第26話:実は……

 十一時十分 喫茶店タスヴァ


 楓が菊池に頭を下げて努力することを宣言した後――

 その後は三十分程、趣味や仕事についてを雑談しながら話し込み、互いの理解を深める時間として、三人は有意義な時間を過ごしていた。

 

 そして――


「……っと、もうこんな時間か。ちょっとオーバーしてもうたな」


 菊池がスマートフォンの時間を見て、そう呟く。


「菊池さん、今は何時ですか?」

「十一時五分や。就業開始時間は十一時を予定していたから、普通にオーバーしてもうたわ」


 菊池はわっはっはと笑いながら言う。


「えっ、それって大丈夫なんですか? 遅刻とかにされたり……」


 笑う菊池に対し、楓は心配そうな表情で時間オーバーの旨を懸念している。

 しかし――


「大丈夫や。あたしが楓ちゃんの勤務状況を管理する責任者やから、時間オーバーしたところで、大人の権力で握りつぶすことが出来るんや」

「ちょ……菊池さん、その言い方だと、なんか職権乱用している悪い人みたいに聞こえちゃいますから!」


 光希が慌てて菊池の言葉に静止をかける。

 その姿を見た菊池は、ふふ……と小さく笑いながら、楓に対して「冗談や」と言い――


「そもそもこの時間だって、仕事をするための最初の挨拶をしているようなもんやから、実質的に仕事の一環と言っても全くもって問題ないんや」


 と、楓に対して補足の言葉を入れる。


「えっと……ただコーヒーを飲んで、雑談をしていただけなのに、そんな風に時間を取り扱ってしまって大丈夫なのでしょうか……?」


 あまりにもルーズな『仕事』という言葉の使用に、楓は一途の心配を抱く。

 デスクに向かって真面目に作業に取り組むことが仕事だと楓は考えている為、勤務開始時間をオーバーした前提で、社外で雑談しながらコーヒーを飲むことを『仕事』と言われても、どこか後ろめたさが残ってしまい、罪悪感を感じているようだ。


「心配ない。今回の場っていうのは、以前電話だけで仕事の話が決まってしまったこともあるから、今度は直接合って、楓という人をよく理解しようっていう菊池さんの面談みたいなものだからな」

「えっ……ただのご挨拶じゃなくて……!?」


 楓は驚いたように言う。


「はは、それだけじゃあ会社も私が勤務時間内で社外の喫茶店で一服することは許してくれんわ。『面談』という、プロジェクトの人を迎え入れる際に必要なやり取りというのをする必要があったから、今この場があるんや」


 菊池は言う。


「そ、それは知らなかったです……」

「『面談』なんて固いお言葉を使うと、人によっては緊張して、ロクに話せぬままに終わってしまうパターンが懸念されるから、あたしは言わんようにしてる。むしろ、楓ちゃんの場合はそれでよかったと思わない?」

「はい、おかげさまで自然体でお話ができたと思います」


 菊池が言う言葉に対し、もはや「ごもっとも」という言葉以外に浮かんでこない楓。

 雑談を通じていろいろな情報をリサーチすることが出来るなんて、菊池という人はとてもすごい人なんだな――と楓は心の中で感じた。


「ちなみに、今日光希がこの場にいるのは、楓ちゃんのことをよく知っている光希が入れば、緊張しないで済むかなっていう保険だったんや――な、光希?」


 菊池は光希の方を向くと――


「そうですね。俺の有無が良い形で影響したかは分かりませんが、無事に済んでよかったって感じです」


 と、菊池の言葉に続いて、今日の面談が組まれていたものだったと肯定した。


 しかしここで、ニコニコと笑いながら楓を見る光希と菊池に対し、楓は一つの疑問を抱える。


「……どうして菊池さんは、社員で入社するわけでもない私を、ここまでして下さるんですか?」


 あまりにも待遇良く接してくれる菊池に対し、楓は思わず質問をしてしまう。


「えっ、どうしてって……う〜ん……」


 質問を聞いた菊池は、楓の質問に答えようと十秒ほど悩んで考える。

 そして菊池は――


「楓ちゃんに幸せになってもらいたいからかな?」


 という返答を、楓に向かって呟いた。


「私の、幸せ……?」


 突然の言葉に、楓は思わずぽかんとした表情をする。

 

