【外伝】第4.5章:楓は今回のまとめに入る模様です

補足EP04:そして、4月の下旬――

 四月二十九日 十一時 新宿駅


 光希との徹夜イベントから2日経過した後のこと。

 この日、楓は『とある人』との約束があるため、休日ではあるが電車に乗り、東京へと出向いていた。


「新宿~~新宿~~ご乗車~ありがとうございます……」


 スタスタスタ……

 スタスタスタ……


 楓が向かっていたのは、光希が毛嫌いしている『新宿駅』だ。

 電車が新宿駅に到着すると、人混みに紛れながら、楓が出てくる。


「ふぅ……やっぱり祝日だから、新宿を降りる人がいつもより少ないなぁ……全然辛くなかった」


 楓は電車を降りて、中にいる四割程度の乗客を見て言う。

 過去に体験した地獄のようなぎゅうぎゅう詰めの朝のラッシュとは程遠い、ゆったりとした光景が楓の視線に入る。

 車内にはサラリーマンはほとんどおらず、どこかへ遊びに行こうとしている若者や、家族サービスをする親子ばかりで全体の比率を占めている。

 これなら、光希も多分大丈夫かもしれないと一瞬考える楓だが――


「……まあ、光希くんにとっては、まだまだ絶望ランクなのかもしれないね」


 やはり無理だろうと否定して、電車の中で青ざめた表情をしながら手すりに捕まっている光希の姿がイメージで浮かんでしまう楓。

 妄想にすぎないのに、ふふ……と思わず笑う楓。

 そんな一人笑いをこっそりと行いつつ、楓は約束をしている場へ向かうべく、駅の外へと向かっていった。


 ………

 ……

 …


 四月二十九日 十一時一分 鈴蘭の里


 カラン……

 楓が店の扉をゆっくりと開ける。


「んー? 祝日のこの時間にお客――って、楓ちゃんか。いらっしゃい!」

「こんにちは進さん。到着しました!」


 客側のカウンター席で足を組みながらガジェット雑誌を読んでいた進だったが、楓が到着するやいなや、その体制を整え、片手を上げて楓を迎え入れる。


「ああ、何飲む? ブレンド、キリマンジャロ、それとも紅茶? 今日はタダでいいから、好きなもの頼んでくれよ」


 進がカウンターの裏に入り、楓に対して気前よく注文を訊く。

 楓はその言葉を聞くと、ニコッとした表情を進に見せ、うーんと数秒悩んだ末に、


「じゃあ、一番高いブルーマウンテンを頂いてもいいですか?」


 と進に注文をお願いした。


「かぁ~! 楓ちゃん、随分と金に賢くなっちゃって……光希のケチなところがうつっちまったんじゃねえの?」


 進はわざとらしい苦笑いを見せながら、ブルーマウンテンの豆が入っているびんを開け、豆を取り出してコーヒーミルで挽いていく。

 楓はそのままカウンター席の中央に座ると、ニッコリとした表情で、挽かれるコーヒー豆のガリガリという音に耳を澄ます。


「一応、マジで二千円で売らなきゃ損するような、すごくいい豆を買っているからね。タダとはいえ、ありがたく飲んでくれよ」

「はい、ありがとうございます」


 豆をガリガリと荒挽きながら進は言う。

 すると、そこに――


 カラン……

 再び店の扉が開き、入り口の鐘がなる。


「お疲れ~進ちゃん」


 店内に入ってきたのは、進の奥さんである咲だ。

 今日は祝日で仕事が休みのため、咲はボーダーのトップスにコーディガンを纏い、ダメージ強めのデニムというラフな格好をしている。

 大人らしさを魅せつつも、若い格好を出すという咲らしい服装だ。

 咲はそのままカウンター席に向かうと、楓の隣に着席する。


「楓ちゃん、久しぶりね。数週間ぶりくらいかしら」


 咲は楓の肩を組んで訊く。


「そうですねぇ……三週間……いや、もう少し経ったかもしれないです」

「うーん、時が経つのも随分と早いわねぇ……いつの間にそんなに過ぎてたか」


 咲はしみじみと思い返して言う。


「まあまあ、年をとると時間が短く感じるってね。昔は親が言っていたけど、俺達が感じる番になったようだな」


