第33話 愛花と真奈美2

 今日も学校から早く帰り、家で机に向かって勉強する。勉強するのは好きだった。


 暗く淀んでしまったこの空気の中でも、勉強している間は集中できたし、お母さんも、そっとしておいてくれる……もしかしたら、お母さんも同じ気持ちなのかもしれない。私が勉強をしている間は、お互い気にかけずに放っておいて良い時間なんだ。


『勉強している子は良い子』という概念は、親だけでなく、子にもある。良い子でいるうちは、お互いに干渉しなくてもよいのだ。


 とにかく、私は勉強の中に安寧を求めていた。


「真奈美、そろそろご飯よ」


「うん、ありがとう」


 お母さんの中で、私はまだ真奈美のようだ。でも、私に対する疑惑の念をひしひしと感じる。好きで偽ってきたわけではない、そうするしかなかった……でも……。


「今日は学校どうだった?」


「今日は国語のテストがあったよ、それでね……」


「お友達とは仲良くしてる?」


「……うん」


 お母さんと二人だけの夕食は、まるでお葬式のようだ。いつも同じ話題、いつも同じ答え、きっとお母さんの中では、まだ、止まったままなのだろう、お父さんのお葬式から……。


 私は二人のお父さんを亡くした。一人目は事故で、二人目は病気だった。二人目のお父さんは血はつながっていないけど、私を理解してくれていた。私を養女に選んだのはお母さんではなく、お父さんだった。


 私が選ばれた理由について、直接お父さんに聞いたことがある。私はリコちゃんからお母さんを奪ってしまったことをずっと後悔していた。だから、私が選ばれた必然性が欲しかった。でも、今となっては、それを聞いて、余計に苦しむことになってしまった。


「お父さん……なぜ、私を選んだの? 私はリコちゃんが奥山のおうちに行くんだと思っていたの。もしかして……私が真奈美さんに似ていたから?」


「愛花……知っていたんだね、真奈美の事……」


「うん、同級生から聞いたの……同い年なんだよね、真奈美さんと私……みんな、私を真奈美の代わりにもらわれて来た子って呼ぶよ」


「そうか……苦労をかけてしまったね、でも、愛花は真奈美の代わりなんかじゃない。愛花は愛花だよ。愛花を選んだのはお父さんなんだ。とっても可愛らしい、素敵な子だと思ってね……それと……」


 お父さんは明らかに口ごもった、言おうかどうか迷っているのだ。


「それと、なに? 私聞きたい」


「……それとね、リコちゃんは、実は真奈美に似すぎていた……顔は違うが、何と言うか……雰囲気がね……それから、真奈美が亡くなったのは、実は、熱中症が原因だったんだ」


「熱中症……」


「そう、近所のお友達とかくれんぼをしていてね、ドラム缶に隠れて出てこれなくなったんだ。まだ、あの頃は、この辺も空き地が多くてね、建築資材をそのまま置いてあるようなところも多かったんだ」


「入れたのに出られなくなったの?」


「そう……外側からはブロック塀をつたっていけば入れる、でも、中からは小さな子には出ることはできない……そのまま熱中症でね……かわいそうなことをしたよ」


 辛かったろうな……真奈美さんも、お父さんもお母さんも……。


「真奈美を見つけたのは母さんだった、もうその時には手遅れでね、急いで病院へ運んだけれど間に合わなかった……お母さんは自分を責めて責めて……一時期は精神的に大変なこともあったんだ、だから……」


 だから、リコちゃんを真奈美って呼んだんだ。熱中症で亡くなった真奈美さんと重なったんだ。


「リコちゃんが病院へ運ばれたとき、お母さんはお父さんに『真奈美が助かった』と言ったんだ……だから、お父さんはリコちゃんではダメだ、リコちゃんを選んだら、真奈美の代わりにしてしまうって思ったんだよ」


 私はそれを聞いて、心が軽くなった。ここにいてもいい、免罪符をもらったような気がした。私は理由があって選ばれた。


 私はここにいてもいい。


 それから、学校で真奈美の代わりと呼ばれても、言い返す事ができるようになった。友達も増えた。学校へ行くのが楽しくなった。


 でも、だから、バチがあたったんだ。


 私が私の罪を忘れてしまったから……お父さんは病気で亡くなった。


 中学三年の夏休みだった。先天性の心疾患があったそうだ。でも、それがわかったのは、お父さんが亡くなった後の事だった。それまで、なんの症状もなかったから、気がつきようがなかった。


