第25話 我が家
そして、
何もかもを失って、辛くて切なくて、わたしは自分を取り戻しに幸太に会いに行った。
そして、全てを取り戻した。
取り戻したのに辛くて悲しいままだ。
辛くて悲しいわたしは、もっと辛くて悲しいわたしを取り戻した。
取り戻してしまった。
これでよかったのだろうか……わからない。
わからないまま彷徨って、気が付けば渋谷にいる。
ただ、自分の部屋へ帰りたくなかった。
渋谷に特別な何かがあるわけではなかった。
今から数時間前、幸太と一緒にバスに乗って連れて行かれた『さざんか』という児童養護施設で、わたしはわたしを取り戻した。
幸太がわたしに会わせたのは、かおりちゃんと呼ばれる、養護施設の職員だった。可愛らしい呼び名だが、四十過ぎのおばさんだ。若いころに付いたあだ名が、年をとってもそのまま残っているなんて、気の毒な話だ。
「あら、『かおりちゃん』って呼び始めたのはリコちゃんなんだよ」
かおりちゃんは笑って言った。
そうだった、先生と呼びなさいと言われていたけれど、小学校へ行っても先生がいるし、うちに帰っても先生がいるなんておかしいと言って、わたしがかおりちゃんと呼び始めたんだった。
「リコちゃんは、言い出したら聞かない子でね、私も根負けして、ついに『かおりちゃん』を受け入れちゃったわ……懐かしいね……元気にしてた?」
元気にしていたかと言われれば、あまり元気ではなかった気がする。でも、今日は元気だった。幸太と一緒にいるとなんだか落ち着く……元気になる。だから「元気でしたよ」と答えた。
「大人になったね、そんなに色っぽい格好をして……知ってるわよ、渋谷系って言うんでしょ?」
かおりちゃんの口から出ると、
わたしは渋谷系だと思ってオフショルにデニムのミニスカートを履いているわけじゃなかった。それに、渋谷系はもっと女の子らしくてセクシーな感じだと思う。でも「そうですね」と答えた。わたしも渋谷系をちゃんとは知らないし、かおりちゃんもちゃんとは知らない筈なので、知らない二人が渋谷系について論議してもむなしいだけだと思ったからだ。
「ねぇ、かおりちゃんは愛花を覚えてる? 愛花は……幸太のお姉さんは、今、どうしているの?」
かおりちゃんは幸太の顔をちらっと見た。
「愛花ちゃんは元気にしているよ、ここへはもう来ないけれど、少し前に街で見かけたことがあるわよ、とてもキレイになって、良いお嬢さんって感じだったわ」
「そう……幸太は会ってないの? 愛花に」
「……たまに……会うよ……」
幸太はいつも考えながら話をする。今は一体何を考えているんだろう。
「リコ……聞きたいことがあるんだろう? かおりちゃんに」
「幸太……そうだね……。かおりちゃん、あの日の事、覚えている?」
わたしは熱中症で病院に運ばれた時のことをかおりちゃんに聞いた。
幸太とかおりちゃんが、お互いの知っている話を持ち寄って、私に詳しく聞かせてくれた。
幸太とわたしは施設の近くに流れている小川でカエルを捕っていた。そこへ愛花がやってきて、わたしが愛花を誘って施設を抜け出した。
幸太は必死で止めたけれど、立場の弱い子分扱いだったので、とても止められる権限はなかったと苦笑した。
わたしは「ごめんよ」と言って、夢の中で思い出した事を、もう一度、思いだしなおした。
わたしと愛花はお母さんに会いに出掛けた。そもそも、なぜ、お母さんに会いに行くことになったんだろう?