 進は挽いた豆をドリッパーの中に入れ、店名の書かれたステンレス製のポットでお湯を注ぐ。


「あーあ。私も今年で三十五歳になるからなぁ……もうすっかりおばさんじゃない」


 両手を上に伸ばして、気だるそうな表情で咲は言う。

 時折、首を左右に振ると、ゴキッ……ゴキッ……という肩こりの音が、店内へと響き渡る。


「咲ちゃん……音、音が……」

「仕方ないでしょう。毎日仕事で精一杯頑張っているんだもの」


 進は咲の肩こりの響き渡る音を苦笑いしながら指摘する。

 そんな二人の様子を見ながら、以前会ったときと変わらないやり取りをしているなぁ……と楓は感じた。


「ところで、仕事といえば楓ちゃん。今はライフプログラムワークスで働いているんだっけ? 調子の方はどうだい?」


 進が楓に訊くと、


「ふふ……ぼちぼちですかね」


 と、ニッコリとした返事で返事をする。

 それを見た進は――


「へっ、ウソつけ。以前会ったときよりすげー嬉しそうな表情をしてんじゃん。そういうのは『ぼちぼち』じゃなくて『最高』って表現するのが正しいんだぜ」


 と、笑顔を返して楓に言う。


「うんうん。以前の人類絶望の光景を見ていた時と比べて、楓ちゃんが楓ちゃんらしく働けるようになった証拠ね」

「えへへ……そうかもしれないです」


 楓は溢れる笑みを抑えずに言う。


「菊ちゃんは、ちょっとマイペース過ぎるところがあるかもしれないけれど、自分以外のメンバーの幸せを考える良い人だから、人に恵まれたっていうのは強いわね」


 咲がそう言ったことに対して、楓は――


「あれ? 私、咲さんに菊池さんのところで働いているって言いましたっけ?」


 と、まだ細かく仕事について説明していないのに、何故その情報を知っているのかということを咲に問いかける。


「ふっふっふ……楓ちゃんには黙っていたんだけど、実は私と菊ちゃんは仕事を通じた仲の良い知り合いなのよ!」

「そ、そうだったんですか……」


 驚いている楓に対し、咲はスマートフォンで菊池が連絡先として登録されていることをアピールする。


「以前クリエイター用の椅子を営業で納品しに行った時、たまたま菊ちゃんが窓口になってくれてね……話し込んでいくうちに、いろいろと息が合うことに気づいて、友だちになったのよ」

「は、はぁ……」


 随分とスムーズだな、と楓は思う。


「咲ちゃんは、物事をすげーはっきりというタイプだろ? 俺もその菊池さんという人にあったことがあるけど……ほら、何というか……性格的に似てるじゃん?」

「ああ……」


 男勝りにガツガツと進んで、常にまっすぐはっきりと良し悪しを判断して口にする。

 それでもって、二人共働き方についての意見が一致しているため、出会った時点で仲良くなったのは必然的だったのだ。


「楓ちゃんの働きぶりを聞いているけど、新しいことに屈せずに、積極的に毎日頑張っているって菊ちゃんが言っていたわよ」

「そ、そうなんですか……ただ、毎日一生懸命に頑張っていただけではあるんですけど……」

「何言っているのよ。この業界に入っていきなり褒められるなんて滅多にないんだから、私としては喜ばしいことと言えるわ」


 と、遠慮気味の楓に対して咲は言う。


「まあ……ともあれ、現場での評価が良くて、楓ちゃん自身も頑張っていられるならば、俺たちや光希のやったことは正しかったのかもって安心できるな」

「確かに、私もちょっと心配していたのよねぇ……他人事みたいに働き方を勧めちゃっていないかなぁ……とか、不幸せになっていないかなぁ……ってね」


 進と咲は、しみじみと楓と出会ったときのことを思い出しながら、現在の楓の様子を見て安堵している。


「……ん? そういえば進ちゃん。光希くんはどこに行ったの?」


 咲が光希という名前を聞いて、店内に不在であることを思い出す。

 当たりをキョロキョロと見渡しながら「いないわねぇ……」と咲は呟く。

 

