第24話 バスのゆりかご

「よく思い出したね……俺のこと」


「忘れていてごめんね……。一番大切な思い出が――一番と言っても唯一なんだけどさ、わたしが熱中症で病院に運ばれる時に、お母さんに、『大丈夫? まなみ、まなみ』って抱き締めてもらったのがとても嬉しくて……」


「お母さんに?」


「そう、それで、幸太が運んでくれた風月高校の保健室で、その前の事……お母さんに会いに行くところを思い出してね、幸太が一緒だったんだね……あの日」


「いたよ、リコが熱中症で病院に運ばれたあの日……僕は止められなかった、二人が冒険に出ていくのを……リコと……愛花を」


「そう、愛花もいたのよね、お姉さん元気? 愛花にもあってみたいな……ダメかな、こんなわたしじゃ……」


「そんなことはない……でも、事は少し複雑でね……どうだろう、俺より詳しく知っている人に会ってみないか? 俺じゃ……うまく伝えられる自信がない」


「そんなに仰々しく考えなくていいのよwww」


 わたしはおかしくて笑ってしまった。きっと、また、考えすぎて話せずにいるだけなんじゃないかと思った。


「幸太はただ、あなたが知っている事だけを話してくれればいいんだから」


「いや、僕の知っている事だけを話すと、余計に混乱させてしまうんじゃないかな? 多分、疑問が増えるだけだ。だったら少しでも事情を知っている人から聞いた方がいい」


 幸太はそう言うと、さっさと部屋を出る準備を始めた。しっかり話すためにカラオケボックスへ入った筈だ、それなのに、あっさりと方針転換するなんて、そんなに大変な事が待っているのだろうか……。


 カラオケボックスを出ると、太陽は随分と西に傾いていた。横断歩道を渡った先に、淋しげなバス停がひとり佇んでいる。


 二人で黙ってバスを待つ。沈黙は嫌いではない。特に、幸太との沈黙には温かささえ感じた。


 程なくやって来たバスに乗った。幸太はまだ、何も話さない。また、考え込んでいるようだ。どこへ行くのかは聞かなかった。聞いても、到着する所が変わる訳じゃない。


 ただ、幸太は信頼していい人物だと思えた。


 運転手とわたし達だけを乗せたバスは、老朽化して心もとないが、ゆらゆらと大きく揺れるその乗り心地は、悪くはなかった。


 幸太は、無愛想だけれど、わたしの事を考えて話してくれているのだと思える。おそらく、そこに見返りになるようなものは何もないだろう。何の得もないのに、わたしに協力してくれようとしている。


 それから、何より、あの目だ、時折見せる、あの優しい眼差しには嘘や偽りなど、微塵も感じない。


 今は幸太に委ねてみよう。わたしを……居場所を無くしてしまったわたしを、存在を失ってしまったわたしを、幸太に見付けてもらおう。心地よいバスの緩やかなゆりかごを言い訳に、わたしは少し幸太にもたれかかった。


 更に日は傾き、バスは住宅地を離れ、畑の広がる郊外へ向かって、相変わらず心地よくわたし達をゆらす。

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