「そうや。私がディレクターである以上は、仕事も人間関係も、休日も充実した毎日を送れるようなチームであって欲しいって強く願っているっていうポリシーがあるんや」

「充実した――毎日――?」


 菊池の言葉に聞き入りながら、楓は菊池の言葉を復唱する。


「あたしらは面白いものを作るクリエイター。人が幸せで毎日が充実しているほど、作品という一つの製品への愛情の込められ方が大きく変わってくるんや」

「えっと……愛情の込められ方……なんだかふわっとした利点ですね」


 楓は言うが――


「ただ、その『利点』を舐めたらアカン。利点を生かすも殺すもディレクターの腕次第――出来上がった作品を見た時に、一目瞭然の結果となって現れるんや」


 菊池は楓に向かい、強く言う。


「具体的にはどのような結果の差が生まれるんですか?」


 気になり、楓は菊池に質問をする。


「そうやなぁ……ピンきりかもしれんけど、面白くてめっちゃ売れる作品を後世に残せるか、そもそも人が失踪して開発が中断になるかとか、それぐらいの差かな?」

「うわぁ……それはまた……」


 極端な例であるにしても、そこまでの差があるとは予想しておらず、楓は驚愕する。


「この業界は、どうしても働く時間が増えがちになってしまうからなぁ……上の人間がキチンとコントロール出来ないと、すぐに皆不幸になってまう――それを知っているからこそ、どうすれば良くしていけるかというのを考えていくようにしているんや」

「菊池さんのその理念は、プロジェクトのメンバーにすごく響いているようですからね――辞めたいっていう人が全く出てこないんですよね」


 光希が菊池に問う。


「辞められたら、また人を探さなあかんやん、めんどいわ。あたしは気に入ったやつはガッチリ掴んでジャーマンスープレックスして押さえ込むんや」


 菊池は両手を上に上げて「ドーン!」と言いながら、掴んだ人を後ろに投げ飛ばす動きを楓に見せる。


「ふふ……それは恐ろしいプロジェクトですね」


 楓は、菊池の姿を見て小さく笑いながら、この人は本当に良い人なんだろうなぁ……と心の中で再認識した。


「ほな、楓ちゃん。そろそろうちのプロジェクトに案内せなあかんから、準備してもらって良い?」

「は、はい! 大丈夫です!」


 菊池の言葉に、楓は力いっぱいの返事をする。


「お? さっきの弱々しい姿とは見違えるように声を張るようになったなぁ……うちのプロジェクトは元気な子はウェルカムやから、その調子でいきや」


 そう言って、菊池は楓の肩をポンポンと叩く。


「……ああ、そうや光希」

「はい、なんでしょう?」

「あたし、さっき気づいたんやけど、財布を自分のデスクの中に忘れてきてしもうてなぁ……完全に金欠なんや」


 菊池は言うと、ポケットの布を外に取り出して、中身が空っぽであることをアピールする。


「えっ……ちょ……! 菊池さん?」

「すまんなぁ……光希は何かあった時にいつでもお金を払えるくらい、財布にお金を入れているんやろ?」

「さ、さっきの話をまさか聞いていたんですかっ!」


 光希は菊池に問いかけるも、それをスルーしながら席を立ち、そして――


「大丈夫やって、今度会う時に返すから。ツケってことでええやろ?」

「いやいや、菊池さんに合うときって、仕事をもらう以外無いじゃないですか……しかも、締切が結構ギリギリのやつ!」

「えーっと、そうやったかなぁ……記憶にございませんやなぁ……」


 菊池は光希の言葉にとぼけて言う。


「そういえば、来週あたり……また仕事を誰かに埋め合わせて終わらせ案件があってなぁ……誰かやってくれんかなぁ……? なぁ……? なぁぁぁぁ……!?」


 菊池は光希の背後へと近づき、耳元で囁きながら「分かってんやろう?」というオーラを光希に押し付ける。


「わ、分かりましたってっ! また協力させてもらいますから、マジでここの勘定お願いしますよっ!」


 菊池の圧迫に負けて、堪らず光希は次の仕事を受ける承諾をする。


「あらぁ……光希優しいわぁ……持つべきものは、仕事仲間やぁ〜。来月うちのプロジェクトで飲み会があるから、そっちにも参加してな」

「はいはい分かりました! 焼酎でも日本酒でも何でもござれでお付き合いしますっ!」

「よっしゃ! 商談成立や。光希もまた一つ賢くなったなぁ。将来きっと大金持ちや!」

「……ったく、調子いいんですから……」


 菊池の言葉に翻弄されている光希は、渋々とスマートフォンのカレンダーアプリにスケジュールを記載する。


「(なんというか……あの光希くんを軽々と翻弄して、その上、仕事の依頼をしてしまうなんて、菊池さんって……何者なんだろう……)」


 楓は菊地という人間性の魅力に疑問を抱きつつ、奢りが確定したアイスコーヒーを最後まで堪能した。

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