第6話:キックオフ、その後

 午前十一時十分 ペンタゴン・ユニックス 玄関前


「今日は来てくれてありがとね、光希くん」

「いえいえ。こちらこそ、プロジェクトに参加させていただきまして、ありがとうございます」


 光希は野崎に対し、軽く頭を下げる。


「ははっ、気にしないでよ。光希くんには、よく世話になっているからね。お返しっていうのも何だけど、経歴に残るような仕事を紹介できたことは何よりだと思っているよ」


 野崎は笑いながら、光希に言う。


「それじゃあ、俺はさっさと帰ろうと思います。今の時間帯なら、電車に人は少ないでしょうし」

「ああ、光希くんは満員電車のことが何よりも大嫌いだもんね」


 野崎は知っているように話す。


「はい。俺が社会人を辞めて、フリーランスになった理由の一つでもあります」

「満員電車が嫌で仕事を辞めちゃうっていう人は稀に見かけるけど、光希くんの場合は、また特殊なケースかもしれないね」

「自分でも、随分と踏み切った判断だったなぁと、今でも思います」


 光希は軽く笑いながら言う。


「光希くんがフリーランスというやり方に強いこだわりを持っていないなら、うちの会社にぜひ社員として入ってもらいたいんだけどね……」

「はは、またその話出ましたね……」

「そりゃあね――じゃなきゃ、ディレクターが直々に業務委託の人を見送りなんてしないよ」


 野崎は言う。


「ありがたすぎて嬉しすぎる話ではありますが――でも今は、もうちょっとだけ自由にやってみたいなっていう気がしていまして……」


 そんな野崎の言葉に対し、しみじみとした表情で返す光希。


「君はまだ若いから、自由に生きるというのもまた一つの選択肢だと思う――ただ、やっぱりフリーランスというのは常に近い未来の仕事が見えないという心配もあるからね……もしも、そんな不安に押しつぶされそうになったら、いつでも僕に相談するんだよ」

「野崎さん、ありがとうございます」


 そんな野崎の心づかいに、深い礼をする光希。


「……さて、僕はこの後、プロジェクトのスケジュールや予算案についてのミーティングをしなくてはいけないから、ここで失礼するよ」

「お疲れ様です。がんばってくださいね」

「うん、ありがとね。じゃ、ばいびー!」


 野崎は少し古臭い言葉で光希に別れを告げると、のんびりとビルの中へと入っていき、姿を消した。


 そして、野崎の姿が見えなくなったことを確認した光希は、


「押しつぶされそうになったら……ね」


 と、先程の言葉について、考えるように呟いた。


★★★


 午後十二時二分 新宿駅口内


『十一時四十分頃に、渋谷駅構内で人身事故が発生致しました。その影響で、西京線の運転を全線見合わせております。お客様には大変ご迷惑をおかけし――』


「クソッ……何たる不運だ」


 光希はホーム内に流れるアナウンスを聞いて絶望をしている。

 人身事故の影響で電車に乗ることが出来ずに困り果てている人達と、電車が止まっていることをまだ知らない人達が入場している影響で、普段ならお昼の時間帯は人が少ないにもかかわらず、現在は帰宅ラッシュさながらの混み具合となっている。


 光希も電車の運転見合わせを知らずに入場してしまい、現在の状況に巻き込まれてしまったのだ。


「はぁ……マジか……マジかよ。この一番人がいない時間帯にわざわざ人身事故かよ……マジで東京何なんだよ……」


 ぶつぶつと呟くように愚痴を漏らす光希。

 人混みに飲まれてしまった影響で、更に元気が無い。


「仕方ない……このまま構内にいても、ひたすらテンションが下がるだけだから、駅を出て、どこかで適当に時間を潰すか……」


 光希は言うと、フラフラの姿になりながら、ゆっくりと階段を登っていき、駅員にICカードを見せて、駅を退場する。


「……ふぅ。駅の外も人は多いけど、さっきよりは随分とマシになったぜ」


 光希の表情は、駅の構内にいたときよりも表情が良くなっている。

 どれほどに満員の駅が嫌いなのかというのがよく分かるほどだ。


「これだとしばらくは家に帰ることができないな……どこか喫茶店で時間でも潰す――」


 首を振りながら喫茶店がないか探す光希。

 しかし――


「うぇ……めっちゃ混んでいやがる」


 電車の遅延ですぐに動かないだろうと判断した他の人達が、同じく喫茶店で時間を潰そうと、レジの前に行列を作っている。


「俺は電車のラッシュも嫌いながら、行列に並ぶことも同じくらい大嫌いだからなぁ……」


 光希は呟くように言う。


 他の人が行列を作っているのは、十五年ほど前にアメリカより上陸した、コーヒーショップのドリームカバーコーヒーだ。

 味の評価というよりも、雰囲気ふんいきで評判を得ている特殊な喫茶店だ。

 窓越しに座っているお客を見てみると、コーヒーの味を楽しんでいるというよりも、パソコンやスマホを弄る時間を謳歌おうかしているようにみえる。


「仕方ない……金はかかるが、もうワンランク高い喫茶店に行くか。人身事故だし、一時間は動かないだろうし、待っている間にストレスをためてしまうのは嫌だからな」


 光希は財布の中身を確認すると、喫茶店を背に向けて、スタスタとビルが多く建っている方へと歩いていった。

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