EXエピソード後編:それは嬉しさの涙

「よう、久しぶり。というか、数日ぶり」

「光希くん、どうしたの? 今日というか、五月はあまりここには来られないって聞いていたけど……」

「確かにペンタゴンの方は忙しい……しかしながら、それを済ませてから楓に会いに来た」

「えっ、私に?」


 突然の言葉に驚く楓。

 なぜそこまでして来てくれたのだろうかーーそう疑問を抱く前に、光希が先手を取って話す。


「ここに来てからある程度経過したけど。ちゃんとやれてる感じ?」

「あ、うん。周りの人もすごく良い人で、まっすぐに仕事ができて楽しい」

「そうか、良かった」


 光希は小さく笑みを浮かべて安堵する。


「ほら俺というか……菊池さんもだけど、流れで楓を全く知らない環境に連れてきちゃってさ、色々と人生を大きく変えてしまったこともあって、俺なりに責任を感じているというか……」


 光希は頭をかきむしる。


「一応、楓を紹介した責任者として、今が幸せかどうか確認するべきだと思ってな」

「そんな……紹介してもらった上に、そこまで責任感を抱かなくても……」


 楓は光希の言葉に申し訳無さを感じる。


「フリーランスって意外と会社との契約でミスマッチングが起こりやすかったりするし、菊池さんのところだから大丈夫だとは思ったけど、一番最初の紹介が嫌な場所だったら嫌じゃん」

「まあ……そうだけど」


 派遣で様々な『ミスマッチング』を経験している楓にとっては、そういうハズレも想定することが前提と考えているようだが、


「数は少ないけど、確かにあたりは存在する。楓には、お金とか立場とか全部無視してもらってでも、一度はやりがいという可能性を感じ取ってもらいたかったんだ」

「やりがい……?」


 久しく聞いていない、大人には関係の無い言葉だと思っていた楓。

 派遣切りという絶望から一ヶ月後に、その言葉を聞くことは予想もしていなかった。


「あくまで俺の予想だけど、楓はやっぱり光る原石だったもかもしれないな」


 光希は唐突に言う。


「だってさ、たった一ヶ月しか経っていないのに、出会った直後と比べて全然違うのな」

「え、えっと、どんな風に……?」


 楓自身、時運がそこまで大きく変わったという自覚はないが、光希は違うという。


「具体的にどうってものでもないけど、一皮むけて、素直になった気がする」

「素直になった?」

「素直になった」


 楓の疑問系に、言葉をそのままに肯定で返す。


「……私って、そんな偏屈に見えた?」

「あ、いや……そういうわけじゃなくって」

「どういう意味?」


 苦笑いで楓は問う。


「深い意味はないよ。ただ、派遣で自分のやりたい事をずっと我慢してきたんだろうけど、今は自分にわがままになって、やりたい事にまっすぐ進めているなってこと」

「あっ……そういう事」


 楓はその言葉を聞いて安堵する。


「言ってしまえば、自ら望んでもいない仕事なんてつまらないものさ。大抵の人は、それを我慢し続けながら毎日を過ごしている――妥協しているんだ。自分のやりたい事だけでは、世の中を回していくことなんて出来ないって、大人になるにつれて実感してしまうからな」

「……私も少し前までは、そうだった」

「でも今は違う……わがままになった。それでも自分は社会の中で、自由を求めたいという意志を強く持つようになった」

「そう、かな……」


 楓自身、自分の中で実感はないけれども、光希が言うからそうなのだろうと言葉を信じる。


「そんなわがままになった楓に、ちょっとしたプレゼントを用意したんだけどさ」

「プレゼント……?」


 唐突な言葉にキョトンとする楓。

 光希は言うと、左手に持つ紙袋を差し出す。

 楓は差し出されるままに紙袋を受け取ると、光希の「開けてみて」という言葉に従い、丁寧に梱包された袋をゆっくりと開ける。

 すると――


「あっ、ペンタブのペン……」


 そこには、高級な箱に包まれた高性能タブレット専用ペンが楓のために用意されていた。


「以前、楓の部屋でペンタブを見かけた時からずっとプレゼントしたいなって思ってたんだ」

「それは、どうして……?」

「なんというか……楓はこれからプロになるわけだし、アマチュアクラスの道具をいつまでも使う訳にはいかないだろうなって思ってね――ペンタブ本体は流石に高いから、ちょっとだけ性能が良いペンだけでもプレゼントできたらなって思ってね」


