アーティスト等のライブ公演予定表やポスターが貼られていて、こんなところでリコちゃんはライブをやるんだと思って驚いたが、暗い照明を頼りに会場の中に入ると、重厚感を跳ね飛ばすように大勢の観客のざわざわとした熱気が充満していて会場に入るのをためらうほどだ。すでに会場は満員で、場違い感をぬぐえない三人が並んで座れそうなところはなかった。私たちは居場所を見つけられず、通路の脇の方に固まって舞台を見られる場所を何とか確保した。


 既にライブは始まっていて、予定通りならば、もうすぐリコちゃんの出番のはずだ。今はちょうど演目の切り替わりのようで、おそらく、前の演奏者がステージを片付けているところの様だった。当日のプログラムはリコちゃんがラインで教えてくれたライブ会場のホームページから辿って入手済みだ。本当は来たくてしょうがなかった。でも、どうしても、リコちゃんに返事を書くことができなかった。


 リコちゃんはどう思っているのだろうか。かおりちゃんはリコちゃんが私を助けてあげて欲しいと連絡してきたと言っていた。おかげでお母さんと、毎日続くお葬式のような日々を少し変えられるかもしれないという希望をもらえた。もちろん、簡単な事だとは思っていない。真奈美さんと私のどちらも同じぐらい大切だと言ってくれたお母さんの言葉に嘘は見当たらないけれど、私はまだ、真奈美さんを越えられない途方もなく高い壁のように感じている。私は真奈美さんに勝ちたいと思っているんだ。勝てないことも知っているし、勝つ必要もない事もわかっている。それでも欲しがっている、私は私の居場所が欲しいんだ。誰にも負けない、私だけの居場所を。


 そう思っている自分がおこがましくて吐きそうになる。私がいったい何者だというのだろうか。何の特徴のない、何にもできないこの私が、自分だけの特別な場所を得ようだなんて気持ちが悪い。リコちゃんのように、明るくて、素直で、楽しくて、いつもその場の中心にいる太陽のような子だったら、きっと何かを掴んでも良いという許可証がもらえるんだ。誰かが作った許可証が、きっと、生まれた時から背中に貼ってあって、その人だけが、欲しい何かを掴めるようになっている。


 私の背中にはきっと貼られていない。背中だから良かった。自分では見えないから。だから私はまだ生きていられるのかもしれない。


 リコちゃんは今日までの日を何を思って過ごしてきたんだろう。私が奥山家へ行った時、寂しがってくれたかな? それとも憎いだけだったろうか。リコちゃんが親戚のおうちへ行くことになったとき、どんな気持ちだったんだろう。私が奥山家に期待と不安をたくさん抱えて、やっぱりさざんかに残りたいという言葉を飲み込んだ、あの日と同じ気持ちだったかな?


 その先は全く知らない。「三百万円カシテ」って電話を奥山家に掛けることになるその日まで、ずっとリコちゃんは私を恨み続けていたんだと思っていた。でも、リコちゃんに再会して、一緒に遊んでもらったあの日々が、私に期待を持たせてしまった。本当に、このまま、リコちゃんとお友達でいられるのではないか、なんて、儚い夢を描いてしまった。リコちゃんには必要なお金があって、その為に、奥山家と、私に用があるだけだ。もしくは、恨みを晴らすためだけに訪れたのかもわからない。


 それを知るのが怖くて、私はリコちゃんに連絡できなかった。次に会う時に答えが出てしまう。私は描いた幻想の中からまだ出たくない。リコちゃんを失いたくない。そして、今日、リコちゃんは、また私に期待を持たせた。もしかしたら、もしかしたら、本当にリコちゃんは本当に私の為にかおりちゃんに連絡してくれたのかもしれない。


「どうしたの? 顔色悪いよ、愛花ちゃん。ちょっと外へ出る?」


「かおりちゃん、ありがとう、大丈夫だよ。それにもうすぐリコちゃんの番だと思うから……あっ」


 急に会場が真っ暗になった。ただでさえ暗い照明だったが、それでも会場内を見渡して空席を探すぐらいのことはできた。でも、今はお互いの顔を見るのもやっとだ。かと思えば、すぐに舞台にスポットライトが差した。痛いほど眩しい光の中にギタリストが照らし出された。


「柊君……? ってことは、もしかして、リコちゃんと同じバンドで……」


 柊君のギターは前回聴いた時とは比べ物にならないほどの迫力があった。体の芯まで響き渡る、痺れるようなギターソロだ。ざわざわと騒がしかった観客が一斉に静まり返ったかと思うと、今度は、ほとんどの観客が立ち上がり、一斉に怒号のような歓声を上げた。


「すごい……で、でも、これってアイドルのオーディションじゃないの?」


 柊君がいたからリコちゃんのバンドだと思ったけれど、アイドルのイメージとは程遠い、これはハードロックという奴だと思う。柊君のギターソロに、おなかの底に響くドラムや、ベースが合わさり、恐ろしさが加わった。

