第38話:夜が明けて――

 そして翌日――


 時刻は午前十二時十分

 楓が仮眠室で睡眠を取り、十時間ほど経過した後のこと。


「おーい、楓ちゃーん。生きとるか〜?」

「う、うー……ん?」


 身体を揺さぶられる何かに対し、楓は不快感を抱く表情をする。


「おーい、もう昼休みやで〜!」

「んぅぅぅ……」


 今度は、頬をつねられる感覚に、さらに不快感を抱く楓。


「んへぇ……ぶぅ……」

「ダメや……全然起きひん。楓ちゃんは、随分と寝つきがええ根性を持ってるタイプなんやな」


 菊池がふぅ……と小さくため息を吐きながら言う。


「さすがに、光希と同じように◯る◯るの暴○を与えて、無理やり起こすわけにもいかんからなぁ……」


 あれならばマジで一瞬なのに……と、菊池は残念な表情で選択肢から外す。

 何か別の案はないだろうかと菊池は一瞬だけ頭の中で巡らせると、一つ妙案を思い浮かべる。

 この方法が効くか分からないけれども、ダメだったら別の方法を考えればよいという思考で、菊池は作戦を決行する。

 それは――


「あー! 『英世ひでよ』が財布から飛んでいくふぅ〜〜〜!」


 と、楓の耳元で囁くことだ。

 以前、喫茶店で話した時に、楓は財布に諭吉を入れたことがないという話をしていたのを菊池は覚えていた。

 ならば、露骨ではあるがお金を失うというシチュエーションを夢の中に吹き込むことで、絶望から逃れようと現実の世界に返ってくるのではないかと菊池は予想したのだ。

 ちなみに、菊池が『諭吉ゆきち』ではなく『英世ひでよ』を選択した理由は、楓という生活文化にとって最も身近な紙幣を選択したのが理由だ。


 この言葉にはどのように反応をするのか、菊池は笑いながら見守っていると――


「……う、うぅ……」

「おっ……? どうや? 効いているんか……?」


 予想外のダメージ具合を目にして、菊池は思わず驚く。

 最初はネタでぶっこんだから、ちょっとだけ反応してくれたら面白いかなという軽いノリで楓も切り込んだつもりだったが……


「も、もやしぃ……! いかないでぇ……!」


 英世がもやしになるという展開はあったものの、楓には効果は抜群の言葉だったようで、苦しそうな表情で額に脂汗をかきながら、ベッドの上でもがいている。

 まるで魔王に世界が征服されている様をリアルタイムで見ているかのような絶望感溢れる表情を一通り見せた後に、


「……っ! こ、ここは……?」


 楓は闇に飲まれた夢の世界から、現実の世界へと帰還した。


 菊池は楓を起こすということは、ここまで難題で苦労することなのかと心の中で苦笑いをしつつ、ひとまず無事に起きたことを安堵して、楓に話しかけることにする。


「おはよう楓ちゃん。今日も朝から元気がええなぁ」

「……? えっ……あ、き、菊池さん!?」


 菊池は、楓の顔の位置まで膝を屈ませて、至近距離で起床の挨拶をする。

 楓は、なぜ菊地が目の前にいるのか把握できないままでいると――


「楓ちゃん、昨日は泊まってったんやろ? それで、仮眠室を使ったから今ここにいるわけで……」

「ああ……」


 楓は頭を手で押さえながら、昨日光希と徹夜したことを、ぼんやりと思い出す。


「ちなみに楓ちゃん。今はお昼の十二時過ぎやけど、結構徹夜したんとちゃう?」

「え、えー……っと、どうでしたかねぇ……」


 光希と給湯室でコーヒーを飲んで、いろいろと会話したところについては微かに覚えている楓だが、それが何時だったのかというのは気にしていなかったせいか、時系列を把握できず、菊池の質問に答えられずにいる。

 すると、菊池は楓があまり記憶を持っていないことを察したようで――


「あんなぁ……何時まで徹夜しとったか分からないけど、夜に頑張って起きて仕事しても、代償で昼間に寝とったら、それはただの昼夜逆転やからなぁ……ただ体調を崩すだけやから、止めとき」


 と、楓の頭をポンポンと優しく叩きながら言う。

 そんな菊池の言葉に対して楓は、


 「はい、気をつけます……」


 と、楓の顔を見て、小さく呟いた。


「素直な返事で大変よろしい。それじゃあ、楓ちゃんには午後から仕事に入ってもらう予定なんやし、身なりとか今のうちに整えておき」

「あっ……はい、そうですね」


 楓は菊池から手渡された手鏡を受け取ると、昨日から落としていない化粧や、寝癖が付いたか髪の毛を見て、やってしまったなぁ……と後悔した表情を見せる。


「楓ちゃんは光希と違って女の子なんやから、そんな自分を雑にしないで、ちゃんと美意識を持ってねぎらわなあかんで」

「そうですねぇ……ちょっと気を抜きすぎたかもしれないです」


 落ち込んだ様子を見せた楓は、四捨五入でギリギリ二十歳だというのに、自分のケアのあまりの自堕落さに落胆した。


「その点、光希は自分のケアに関しては神経質やから怠っていないな。今朝も徹夜したような雰囲気を出している様子は見かけんかったし、無駄に頭に頭チクチクになるハードワックス付けとったし」


 菊池は、今朝の光希の様子を思い出しながら言う。


「え、えっと……菊池さん。光希くんは一体どこに……?」


 楓は、寝落ちする直前から記憶が曖昧な光希の存在について、菊池に質問をする。


「光希? 光希なら、けさ十時前に出勤したあたしに、徹夜で作ったシナリオや〜言うて、作ったデータを共有フォルダに入れて、そのまま帰っていったわ」

「あっ、そうなんですか……光希くん、帰っちゃったんですね……」


 光希は既にライフプログラムワークスから出ていることを聞き、楓は一瞬残念そうな表情をする。

 給湯室で聞いていた光希の過去のエピソードだったり、仮眠室まで連れてきてくれたであろう件についてのお礼だったり、あの後キチンとシナリオの仕事をこなしたのかという――諸々訊きたいことがあった楓だったため、いろいろと光希との会話をし損ねた感を抱いているのが、現在落ち込んでいる理由だ。


「(ん……いや、でも……)」


 ガッカリしていた楓だったが、シナリオの件ならば、光希から直接訊かなくても、菊池に評価を訊けば良いのではと思い付き、


「菊池さん。その光希くんが作ったシナリオって、もう見ましたか?」


 と、菊池に評価を質問してみる。

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