とざした心とひろげた翼

第32話 愛花と真奈美1

 私の名前は早川はやかわ愛花あいか


 少なくとも生まれた時はそうだった。


 両親を事故で亡くし、弟と二人、施設に預けられた。両親の事は少しだけ覚えている。


 弟が生まれて、リビングでベビーベッドをみんなで囲んで笑いあったこと。


 そして、事故の瞬間だ。


 隣を走っていた大きなトラックが、段々と近づいて来て、私が座っていた右の後部座席の外側に接触した。

 

 お父さんが運転していた車は、あっという間にバランスを崩して左側のガードレールにぶつかった。


 その先は覚えていない。


 お父さんとお母さんに会えなくなったことは、しばらくよくわかっていなかった。お迎えが来るまで、弟の面倒をしっかりみなくちゃと幼いながらに頑張ったと思う。


 でも、いつだったか、もう、お迎えは来ないんだと気が付いた。いや、疲れて諦めたのだったかもしれない。


 弟の幸太は、まだ幼かったので、両親の事は全く覚えていないらしい。


 やがて、私の願いは、弟を幸せな家庭へ送り出すことになった。でも、とっても寂しがり屋だから、私が一緒についていなければと、二人一緒に引き取ってくれるおうちに行きたいと、かなり長い間頑固に頑張ったと思う。


 でも、それが難しいと理解すると、しょうがなく別々のおうちへ行くことを了承した。


「幸太のためにも、先に愛花が幸せになることを考えるんだよ」


 本当の家族のように心配してくれた、かおりちゃんだったから、理解できた。そう思うことができたのだと思う。


 でも、タイミングが悪かった。


 施設で仲良しだった、リコちゃんが楽しみにしていたおうちを、私が奪ってしまうことになってしまったからだ。


 リコちゃんは、同じように両親がいないのに、いつも元気で、いつも笑っていた。


 リコちゃんと遊ぶのは楽しかった。


 ヘンテコな遊びを思い付いては、怒られるまで、ずっと幸太と三人で遊んだ。


 そのリコちゃんを裏切ってしまったのは、私が、かおりちゃんに、幸太と別の家にいってもいいと約束した日の、すぐ後の事だった。この事はずっと私の胸にこびりついている。


 リコちゃんは、どこから嗅ぎ付けてきたのかわからないけど、お母さんになってくれる人が現れた事を知っていた。そして、そのおうちまで冒険しようと施設をだまって抜け出した。


 いつもの遊びの延長だった。私はそう思っていた。


 走っていくリコちゃんを追いかけて、私もいっぱい走った。ただひとつ、お気に入りの、赤くて小さなカバンだけをぶら下げて。リコちゃんは足が速くてついていくのがやっとだった。


 途中で追っ手をやり過ごしたり、未知の生物と戦ったりして、それはとっても楽しかった。


 私達の知らない町へと着く頃には、太陽が真上に来ていた。私は午前中からずっと走りっぱなしだったので、小児喘息が出始めて、リコちゃんを心配させた。


 たいしたことはなかったのだけど、リコちゃんはいつも私を守ろうとしてくれた。


 夜中に咳が辛いときも、一緒に起きて、ずっと背中をさすってくれた。リコちゃんも子供だから、夜中に起きていられないのに、コックリコクリとしながら、寝ては起きてを繰り返して頑張ってくれた。その時も、私を見る目はいつも微笑んでいた。


 どれほど心強かっただろうか、もちろん、お母さんに助けに来て欲しいと強く思っていたけど、頑張るリコちゃんを見て、リコちゃんがいればいいやと思うようになった。


 そして、私もリコちゃんを守ろうと誓った。


 なのに、冒険のその日は、私がゼコゼコなって、リコちゃんに迷惑をかけることになった。


 もう、桜川公園に辿り着いていた。


 桜川公園はさざんかのみんなと、バスで来たことがあった。お母さんのおうちは、この公園の近くだとリコちゃんは言っていた。


 すぐそばにお母さんがいるのに、私のせいで足を引っ張ってしまった。


 公園のベンチは日差しが強かったのに、他に座れるところもなかったし、それ以上歩くのも無理だったので、しょうがなくそこで休んだ。


 ジリジリ照りつける太陽を浴び続けて、喉が乾いてお茶を飲もうとした。でも、私達は水筒を持ってくるのを忘れてしまっていた。


 喉が乾いて辛かった。私よりも、ずっといっぱい動き回っていたリコちゃんは、それでも、私の背中をさすり続けてくれた。


 その手が止まった時、私はただ、また眠ってしまっただけだと思っていた。


 やがて、私の調子が良くなってきたときに、やっと気が付いた。リコちゃんの様子がおかしい。体が小刻みに震えている。起こそうとしても、全く反応しない。体が熱く、尋常じゃないほどに汗をかいていた。


 私は怖くなって、リコちゃんの名前を呼び続けた。でも、リコちゃんは全然目を覚まさない。


 私は怖くなって考えた。いっぱいいっぱい考えて、かおりちゃんの言葉を思い出した。


「迷子になったときは、このタグを見せるのよ……」


 私は赤いカバンを芝生の上にひっくり返して、ばらまいたおもちゃの中からタグを見つけ、芝生ごとむしりとって駆け出した。


 でも、探しても探しても、助けてくれそうな大人を見つけることができなかった。私は疲れてコンビニの駐車場でしゃがみこんだ。すると、コンビニには『ひゃくとうばんのおみせ』と書かれた看板があった。


 その時にはもう、私は泣いていたと思う。言いたいことが言えずに苦労した事を覚えている。私はとにかくコンビニの店員さんに、さざんかで渡されたタグを見せた。その時、何を話せたのかは覚えていない。


 幸運な事に、勘のいい店員さんだったらしい。彼女はすぐにさざんかに電話してくれて、他の店員さんに「誰か来たら私の携帯に電話して」と言って、私の手をとって桜川公園へ向かってくれた。


 店員さんは、リコちゃんの様子を見ると、慌てて救急車を呼び「ここを動いちゃだめよ!」と言って来た道を走っていった。


 ほんの十分少々だったのだと思う。でも、当時の私には永遠に感じられるほどの長い時間だった。熱くなったリコちゃんの体を一生懸命にさすった。


「リコちゃん! リコちゃん!」


 名前を呼び続けた。


 私も喉が乾いて限界だった。でも、リコちゃんがしてくれたように、わたしも精一杯に体をさすった。


 すると、店員さんが戻ってきた。手にはペットボトルを持っている。きっと熱中症だと理解していたのだろう。


 店員さんは知らない女の人と一緒だった。


 その時は知らない、その人こそ、お母さん――奥山おくやま希美のぞみだった。


 後で聞いた話だが、コンビニの店員さんは、店の場所と私の状況をさざんかへ知らせ、さざんかは、既に私達を探しに出でいたかおりちゃんと、行き先であるだろう、奥山家に連絡をしていたのだ。


 コンビニのすぐ近くに住んでいたお母さんは、丁度店員さんと合流し、駆けつけてくれた。


 お母さんは、事の次第を理解すると、熱く火照ったリコちゃんを抱き締めて「大丈夫? 大丈夫?」と優しく問いかけた。


 この人がリコちゃんのお母さんになる人なんだ……私はその時、何となくそう思った。そして、少し安心した。ここまで苦労してやってきた、リコちゃんの思いが叶うとほっとした。


 でも、相変わらずリコちゃんは苦しそうなままなので、はっと思い直して、また、リコちゃんの名前を呼んだ。


 店員さんがペットボトルの水を飲ませると、リコちゃんは少し目を開けた。ゆっくりと周りを見回すと、また、そっと目を閉じた。


 すると、それまで、優しく問いかけていたお母さんが、力を込めて、ぎゅっとリコちゃんを抱き締め、声をふりしぼるように「まなみ! まなみ!」と呼び始めた。


 私は、それほど気にもとめずに、同じようにリコちゃんの名前を呼んだ。


 理解したのは随分後の事だった。


 《まなみ》って誰なのか。


 なぜ、お母さんは、リコちゃんを《まなみ》って呼んだのか。




 


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