人形師の憂鬱(Side:A)-5
早歩きで病室に近付くと、だいぶ手前からもう、亞梨子の声が聞こえてきた。
「……は、やめないもん」
「でも、お姉ちゃんの成績が下がったらどうするの」
続いたのは母の声。
予感的中、かな。
あたしはもう、禁則事項なんか無視して走った。といっても、ほんの数メートル、勢い余って逆に通り過ぎるところをなんとか止まるけど、半円の眼鏡がずり落ちる。
眼鏡を直すついでに深呼吸してから、ドアを開いた。
ベッドに座った亞梨子と、丸椅子に座った母とが、そろって眉間にしわ寄せてにらみ合っていたのが、同時にこっちを向く。
血が繋がってない同士の組み合わせなのに、妙に似てるな、と、あたしは間抜けなことを思った。あたしが母親に似てないから、余計に。
「お姉ちゃん?」
亞梨子はすぐに顔を緩めて、でもやっぱり意外そうだったし、母に至っては
「どうしてここに? 今日は呼んでないでしょう」
ときたもんだ。
「なんでそれを母さんが知ってるのよ」
いつ何の用であたしが呼び出されるかは亞梨子の勝手なんだから。
「呼ばないように言ったからです。あなたにとって迷惑だと思ったから」
「なんで? あたし、来たくないなんて言った覚えないよ」
さすがにちっよとカチンと来て、言い返した。瞬間、亞梨子の表情が変わったのに、あたしはめざとく気づいた。
けど、問題はあたしたちの気持ちとは別だった。
「あなたが最近、授業中に寝てるって、学校から職場にメールが来たのよ?」
「あちゃ」
そっちか。しまった。
そりゃ、部活にも入らずまっすぐ帰ってるのに、睡眠不足になるのは不自然だよねぇ。で、それが何のせいなのか、母はお見通しというわけで。
「いや、でも」
最初の勢いはどこへやら、あたしは情け無い声を絞り出すしかなかった。視線をまた亞梨子へずらすと、今度はあきらかに、がっかりした顔をしていた。
ごめんよ、頼りない姉で。
「……いいよ、もう」
亞梨子はあきらかに、ぶーたれた顔と声で横の車椅子のほうを向いた。
「明日から全部、一人でやるもん。外出許可もらってくる」
えっ、一人でって、そんな、と、あたしは固まるだけ。
「駄目よ、まだ」
母が先手をとって車椅子を押さえにまわった、と、思った次の瞬間。亞梨子の左手が、ベッドの逆サイドに置いたタブレットをタッチしたのを、あたしは見逃さなかった。
ベッドの下から飛び出したアリスが、あたしの横を走り抜けていったのが一瞬のこと。見掛けないと思ったらそんなところに。ロボット競技会でも上位安定の俊足だ。看護師さんか他の患者か、廊下で小さな悲鳴が上がる。
「ふふーん、病院の見取り図は入力ずみだから、あとは勝手に先生のところまで走るよ。メッセージも録音済みだし、私だってのは見ればわかるよね」
亞梨子はとても得意げだ。母が唖然とするのも無理はない。
「でも、いまのアリス、服着てなかったけど」
あたしはようやく冷静なつもりで、いま見たことを告げた。ホビーロボットとはいえ亞梨子に似せようと造形には力入ってるから、ある意味まずい絵面じゃないかな?
「そんなもの病院で動かさないで!」
母は常識的に咎めた、つもりだったろうけど。
「だってー、お姉ちゃんが服、縫ってくれないんじゃ、しょうがないじゃなーい?」
ぬけぬけと言ってから、亞梨子はあたしに目配せしてきた。
こやつはー。一人でとか言っておきながら、それが狙いか。
この手玉に取られてる感といったら。
でも、困ったことに、嫌じゃない。
あたしは改めて、母に向き直って、また深呼吸一回。それから、なんとか口を開いた。
「あと三日。そしたら、あの子の服が縫い終わるから。それまでは、やらせて」
「なにも、あなたが亞梨子のわがまま聞かなくてもいいって言ってるの」
「違う。あたしがやりたくて、やってるの。徹夜はしないから」
うう、親とこんなにやり合うのって何年ぶりだろう。進路相談以来かな。やがて、ありがたいことに母のほうが折れてくれた。
「……今度、学校から何か言われたら二度と聞きませんからね」
「うん」
よし、まずはこれで。まあ、明日また即、寝たりしたら元の木阿弥だけど。
「まったく、お父さんも、なにもロボットなんて買ってあげなくても良かったのに」
母さん、悪いけど、それは違うの。
ロボットでなけりゃ、いけなかったんだ。あたしたちにとっては、ね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます