第21話 帰るべき場所

「また来いよ、シグ中にいるから」


 やっと気が付いた、あの時、時雨中学校で、わたしを不審者のように凝視していた中学生が幸太だったんた。てっきり風月高校の生徒だと思っていた、彼はそのぐらい大人びて見えた。


 幸太に別れを告げると、大きな黒塗りの車から、運転手らしき男が現れた。後部座席のドアを開けて、ヒイラギと私を待っている。


 黒いスーツに白い手袋、それに不釣り合いな、てかてかのリーゼントヘアをした威勢の良さそうな男だ。ガタイも良く、ケンカも強そうだ。


 今日は大人しくしていよう。ヒイラギの首根っこを捕まえて話しをさせる様な事はできそうにない。


 ヒイラギに続いてわたしも後部座席に乗り込んだ。話したい事があると言うわりには、随分静かだ。


「ヒイラギ……迷惑かけたね」


 わたしから話し掛けても何も言わないで黙っている。今更、そんなに話しづらいことがあるのだろうか。


 長い長い沈黙の中、車は都内に入った。日は暮れて暗くなったのに、街の明かりが眩しい。


 わたしは、まだ、頭がぼうっとしていたので、ヒイラギが静かにしてくれたのは助かったけれど、送られてきたLINEの内容は気にかかる。


<ホンモノの真奈美さんは、十年以上前に熱中症で亡くなっている>


 夢の中で見たように、わたしはあのまま熱中症で死んだのかと本気で思い始めていた。だけど、今、こうして生きている。


 マナミには、真奈美になる前の名前がある事は、あの憎たらしい同級生らしき女が言っていたので間違いないだろう。


 わたしは、マナミが偽物で、わたしが本物だと証明する事ができると思っていたのに……。


 わたしが本物ならば死んでいなくてはならない事になる。いや、本物のわたしが生きているんだから、十年以上前に亡くなったと言うヒイラギの方が間違っているんだ。


ひいらぎ坊っちゃん、私からお話させて頂きますよ……」


 運転手が大きな声で話し始めた。見た目通り、威勢のいい声だ。黙っているヒイラギに業を煮やしたような苛立ちを感じた。


「リコさん、あなたと別れた方がいいとお父様へ進言したのは私なんです。申し訳ないですがね……これから、中野のご実家へお送りさせて頂きます」


 この男は何を言ってるんだろう、進言? 中野の実家? わたしの家は、つくばの閑静な住宅地だ。誰かと間違えられているのか……。


「失礼ながら調べさせていただきました。リコさん、ご実家から捜索願いが出されていましたよ。柊坊っちゃんは大切な跡取り息子です。できるだけ条件の良い方とのお付き合いをと……どうぞご遠慮頂きたいのです」


 安部? わたしはだ。やっぱり、人違いなんだ。


「あの……誰かと間違えられていませんか?」


「リコ……君の名前は安部リコだ。奥山じゃない。ちゃんと調べられた結果なんだ、言い逃れはできないよ」


 何? ヒイラギはその運転手さんの味方な訳? なんで、そんなに突拍子も無い事になったんだろう。


「前に約束してたよね、秘書さんに調べてもらうって……その結果だよ。奥山真奈美さんは、十年以上前に亡くなっていた、そして、《あの》真奈美さんの本名は真奈美って名前じゃない。それから、奥山さんから、最近娘を名乗るオレオレ詐偽らしき電話が掛かってきたと通報があった……リコ……君だよね?」


「なにそれ? そんなわけないじゃん! 何を言っているの? わたしは……」


 わたしは……いったい誰なの?


「つくばから家出してきたってのも嘘だったんだね……もうすぐ中野の実家へ着くよ……本当はそこから家出してきたんだろ?」


 窓の外を中野駅が横切った。もう、訳がわからない、どうしてこんな事に……もう、何か……逃げたい……逃げ出したい。


「わたし……イヤよ、行かない、行きたくない! あそこへは行きたくない!」


 ちょうど信号が赤に変わった。わたしは車のドアを開けて外に飛び出した。隣の車線を走ってきた車にクラクションを鳴らされて驚いた。構わず走り出した。どこへでもいい、ここでない場所へ行かなければ……。


 ヒイラギは追ってこない、この裏路地を抜けて左に曲がれば駅への抜け道だ。


 わたしは走った、走って走って、息が切れて、そして、気がついた。


 始めて来た筈のこの街を……


 わたしは知っている……


 知る筈がないこの街を……。


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