第7話:鈴蘭の森へ、

 十二時十五分 喫茶店 鈴蘭すずらんの里


「ふぅ……ここなら人が多くないし、ゆっくり出来る」


 光希は安堵あんどするように言う。

 ここは、新宿駅から十分ほど離れたビル内にある、鈴蘭すずらんの森という喫茶店。

 都会のど真ん中で営業をしているが、昭和の香りを楽しんでもらうために、時代に逆らうようなモダンな作りをしている純喫茶だ。

 

 光希がここを選んだのには理由がある。


 この喫茶店以外の他のフロアは、ほとんどオフィスが入っている為、一般の人が中々入りにくい雰囲気を出している事と、オリジナルコーヒーが一杯千二百円と高額な事から、意図して選んだ人以外は店に入らない。


 それを知っていた光希は、この喫茶店なら大丈夫だろうと来たところ、見事予測が的中した。

 店の中には一人、二人のお客が座っているが、光希にとってはそれは問題ないようだ。


「ここの店は、ランチはしないから昼時は空いてて助かるぜ。おかげでのんびりと時間を潰せる」


 光希は本革のソファでくつろぎながら言う。

 あぁ〜と、どっぷり体をソファにゆだね、日頃の疲れをいややすように、リラックスする光希。


「おい光希、そのソファ新しいやつなんだから、雑に扱うなよ」

「良いじゃないですか進さん。ならどうせ五年後には価値がゼロになるんですし」

「ばーか、経理的な都合で言ってんじゃねえよ。一応本革だぞ」


 テーブルのカウンターに立っているのは、野崎のざき しんという男性。

 先ほどプロジェクトのキックオフをしていたディレクター野崎の兄だ。


 光希は同じ野崎だと呼びにくいだろうと、兄の方は『野崎のざき』ではなく、下の名前である『しん』と呼んでいる。

 本来ならば順番的に兄を名字、弟を被らないように名前で呼ぶというのが自然な流れであるが、同じ仕事をしている人を、しかも大手会社のディレクターを下の名前で呼ぶわけにもいかず、自ずとそのような流れになった。