 目がまわるような大音量の音楽と歓声が、更にヒートアップして、野太い轟音に今度は金属を叩きつけたような甲高い歓声が混ざり合い、会場の壁にひびが入りはしないかと心配になった。観客の視線の先には舞台袖からゆっくりと歩いてくる女性の姿があった。彼女がステージのセンターにいる柊君の後ろに背中合わせに立つと、大音量の楽器が一斉に鳴りやみ、同時に照明が消えて、観客もどよどよと真っ暗な静寂に戸惑いの声を上げた。


「リコちゃん!?」


 再びステージ上にスポットライトが当たると、そこには背中合わせの柊君と入れ替わったリコちゃんの姿が現れた。いつものリコちゃんの雰囲気はそのままに、片方の肩だけ露出した黒地に白い髑髏が大きく書かれたTシャツを着て、赤いチェックのミニスカート、荒い網目のタイツを履いている。いつものスニーカーは足首までしか隠れないズドンとしてボリュームのある黒革のエンジニアブーツに履き替えられていた。


 リコちゃんが黙って右手を上げると、黄色い歓声が一気に噴き出した。もともと地下アイドルをやっているリコちゃんは、どうやら女性ファンの方が多いようだ。その堂々たるステージっぷりを見れば納得だ。リコちゃんと並ぶと、ほかのバンドメンバーの男の子たちがかわいく見える。リコちゃんは間違いなくステージのボスと呼びたくなる風格を持っていた。


「いくぞ! オラ!」リコちゃんが叫ぶ。メンバーが同時に楽器を叩き、弾き鳴らすと観客のボルテージが再び跳ね上がり、会場全体を響き揺さぶった。


 彼女の歌声は澄んでいて、伸び上がり、会場の隅々まで行き渡る。楽器たちの轟音と対照的なその声は、意外なほど可愛らしく、そして力強かった。


 私はリコちゃんに見入ってしまった、歌声に聴き惚れた。体が勝手に動き出す。もう目も耳も、体でさえ彼女の虜だ。


◇ ~♬~ わたしわたし ~♬~ ◇


夢から覚めるように この手から零れ落ちて

気が付けばわたしは一人 


奪われ気が付いた この手ではもう掴めない

君はいつも笑顔だったね


遠い思い出に現れた君 全て幻だと思ってた

ここにいるはずのない君と ここにいてはいけないわたし


二人の居場所には もう誰かが座ってた


渋谷の街で星を見つけた

小さな星は わたしを照らす

わたしは信じるしかないの



忘れられ記念日に 君は何処? 私を呼んで!

気が付けば私は一人 


取り戻す事なんて できないって知っているの

初めからありはしないの


嘘から始まった友達芝居 探り合い見つめあう

嘘は嫌いと呟いても 嘘の中にしか二人はいない

 

渋谷の街で星を見つけた

小さな星は あなたを照らす

私は信じるしかないの



わたしには何もない 私には何もない


大切なものはゴミの中


手探りで掴めば あの人はからっぽ 


心だけにいた あの人



渋谷の街で星を見つけた 小さな星は 明日を照らす わたしはわたしを今決める


わたしはわたしを今決める


わたしは君を離さない


最高なわたしの居場所


◇ ~♬~  ~♬~ ◇


 愛花……愛花はいたかな? 頭の中が真っ白だ。歌っている間の記憶もほとんどない。大きな音に包まれて、わたしは憑かれたように歌っていた。


 汗でもうボロボロだ、お化粧より、油性マジックで書いたほうが良かったかな?


「おい、リコ! ファンサービスちゃんとしろ」


「ヒイラギ……」


 ステージの前には花束を持った女の子達が集まってくれている。わたしはわたしを救ってくれた、元アイドルの牧園鳴海さんには手が届いたかもしれないな、と思った。確実な充実感があった。今日まで積み重ねてきたものを全部出せた。でも、それよりも、今日本当に欲しかったのは……。


「愛花……愛花!」


 ファンの子たちの後ろに愛花が立っているのを見つけた。愛花が泣いている。泣いて、こっちに向かって手を伸ばしている。愛花の名前を呼んで、わたしも同じように手を伸ばした。


 ファンの子たちも、わたしの腕を掴んだ。もう少しで届く、愛花の左手に、わたしの右手が……。


「リコちゃん!」


 やっと手が届いた、その手をしっかりと掴み、わたしはステージに愛花を引っ張り上げた。


 愛花の顔は涙に歪んでいる。でも、相変わらずチワワのように可愛らしい。わたしは愛花を抱きしめた。大切なわたしの居場所だ。


「リコちゃん! 凄いよ! 私にはリコちゃんの背中に白くて大きな翼が見えたの! ここからどこへでも羽ばたいていける、誰かがくれた自由への許可証なのよ!」


「なんだよ、何言ってるかわかんないよ……でもね、わたしにも見えるよ、愛花の背中に、夢で見た白くて大きな翼がね」





おわり






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わたしわたし詐欺 柳佐 凪 @YanagisaNagi

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