第19話:『わいるどふぁーむ』へようこそ

 四月八日 十一時十分 楓の部屋


「えっと……い、今なんて……」

「ん? 電波悪かったんかなぁ……申し訳ないです。じゃあもう一度言いますわ」

「は、はい……」

「採用です。うちのプロジェクトで開発している『わいるどふぁーむ』のメンバーとして、ぜひ来てください」


 電波が遠かったと思った菊池は、先程よりも少し大きめな声で『採用』という言葉を楓に告げた。

 しかし、楓にはその意味が理解できなかったようで――


「……えっと、なんの採用ですか?」


 と、菊池にどのような意図を込めた言葉であるかを聞き返した。


「いや何って……仕事の依頼に決まってるやん。今、あたしと蒼空さんで仕事の交渉をしていたんやから」

「えっ……ええええええええええええ!」


 楓は電話越しで絶叫する。


「うわっ……! ちょ、蒼空さん。いきなりでかい声出さんでください。あたし、耳めっちゃ良いんやから……」

「ご、ごめんなさい……つい驚いてしまいまして……」


 楓は、自らのバウンドボイスについて、菊池に謝罪する。


「それにしても、随分と採用について喜んでいたようですけど、そんなに久々に仕事貰えた感じですか?」

「え、えっと……一週間ぶりですね」

「えっ……! 一週間っ!」

「きゃっ……!」


 今度は菊池がバウンドボイスを放つと、楓が思わず携帯電話を落とし、隣りにいた光希が缶コーヒーを落とし、そして同室で働いていたプロジェクトメンバー達は、椅子から転げ落ち、一同が驚いた。

 先程言っていた耳が良いから大声は苦手という言葉は、どこに消えたのだろうかと楓は疑問に思いつつ、落とした携帯電話を拾い、菊池に電話をする。


「……え、えっと菊池さん。一週間という期間に何を驚いたのでしょうか……? もしかして、ブランクがあったのがまずかったのですか?」


 楓は何故菊池が驚いたのかを疑問に思い、質問をする。


「ん……ああ、すんませんね。驚かせちゃったみたいで――別に、あたしは楽しく仕事できる人なら、ブランクとか正直どうでもええんですけど……」

「は、はい……」


 耳に痺れを残しながら、楓は菊池の声に耳を傾ける。


「――仕事と仕事の間を、たった一週間だけしか休み取らなくてもええんかなぁと思いましてね……」

「えっ……?」


 楓は菊池の予想外の言葉に驚いた。


「あたしだったら仕事そんな好きじゃないから、わざと次の仕事探すのを遅らせて、一ヶ月間まるっとハワイでゴルフ打ちっぱなしとかに行くんやけどなぁ……」

「でも菊池さん、スコアめっちゃ微妙じゃないですか」

「あたしは大器晩成の女なんよ! 下手でも楽しいのがモットーで生きとりますぅ!」


 電話の向こうで菊池が片手でスイングしながら光希にゴルフのアピールする。

 電話を持っている方でスイングしているので、ぶぉんっ! ぶぉんっ! という風切り音が、楓の電話から聞こえている。

 そして、その隙間から『菊池さん、俺のスマホォォォォォ』と光希の叫ぶ声が、併せて楓の耳に届く。


「えっと……菊池さん……?」

「ん……? ああ、ごめんな蒼空さん。あたしのゴルフ魂にブワッと火が付いてしまって、一瞬職場をゴルフ場に見立ててしもうたわ」

「は、はぁ……」


 ウキウキとした声で、菊池は楓に言う。


「菊池さん、一旦楓と変わってもらっていいですか? もうメインの話は終わったでしょう?」

「えー! 話始めたばっかりやん。まだプライベートなキャッキャウフフのライフスタイルについてとか諸々質問していないのにー!」

「楓が職場に来たら、後はもう好きなだけ弄んでいいですから! ひとまず……!」

「ちぇー、光希のケチ―」


 光希が菊池に電話を返すように催促すると、しぶしぶとした表情で持っていたスマートフォンを光希の手元に置いた。

 光希は、菊池が乱暴にスマホを取り扱っていたのを心配していたのか、壊れていないかどうかを一瞬画面を確認し、大丈夫であることを確認した後、耳に受話器をあてた。


「もしもし楓。オレオレ、光希」

「ああ……光希くん」


 電話の声の主が聞き慣れた光希の声になると、楓は安心した表情で胸を撫で下ろした。


「いやー悪かった悪かった。突然、菊池さんと話しさせちゃって……びっくりしたでしょ?」

「もう……光希くんったら、本当に驚いたんだからね!」


 謝罪をする光希に対し、楓は拗ねた様子で言葉を返す。


「まあまあ、それよりも無事に決まってよかったじゃん。菊池さんのところのプロジェクト、他のクリエイターから結構人気あるっていうのに」

「えっと……そのことなんだけど……」

「ん……? どうした?」


 言葉をつまらせている楓に対し、光希が質問をする。


「今のってさ、よくよく考えると、面接だよね……」

「ああ……一応、そうだな」

「なんというか、今まで企業に面接行ったときとは全く違うような感覚で、すごく簡単に受かっちゃったんだけど良いのかな……?」


 不安そうな声色で、楓は光希に問いかける。


「そりゃあ……会社の『面接』じゃなくて、仕事の『商談』をしているだけだし、電話でやり取りが完了することは珍しくはないさ」

「そ、そういうもの……?」

「ああ、フリーランスの世界だと、そういうものだよ」


 楓のおどおどとした質問に対し、けろっとした表情で光希は言葉を返す。


「そ、そうかぁ……フリーランスって、なんか……特殊だね」

「特殊っていうか、ラフなんだよ。報酬以外に細かいお金のやり取りが一切発生しないから、仕事してくれる人が良い人なら契約は成立させられるんだ」

「な、なるほど……」


 楓は、社会の構造という仕組みの抜け穴を見つけたような驚きを心の中で抱きつつ、光希の言葉に納得をした。

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