「光希はまだ来てねえんだよ。なんか、単発で引き受けたウェブサイト記事の納品締め切りが前倒しになっちまったようで、それを作り終えてから来るって言ってた」


 進が肩を竦めながら言うと――


「あらら。単発で仕事は引き受けるものじゃないわねぇ……そういう爆弾が常に潜んでいるから、触りたくないものね」

「まあ、そこは自業自得だな。小せえ会社は確率でブラック依頼があるっていうのを身をもって勉強できたな」


 進は笑いながらコーヒーを注ぎ、楓と咲にブルーマウンテンを振る舞う。

 と同時に、進のスマートフォンからバイブが唸り、進はスマートフォンを手に取る。

 進は表示されている画面の内容を見ると、一瞬目を見開いた後、小さく「ふんっ……」と笑ってみせた。


「ん、どうしたの進ちゃん?」


 進の笑いが気になった咲は、その理由を問いかける。


「ほら、これだよこれ」


 と、表示されている画面を、咲と楓に見せる。

 そこには、光希からのチャットが表示されていた。


『仕事を終えて、タクシーで全力してきました……今エレベーターに乗って向かっている最中ですので、俺は眠気を覚ますために一番高いブルーマウンテンでお願いします』


 このメッセージを見た進は、


「……ったく、相変わらず金にがめつい野郎だぜ」


 と言いながら、


『俺特製のインスタントコーヒーを振る舞ってやるから早くこい』


 と、光希に向かってチャットを返した。


「光希くん、これから来るんですね」

「ああ、なんとかブラック仕事は終えられたようだな」


 楓の言葉に、進は笑いながら返す。

 進はスマートフォンをポケットにしまうと、カウンターの後ろにあるブルーマウンテンの豆と取り出して、いつもより多めにすくい上げると、そのままコーヒーミルに入れて削り始めた。


「あら進ちゃん。随分と奮発するのね。光希くんは、味よりも値段でコーヒーの良し悪しを決めるタイプなのに」

「まあ、徹夜で頑張ったってんなら、ご褒美くらいはくれてやろうと思ってね。ほら、俺ってかなり器がでかい人間だからな」


 進はへへっ……と笑いながら、荒削りに豆を削っている。

 その言葉を聞いた咲は、小さく笑いながら、楓の耳元まで近づき――


「楓ちゃん。実はこのブルーマウンテン、店でも豆の納品でも高すぎて売れないから、だめになっちゃう前に奮発サービスしているだけなのよ」


 と、進に聞こえるように奮発のネタバラシをした。


「ちょ……咲ちゃん! せっかく俺が実は良い人みたいなキャラ設定を楓ちゃんにアピールできると思ったのに、それじゃあ俺のイメージが上がらないじゃんっ!」


 進は困った表情で、咲に言う。

 それを見た楓は、


「(やっぱり、進さんは光希くんのことを考えてくれる良い人なんだろうなぁ……)」


 と、小さく微笑みながら思った。


 そんなやり取りをしていると――

 カラン……カラン……


「ん……何だ?」


 と、扉の鐘が鳴ったことに気づく。

 進は扉の方へと振り向くと――


「お疲れ〜っす。進さん、咲さん、with楓」


 と、光希が片手を上げながら、店内へと入ってきた。


「おっ、思ったよりも早かったじゃねーか」

「まあ、あの書き込みをしていたのは、既にエレベーターに乗っていたときですからね」


 光希が言うと、


「せっかくインスタントコーヒーって偽って、店で一番高いコーヒーを飲ませて、マズイって言わせて光希が味音痴であることを証明しようとしたのに……コーヒーを入れ終わる前に来ちゃあドッキリが台無しじゃねえか」


 と、わざとらしくいじけた表情で進が光希にアピールした。


「そりゃあタイミング悪かったですね。でも、俺は高いコーヒーの味が分かる男ですから、きっと無駄ですよ」

「ははっ、どうだか。アメリカンとモカを間違えたやつに言われても説得力ねえよ」


 進は、削った豆をドリッパーに入れて、お湯を注ぐ。

 ブルーマウンテンのほのかな香りが部屋中に立ち込めると、光希は深呼吸しながら「最高級の香り〜」と両手を広げて堪能した。


「……ったく、調子のいい野郎だぜ」


 呆れた表情で言う進だが、その表情の中には、どこか安心感を抱いている様も含まれているようだった。


「なあ、楓ちゃん。念のため訊いておきたいんだけどさ――」

「あっ、はい。何でしょうか……?」


 進が楓の方を向き、


「こんなやつだけどさ、出逢えてよかったと思うかい?」


 と、光希を指差しながら質問をする。

 その質問内容を聞いた楓は、光希の方へと視線をやり、目を閉じる。


 一ヶ月という期間の様々なことを思い返しながら、出会いと変化、そして成長を頭のなかにビジョンで再生する。

 そして――


「はい。私は光希くんと出逢えて、本当に幸せです」


 と、真っ直ぐな笑みを浮かべて答えたのだった。


 ★★★


 光希と楓はフリーランスの模様です。

 第一巻 終わり

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