第29話 明日を掴む方法

「あー熱かった! ほらできたよ、ホットカフェオレ、どうぞ」


「ありがとう、苦労したわね」


「ほんとだよ、迷惑な客だよまったく……で、鳴美さんには何て話したの? あんたの事だから、正直に話していないんだろう?」


 あんたの事だから――なんて、なにも知らないくせに……でも、当たっている。わたしは鳴美さんに嘘ばかりいたんだ。


「鳴美さんには……母親とケンカして飛び出して来たって言ったの。本当の事話したら、嫌われてしまうと思って」


「まぁ、しょうがないかもね、でも、まったく意味の無い嘘だね、嘘ってのは、自分を守るためじゃなく、人を守るために吐くんだよ」


 何だか、イイことを言っている雰囲気を出しているのがむかつく。でも、確かにわたしの嘘はわたしを守るためだけに吐かれたものだ。


 だったら、人を守るための嘘は吐いてもいいのか……マナミ――いや、愛花はお母さんを守るために、真奈美になってお母さんに嘘を吐き続けているのかもしれない。


 もし、そうだとしても、絶体に良くない。愛花は愛花でいるべきなんだ。そうであって欲しい……でも、それは、単にわたしのわがままなのかもしれない。


「わたしは……ひとつ嘘を吐いたことで次の嘘を吐かなければならなくなった……お母さんとどんな喧嘩をしたのか、そしたら、また次の嘘……お母さんはどんな人なのか、どこに住んでいるのか、飼っている猫の名前……ユーチューブにアップされているお母さんと猫のコタローの動画を見せたりもした」


 きっと心地よい嘘だったのだ。呪われた自分の生い立ちを話すより、恵まれたワガママ娘の話をする方が単純に楽しかった。


 楽しいからどんどん嘘が広がっていくし、鳴海さんも楽しんでどんどん質問してきた。


 そうして嘘を積み重ねて行く内に、いつしか、自分の中で嘘が嘘でなくなっていき、わたしはになった。お母さんが呼んでくれたあの名前、聞いたことしかなくて漢字も知らないから、ひらがなで


 もしかしたら愛花も同じなのかもしれない。


 わたし達は、《真奈美さん》に存在を奪われたのではなく、わざわざ彼女の皮を被っているんだ。だとすれば、真奈美さんの存在を奪ったのはわたし達の方なのかもしれない……。


「しかし、あれだね……あんたはいつも誰か自分以外の人に自分を任せているんだね」


「……どういう意味?」


「そのままの意味だよ、施設で暮らすことを人から決められ、母親候補からは自分を選んでもらえず、保護者は施設に決められ、鳴美さんに嫌われないような人になることを選ばされた……自分で決めたの、家出だけだよね?」


「そ、そんなの不可抗力でしよ!」


 胸が痛い、締め付けられる……言っているそばから、わたしはわたしを否定しにかかっている。


「不可抗力……難しい言葉知っているんだね、えらいえらい」


「バ、バカにすんな!」


 わたしはカウンター越しに男を掴みにかかった。でも、その手は虚しく空を切った。


「はいはい、図星指されてキレるパターンね、ありがちありがち。まあ、そんなに怒んなよ、今後のあんたのためには自覚はあった方がいいよ」


「今後のわたし……」


 わたしには新鮮な言葉だった。悔しいけれど、わたしは確かに、誰かにわたしを決められてきた。もちろん、不可抗力だと思っている……でも、なんて考えた事などなかったかもしれない。


 今日を生きるので精一杯だった。


「まあまあ、そんなに落ち込むなよ、今後のあんたを考えるのに遅いことはない……というか、今後を考えられるのはしかないんだからね、いつだって」


 わたしにはいつだって今しかない。だからこそ明日の事なんて考えられなんだ。


「だまったまんまだね、随分しおらしくなっちゃって……そこでだ、悩めるあんたを僕が決めてあげよう。いや、ずっと人に決めてもらえって話じゃないのさ、僕が自分で決める練習を手伝ってあげようってこと……はいこれ」


 そう言うと、男は一冊の絵本を取り出した。それは美しく緻密ちみつな絵がびっしりと描きこまれている。表紙を見るだけで、心の中に黄色を基調とした世界が広がっていく……でも、同時にその世界を閉じようとする自分もいた。


 思い起こせば、わたしは絵本をほとんど読んだことはない。


 小さな頃、さざんかにあった絵本を読んでもらった時、それは幸せで素敵な内容で、心がときめいたけれど、同時に、これはわたしの話ではないと感じだからだ。


 わたしには、こんな幸せは訪れない、絵本の世界は、わたしのものではない、そう思った。


「この絵本なんだけど、随分売れたんでね、今度、映画化させることになったんだ。そして、そのプロモーションのために、もうすぐキャンペーンソングの公開オーディションが行われる。この、渋谷でね!」


「それが、どうしたの?」


「それがって……エントリーするんだよ、あんたが! アイドルなんだから歌えるんでしょ? やりなよ、明日ってのはそうやって動いて掴んでいくんだよ、あんたが家を飛び出した時の様にね」


 とりあえず、わたしは絵本を開いた。


「ちゃんと自分で買いなさいよ、絵本」


 男は、の真剣な声でそう言った。

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