 ちなみに進が今の喫茶店を始めたきっかけは、高級志向でやれば高単価で楽に稼げるだろうという何ともシンプルな理由。

 自分なら絶対に成功できるだろうと自信を持ち、元々やっていたフリーのSEから三十歳で転身したという。

 そして店を開いてから九年ほど経過した現在、予想より楽ではないが、上手くやればハーレーの維持は出来るくら稼げると、静かな自慢を毎回光希にしている。


「まあまあ……突然ぽんと本革ソファを買うっていうことは、進さん、儲かっているんですよね?」


 光希が手をお金のマークにして進に訊く。


「へへっ……それは秘密というやつですよ光希さん。見て分かれ! 心で感じろ! そして最終的にこの俺をうらやめぃ!」


 進が両手でお金のマークにしながら言う。


「はいはい進ちゃん、あまりお金の話を店の中でしないこと。光希くんもね」

「あ、咲さん……」


 カウンター席に座っていた女性が突然二人の会話に入り込み、お金お金した会話に水を差す。

 彼女は進の奥さんで、同じビル内の別階層にある会社で働いているさき夫人。

 お昼休憩には、よくここに来るという。


「おっといけねえ。また光希に自慢しまったぜ……悪いな、良いとこ見せちまって」

「……ったく、絶対わざとじゃないですか」


 光希は肩をすくめて言う。


「ちなみに光希くんに補足情報だけど、その本革のソファは私の部署で作ったもののサンプルで、この店のお客さんにアンケートを取るように一時的に設置しているだけだから」

「ちょ……咲ちゃん。なにバラしちゃってんの」

「ふふ……だって、何だかあなたの言い方がイラっときちゃったから♪」


 咲が悪気がなさそうな表情で言う。

 その表情はとても美しいにも関わらず、どこか黒い闇のようなものが一瞬見える気がする光希――

 そんな咲の言葉で自らのアピールのウソをバラされてしまった進は、たじたじとしながら、

「ま、まあ、そういうことだ光希。うっかりだまされちゃったか?」


 と、大量の汗を流しながら親指を立てて光希に取り繕った。


「進さん、それはちょっと苦しいですよ」


 しかしながら、その建前も全く効かなかったのか、進の挙動に光希も呆れた様子を見せる。


「うるせー! いいから、うちの店で一番高いブルーマウンテン二千円を注文してハーレーのパーツ代に貢献しやがれ」

「あっ、また売れもしないのにムダに高いコーヒー豆仕入れたの?」

「いやいやいや、咲ちゃん。無駄じゃないから。ジャマイカの千メートル付近で育てられた貴重な豆なんだよ! 分かる人には分かるコク深い味なんだって!」

 進が咲に、そう説得するが――


「でも売れないんでしょ?」

「はい……」


 と、咲の一言で、熱く語っていた進のトークを一瞬で停止させた。


「というか進ちゃん。他にお客さん入っているんだから、私達が無駄むだ話しちゃあ迷惑になっちゃうでしょ?」

「えっ……ああ、そうだったな。いつものように、紳士的な態度を取らなくては……」


 進はそう言って、自らの曲がったネクタイの位置を整えて戻す。

 進の目の先には、先に奥の席の通していた二十代ほどのリクルートスーツを着た女性が目に入っている。


「…………」


 カリカリ……

 カリカリ……


 紙の上で、ペンを走らせる音が静かに響き渡っている。

 その女性は、机の上に資料を出して何かを書いている。

 集中している時にうるさくしてしまい、不快にさせてしまっただろうかと感じた進は、カウンター席から女性の方へと身体を傾け――


「申し訳ございません。うるさくし過ぎてしまいましたね。大変失礼致しました」


 と、右手を胸に当てながら身体をまっすぐに折り曲げ、頭をゆっくりと下げた。


「…………」


 カリカリ……

 カリカリ……


 しかし、その女性は進の謝罪に気づいていない模様もようで、なおも机の上に置かれた紙に向かい、無我夢中になってペンを走らせている。


「……あらら、気づいていないようね、進ちゃん」


 咲は肩を竦めながら言う。


「そ、そう……? なら、俺達が騒いでいたことも気づいていなければ良いんだけど」


 先程の紳士モードから崩れた進は、腑抜ふぬけた表情で笑いながら言う。


「それはわからないですけど……にしても、この子の集中力すごいですね……一体何を書いているんでしょう」

「まあ……リクルートスーツを着て、白い紙にボールペンで何かを書くと行ったら――」

「ああ……」


 光希を始め、全員がすぐに答えを把握した。


「そういえば、今年は三月から来年度の就活解禁ですからね」


 光希は納得したように言う。


「遠方から東京に面接だと、なかなか時間が取れないもんな。そりゃスキマ時間で履歴書書くわな」


 進も労うように言う。


「しかも、今の時代でも新卒の子は履歴書を手書きで書かなきゃいけないなんて、大変よねぇ……パソコンが普及して二十年以上経つっていうのに……」


 女の子の集中する姿を見て、咲は言う。


「それにしても、就活なんて本当に懐かしいぜ。俺の時代は、いわゆる氷河期の時代だったから、嫌な思い出しか残ってねえよ」


 進は、ため息をついて言う。


「あら、一応は大手のIT会社に入ったんでしょ? 何言ってんのよ」

「いやいやいや、マジで自分の感情を殺して就活をするマシーンになって、ブラックだろうがサビ残だろうが、上司の罵倒ばとうだろうが喜んで受け入れいますみたいな事をスラスラ言えるよう自分を洗脳して、ようやく勝ち得た勝利だからな?」

「うわ……マジパねーっす、進さん」


 社会の厳しさに立ち向かった進をねぎらう光希。


「おい光希、せっかくだからお前、あの女の子の履歴書を書くのを手伝ってやれよ」

「えっ……なんで俺がっ!?」


 突然の進の提案に、思わず驚く光希。


「就活の苦労を一番直近で知っているのは、この中でお前だからだ」


 進は光希にビシっと指を指していう。


「そりゃあ……三年前に専門卒で就活した時は、血反吐ちへどを吐くような思いをしていたのは覚えていますけど……俺、そんなにアドバイスなんて出来ないですよ」

「いいんだよ、そこまで有用的なことが言えなくても。お前の苦労話だったり、就活の時はこうやってたみたいなアドバイスをすることで、今の苦労を分かち合うんだよ。それだけでも、内定がなかなか獲得できない就活生にとっては心が救われたりするもんだ」


 進は熱弁する。


「そんなもんですかねぇ……俺はそういうの無かったですよ」


 進とは正反対に冷めた様子で言葉を返す。


「光希くんは会話はまあまあ上手いから、面接で人事に気に入られて、意外とすぐに仕事先が決まっちゃうタイプなのよね」


 咲が補足するように言う。


「なら尚更だな。向こうが集中して俺達の騒ぎを聞いていなかったにせよ、このままだと俺達に罪悪感だけが残ってしまうから、せめて疲れた就活生に希望を抱かせるような温かい言葉をかけてやれ」

「えー、主にうるさかったの進さんなのに、俺が全部やるんですかぁ……?」


 光希が心底しんそこ気だるそうに言うと、


「お前が頼んだオリジナルブレンド千二百円、半額にしてやる」


 と、進が言うと、


「くっくっく……やるじゃないですか……」


 と、悪い顔をして光希が喜んだ事で、交渉が成立した。


「……なんとも安い契約だこと」


 そんな二人のやり取りに呆れつつ、咲はコーヒーを口にする。

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