Aliceの冒険(Side:A-2)-9

 あたしが降りたバス停は、「小学校前」

 今はたぶん、「元」ってつけたほうが実態に合うと思うけど、名前が変更される様子はない。

 亞梨子と初めて会った場所。ゾーンからの避難者が最初に収容されたとこ。

 避難民を受け入れて人口は増えたにもかかわらず、少子高齢化の波はそれ以上だったのか、ほどなく小学校は廃校になったっていう。

 でも、そこはいま問題じゃない。あたしたちが知ってる中で、ここが病院よりもウチよりも、ゾーンに少しは近い、っていうことのほうが大事。

 いや、違うな。もしまだ廃校になってなかったら、亞梨子はここに(勝手に)入れなかっただろうし、入っても誰かが見つけてくれた、きっと。

 正門は閉じたままだったけど、裏口に回ると通用門の電子ロックが解かれていた。あの子はこういうのは無駄に得意なんだから。頼むから犯罪者にはならないでよ。

 無事でいてくれなきゃ、なりようもないか。

 前言撤回。前科のひとつやふたつ付いてもいいから無事でいなさいよ!

 あたしはそこから進入して、体育館に向かおうとしてふと思いとどまった。館内からじゃ、アリスが離床できない。飛ばすなら、もっと開けてて電波の入りが良くて、かつ外から見つかりにくいところ……

 また中庭か!

 理想を言えば屋上なんだろうけど、エレベーターが付いてるか、あっても稼働してないと車椅子では上がれまい。

 この学校の構造は大まかには覚えてる。仮設住宅が出来るまでは何日もここにいたんだから。

 もちろん、あたしも亞梨子も、体育館でじっとしているのに耐えられなかった。だから、学校内を探検した。ときには、同じ町から避難してきた同級生も一緒に。

 最初は男子も平気で混じってたけど、すぐ男女別のグループになって、それから、亞梨子と二人のことが多くなって。

 あたしたちがそうやって席を外してる間に、親同士がなにしてたかは最初はよく分からなくて、でも、あたしはあのときもう、「これからもずっと、亞梨子といたい」って思ってたんだ。

 思ったけど……

 

 亞梨子は、まるで人形のように、中庭に座ったまま、目を閉じていた。

 あたしは、名前を呼んで駆け寄った、はずだけど、まともな声が出なかった気がする。ただごとじゃないのは、明らかだった。

 白い肌が、赤くなってる。

 こんなところにいたから、熱中症にでもなったのか、それともまた何か新しい発作でも起きたのか、わからない。

「ゾーン」で「何か」を見てしまった人、魅入られた人には、何かおかしなことが起きる、とは、いろんな噂を聞いてるし、その一部は事実だ。

 現に、亞梨子に起きているんだから。

 どっちであるにしろ、あたしは闇雲に駆け寄って、揺り動かそうとして、それがまずいこともあると土壇場で思い出し、やっとのことで自分にブレーキをかけた。

 亞梨子は、あたしの声にも起きない。本当に死んでるのかと思ったけど、血の気がむしろ過剰なんだから、それだけはない。

 けど、額に手を当てたら、やっぱり少し暑い。

 あたしは、お昼の飲みかけだったペットボトルがカバンに入ってたのを思い出した。

 ぬるくなったお茶だけど、何もないよりはましだ。あたしはそれを、亞梨子の唇に近づけ、注いだ。

 でも、だめだ。飲んでくれない。お茶はむなしく唇を濡らし、白い院内服に染みを作った。

 ……もう、最後の手段だ。あたしは、お茶を自分の口に含むと、亞梨子に顔を近づけた。

 唇が触れあう瞬間は、さすがに緊張した。けど、ドキドキしてる余裕なんて、あたしの方にも無かったから、もう思い切って押しつける。こっちが濡れてるのに、もうだいぶ脱水症状起こしかけてるような感触だった。

 こじ開けて、ゆっくりと流し込んでるうちに、さすがにちょっと、イケナイことしてる気分も沸いたけど、だからって止めるわけにもいかない。

 だから、亞梨子の喉が、こくん、って動いたとき、一気に押し寄せてきた安堵が、どっちの理由かは分からなくて。

 でも、亞梨子が目を開けるまでそうしていたのは、あたしが、そうしたかったから、なんだろうな、きっと。

「けふっ」

 長すぎてかえって息苦しくなったのか、亞梨子が咳き込んで、あたしはやっと我に返った。これじゃ、助けに来たんだかどうなんだか、わかったもんじゃない。

 それでも、亞梨子は言ってくれた。

「来てくれると思った」

「……あんなんで分かるの、あたしだけよ、ばか」

 言いたいことは、そうじゃなかったはずなのに。

 もう一度抱きついて唇押しつけたいくらいだったけど、そういうわけにもいかなくて、亞梨子にお茶を渡して、119番。

「救急車来るまで、日陰に入ってなさい」

 なのに、亞梨子はペットボトルを持ったまま、ぼーっとして動かない。自分で移動できないくらい、やばいのか。車椅子を押して校舎の影に入ると、亞梨子はか細い声で訴えた。

「そっちじゃ、ダメなの」

「なに言ってるの、すっかり茹だってたくせに」

「お姉ちゃん、お願い」

「だーかーらー!」

「ありすを、たすけて」

 一瞬。何言ってんだと思った。だから、こうして……

 でも、亞梨子が力の無い手で、ペットボトルよりも必死に押さえてるのがタブレットだと、それでようやく、あたしも気づいた。

 アリスにも、何かあったんだ、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る