二人と話すことで、わたしの記憶はじわじわと穴埋めされ始めた。わたしは愛花と幸太と、かおりちゃんと一緒に、この『さざんか』で暮らしていたんだ。
お母さんは、なぜ、わたしをこの施設に預ける事になったんだろう。
「ねぇ、かおりちゃん……なぜ、わたしはお母さんと一緒に暮らせなかったの?」
かおりちゃんと幸太は、また、顔を見合わせ、何となく、どちらが先に話すか目で合図したようだった。そして、幸太が先に話した。
「かおりちゃん、お母さんと言うのは、奥山さんの事だよ。リコは奥山さんを、今でもお母さんだと思っているんだ」
今でも
今は違うのか……お母さんと話した時の違和感はこれだったのか……。何となく感じていた違和感がほどかれようとしている。
受け入れなければならない。わたしはその為にここへ来た。だけど……。
わたしの頬に涙が流れるのを感じた。その涙はとても温かく、まるで、アンドロイドが初めて流した涙のように、新鮮な驚きと悲しみを、一気にCPUに流れ込ませ、わたしを制御不能に陥らせた。
「リコ……大丈夫か? でも、聞くんだ。ここまで来たんだから、やり遂げろ」
幸太は、優しく、厳しかった。かおりちゃんは優しい微笑みでわたしを見つめている。
「リコちゃん……奥山さんはね、さざんかにお子さんを探しにいらしたの……幼稚園から小学校低学年ぐらいの女の子を探しておいででね、当てはまったのが、あなたと、愛花ちゃん……」
「探しに来た? 行方不明の娘を探していたの?」
「いいえ……奥山さんは、養子をとるご相談にみえたのよ。そして、年齢的にリコちゃんと愛花ちゃんが候補に上がったの」
わたしと愛花が、養子の候補者?
「本当は決まるまで話してはいけなかったんだけどね、リコちゃん、どうやってかは分からないけれど、知ってしまったのよ」
脳裏に白黒の映像が浮かぶ……。
――職員室の窓の外で蝶々を追いかけていたときだ……。
『――あそこなら桜川公園も近いし、環境良いわね……愛花とリコのどちらかが、奥山さんの所へ行くわけか……二人にどうやって話をしたらいいのかしら……』
わたしはそれを聞いて、二人にお母さんができると喜んだんだ。『どちらか』ってのはすっ飛んでいた。というか、あえて理解しないようにしていた気もする……。
とにかく、嬉しくて駆け出した。駆けていった先に幸太を見つけて、そのまま小川で遊ぶことになった。
その後、小川にやってきた愛花にこの事を話して、そのまま冒険に出かけたのだ。
『にしし……なんと、お母さんに会いに行くんだよ!』
桜川公園の名前は聞いたことがあったから、辿り着ける自信はあった。おうちは知らないのに、よくそんな思い込みで、とんでもないことをしたものだ……だから、とんでもないことになったのだった。
「かおりちゃん、ごめんなさい。ほんとに迷惑をかけたよね」
「いいのよ……無事であれば……」
「あとひとつ、ごめんね……実はあの日、かおりちゃんを見つけたの。でも、連れ戻されると思って逃げ出したんだよね、愛花の手を引っ張ってさ」
「そうだったのね……うかつだったわ……チッ せっかく幸太から行き先を聞き出したのに、水の泡だわ……」
かおりちゃんは悔しそうに舌打ちをした。何だかおかしかった。
「その時に無理して走ったものだから、愛花がゴホゴホがでちゃって、公園のベンチで休んでいたら、今度は私が熱中症になっちゃってね」
「そうだったの……愛花ちゃんを守りたかったんだね」
そう、守りたかった。私は愛花が大好きで、お人形さんみたいに可愛くて、いつも一緒にいたかった。
でも、守るどころか危険にさらした、それどころか、わたしの方が愛花に救われた。目を覚ました時にはお母さんが抱きしめてくれて、私の名前を……まなみと呼んだ。
わたしの一番の思い出のシーンだ。
お母さんが、私を抱きしめて、まなみ、まなみと呼ぶものだから、いつからか、私は自分の事をまなみだと思い込んでしまったのかもしれない。
「……マナミは? 愛花が養子に行ったのならば、今、お母さんと暮らしている、奥山真奈美はどこからきたの?」
「奥山真奈美さんはもういない……亡くなったんだよ」
「そうじゃない! 生きているマナミの方よ! あのマナミは一体……」
――おどけて笑う、マナミの顔がフラッシュバックした。
『マナミ……マナミはいつからあの家に住んでいるの?』
『私のお
『ずっと? 生まれた時から?』
『生まれた時……そうね、ある意味生まれた時からかな、生まれかわった時から……って感じ?』
生まれかわった時から――
『そう……ね……あまり良いもんじゃないかもね……でも、そうしなければ生きられなかった……って言うと大袈裟かな、うふふ』
「ま、まさか……」
「あれは、真奈美さんじゃない、愛花だよ、僕の姉の愛花だ」
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