第15話 嘘は好きじゃない
ヒイラギのギターはつまらない音をたてた。
今日のライブでは、ヒイラギがメインでやっているバンドが演目のトップだった。
喫茶店であんまり詰め過ぎただろうか、いや、あんなのまだ優しいほうだ。
わたしの後ろでやっていた時には、痺れるようにギターが叫んでいた。動揺して精彩を欠いたのか、それとも、わたしの心が彼から離れてしまったからなのか、今のわたしには判断できない。もう、彼にも、彼のギターにも、興味がなくなってしまったのだろう。
やっぱり、変わったのはわたしの様だ。全てを失ったと思っていたが、三百万円の借金は残っている。
〈全てを捨て去ることはできない、でも、全てから棄てられることもないんだ〉
わたしを捨てたはずのヒイラギは、逆にわたしに操られている。わたしから、全てを奪ったと思っているマナミだって、これからどうなるか分からない。
目が覚めたのだ。今までのわたしとは違うわたしに生まれ変わった気がする。わたしはやっぱり強く、賢くなった。
ヒイラギの演奏の途中で、私はマナミに気が付かれないようにして、バックステージへ向かった。爆音と絶叫の中では簡単なことだ。
一応、アイドルのわたしはすんなりバックステージへ入れた。わたしとヒイラギが付き合っていたことを知っている人もいる、逆に、別れた事を知っている人は、まだ、ほとんどいないだろう。
演奏が終わったばかりのヒイラギを、ステージ袖の真っ暗な通路で待ち構え、後ろ首を掴まえて、壁に押し付けた。
壁がドンっと大きな音をたてた。私はヒイラギのシャツを掴んだ。その右手でシャツをねじり上げ、そのまま、肘で彼の顎をグイっと押し上げると、ちょっと凄んで見せた。
「あんた……わかってんだろうね? マナミの情報をこっちに流さないと、やることやるからね」
「わかったよ……でも、リコ……リコは一体何をするつもりなんだい? 本当に真奈美さんと入れ替わるつもりかい?」
「な、何よ、当然でしょ? もともと、わたしの物なのよ! 返してもらわなくちゃ」
なぜか、ヒイラギに言われて動揺した。わたしがわたしを取り戻して、何が悪いと言うのだろうか……わたしが動揺しなければならない理由なんて、どこにもない。なのに……なぜか、胸の奥が苦しくなる。
そりゃ、マナミはとても良い子に見えるだろうから、無理もないとも思う。
現に、わたしの母と実家を奪った事を除けば、わたしにも、とても優しく親切だ。
尚更ヒイラギにとっては、大人しくて、可愛らしい女の子でしかないのだろう。マナミは間違いなく男にモテるタイプだ。
だからと言って、すごすご身を引くわけには行かない。早くお母さんを取り返さなくては、時間が経つほどに、きっと遠くなってしまう……急がなきゃ。
◇
「はぐれちゃったね」
会場の客の塊の中に戻ろうとしているところをマナミに見つかった。だけれど、特に疑っている様子はない。マナミにとっては、ヒイラギの演奏が終われば、もう用はないと言うことなのだろう。わたしも同じ様に、抜け出して来たと思われただけだ。
演者としては、最後まで聴いてあげて欲しいところだが、まあ、今日はしょうがない。
「リコさん……リコって呼んでいい? 私の事は、真奈美って呼んでね」
無邪気に笑うマナミは、本当に可愛らしい。真奈美という名前に
いや、だめだ、笑顔に騙されてはいけない。彼女は泥棒だ、わたしからお母さんを、実家を、彼氏を、全てを奪い去る泥棒なんだ。
「よろしくね……まなも……」
「『まなも』じゃなくて、『真奈美』だよ! 間違えないでね、ふふ、リコは面白いね」
呼びたくない……でも……。精一杯の抵抗だった。
その日はそれで別れた。帰り際に、グループLINEを作って二人を招待した。ヒイラギは、苦い顔をするだろうが、マナミは喜んでいた。
今日は疲れた。
元々、友達がいないわたしには、友達芝居は難しかった。
別れたくないと思っていた彼氏ときっぱり別れた。
嘘を吐いた。嘘は好きじゃない。
帰りの電車の中、ヒイラギの言葉をまた思い出した。
『本当に真奈美さんと入れ替わるつもりなのか?』
なぜ、また、思い出したのだろう……。
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