 光希は少し表情を赤らめながら言う。


「うそっ……私なんかのために……」

「私なんかって……自分をそんなに卑下するなよ」

「で、でも……ここまでしてもらえるなんて……」


 楓は驚いた表情で、どのような感情をあらわにすれば良いのか分からぬままに、目を見開いて紙袋を抱えている。

 体験したこともないような出来事に、ただただ純粋に戸惑っている。


「俺さ、デザインのことはあまり詳しくないから、スマホで調べながら良さそうなものしか選ぶことができなかったけど、それでも楓に喜んでもらいたいなって思ってね」


 光希は鈴蘭の里でペンタブを調べていたことを思い出す。


「ぐすっ……」

「んっ、どうした? もしかして、また泣いているのか?」

「な、泣いてないからっ……!」


 光希の言葉に反論する楓の声は、少しかすれて声が小さい。

 恥ずかしがりながらストールを抑え、顔を隠している。

 その隠れた表情には、小さな粒が溢れているのが光希には見えたが――


「楓はもう、強くなったんだもんな。ちょっとしたことで泣くなんて、もう無いもんな」


 光希は楓から視線を逸し、建物の入口から見える外の景色に目をやる。


「そ、そうだよっ……私はこれから、自分らしく、自由に生きてっ……光希くんなんかが追いつけなくなるような一流のプロになって……素敵な毎日を送ってみせるんだからっ……!」

「ははっ、良く言うよ。まだ一ヶ月しかたっていないくせに」


 光希は楓の言葉をからかうような素振りで流す。

 そんな光希の素振りに対抗心を燃やすように、楓は言葉を続ける。


「で、出来るもんっ……!」

「いや、それは俺が許さない」

「えっ……ど、どうして……?」


 光希が楓の元へ振り向いて、


「だって、俺と一緒に成長しないなんて、寂しいじゃんか」

「っ……!」


 光希は少し恥ずかしそうな表情で、楓にまっすぐ伝える。


「ほ、ほら……せっかくこうやって縁があったわけだし、何というか……それでバラバラっていうのもなんか悲しいじゃん」

「えっ、それって、どういう……」


 楓がどういう意味なのか、それを問おうとしたけれども、光希はその言葉を振り切るように歩き出し、出口の方へと向かっていく。

 出ていく光希に手を伸ばし、楓は『待って』という言葉を告げるも、光希はそれを振り切る。


「また会おうな、楓。今度は鈴蘭の里で、頑張った成果を教えてくれよな」


 光希は背中越しに片手を振り、自動ドアを抜けて外へと向かっていった。


「…………」


『一緒に成長しないなんて、寂しいじゃんか』


 楓は先程訊いたばかりの言葉を思い返す。

 その言葉には、果たしてどんな意味が込められているのだろうか――

 どうして、いつも真っ直ぐな光希であるというのに、目を逸して語ったのだろうか。

 楓は言葉の意味もわからぬままに、ただ立ち尽くしていた。


 しかし、楓の身体はなぜだかポカポカとチカラに満ち溢れたような野心が湧いてきている。

 泣いてしまったというのに、なんだか心が嬉しさを感じている。


「(この涙は……悲しみの涙じゃない。私が自分と向き合って、嬉しくなった『感動』なんだ……!)」


 楓は目に少し浮かんだ涙を袖で拭うと、小さく笑って光希から貰ったプレゼントを強く抱きしめた。


 一巻EXエピソード -完結-

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【ラブコメ】光希と楓はフリーランスの模様です タチマチP @String-like

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