 お父さんと一緒になくしたものがあった。


 お父さんを失ったお母さんの心は、まるで、一緒に死んでしまったかのようだった。


 いつも一人でぼうっとして、急に泣き出したり、笑い出したり……私は心配で、お父さんを亡くした悲しみを感じる暇もなく、お母さんに話しかけ、無理に笑って見せた。


 夏休みが終わる頃、お母さんは少し元気になった。休んでいた仕事にも出るようになり、普段と変わらない日々が流れ出した。


 でも、もう、昔とはちがった。


 お母さんは、私をと呼び始めた。


 何度も違うと伝えた。私は愛花だと。


 「わかっているわよ、愛花……何を言っているの?」


 そう言って笑った。


 でも……結局、私は屈服してしまった。


 私は真奈美になった。

 

 お母さんに少しでも元気でいてもらうためには、それでいいんだと自分に言い聞かした。呼び名なんてなんでもいい、お母さんの娘であることに変わりはないんだ……そう思った。


 高校へは奥山真奈美の名前で通学することになった。どんな事務処理がされたのかは分からない。

 

 私はいよいよ愛花から離れていく。たまに会っていた弟の幸太にも、さざんかのみんなにも会い辛くなってしまった。もしも幸太に「なぜ真奈美と呼ばれている」と聞かれたら、私は何と答えようもない。答えられないような事をしているという自覚があるからだ。


 決して良いことではない。


 でも……じゃあ、どうしたらいいんだろう。


 そんな時だった。


 彼女から一本の電話がかかってきた。


 〈ワタシワタシ、三百万カシテ〉


 ただのオレオレ詐偽だとは思えなかった。お母さんは狼狽して警察に連絡した。その時、きっと私もお母さんも同じことを考えていたに違いない。


 


 お母さんは、私を真奈美と呼びつつも、どこかが真奈美と違うと感じている。


 私は、真奈美さんに成り済ました私を罰するために、誰かが私から真奈美を奪いにやって来る、そう感じた。


 二人はそれぞれ、そわそわと言うか、手を伸ばしても何にも届かない、大きな海の真ん中を漂っているような、落ち着かない日々を過ごすことになった。


 そして、彼女はやって来た。


 私は彼女の顔を見た瞬間に気がついた。


 間違いなく、リコちゃんだ。


 リコちゃんは、やっぱり私を恨んでいたんだ、私を罰するためにやって来た、だから、三百万円なんて大金を要求してきた。


 でも、うちにはそんな大金は置いてない、毎月定期的に振り込まれる、お父さんの保険金で食いつなぐ毎日だ。でも、だから、お母さんはリコちゃんを否定できたんだと思う。もし、リビングの引き出しを開けたら三百万円がしまってあったとしたら、お母さんは、きっと全部リコちゃんに渡していたに違いない。


 そうすれば楽だった。私もお母さんも。


 でも、リコちゃんの様子は少し変だった。どうやら、私を覚えていないらしい。それもお芝居? 不自然な言動が、そうも思えた。覚えていないのに、なぜ、ここへやって来たんだろう。


 いろいろなことを考えながら過ごしたけれど、どの予想も釈然としないものばかりだった。警察を呼ばれて、恐怖をあらわにして逃げ帰ったその表情は、ただの十代の女の子そのものだった。なにか、良からぬことを考えているようには見えなかった。


 次にリコちゃんと出会った時は心臓が止まるかと思った。リコちゃんが家の前で倒れていた。しかも、熱中症で……。


 私は、今度こそ、リコちゃんを助けなければと思った。一生懸命に体を支えて家の中に連れてきた。


 救急車を呼ぼうかとも思ったが、症状は軽そうだった。しばらく休めば大丈夫だと思い、私はリコちゃんの寝顔を見つめた。


 すると、リコちゃんは苦しそうにうなり始めた。私はつい、うっかり、名前を呼んでしまった。


「リコちゃん! 大丈夫!?」


 彼女から打ち明けられてから話そうと決めていた。でも、どうやら目を覚ましていないようだったので、一安心し、額にのせた濡れタオルを取り替えようとした時だった。


「あ……愛花……」


 リコちゃんは、確かにそう言った。私の名を呼んだ。


 誰もが忘れつつある、私の名前。


 その名を呼んだのは、私を罰しにきた少女だった。

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