書き下ろし_EXエピソード

EXエピソード前編:GWの前に、

 五月上旬、それはゴールデンウィークに突入する前のこと。


 楓は今日も、パソコンの前でうなりながらデザインを作成している。

 今までアイコンしか作成をしていなかったが、勉強の意味もねてと、箱岡が楓にUIの仕事を一部任せたのだ。


「うー……ん。悩ましい……悩ましい……」

「はっは……悩んでいる子を見るのはいつ見ても楽しいものだねぇ……」

「箱岡さん……その発言は、知らない人が見たら、危ない意味合い……」


 横から涼子がぼそりとつぶやく。


「おっと、つい本音が出てしまって……いやいや、別に意地悪って意味じゃなくってね」


 箱岡は笑顔を崩さずに言う。


「……分かってますよぉ、ゲーム経験のボキャブラリーが少ないせいで、私のアイデアが生まれにくいのがいけないんですからぁ」

「いやいや、別に無理して他のゲームを参考にする必要は無いんだよ。要はきれいで、整っていて、少し斬新で、でも基本は踏襲とうしゅうしているゲーム性に見合ったデザインを描けばいいだけだからね」

「……箱岡さん。さらりとプロもたじろぐ高難易度な要求を口にしますね」

「最終的には求められることだからね。ゴールは先に見えていた方が良いだろう?」

「ゴールというか、道中のいばらしか見えてこないです……」


 両腕がわななく楓。

 手のひらの汗がびっしりと浮かび、右手に持つペンがつるつると滑る。


「先ほど言ったように、全部ではないからね。僕が作った基礎を元に、インベントリ周りのUIのデザイン案を出してくれればいいんだ」

「は、はぁ……」

「デザイナーの一番の宿命は、要求されたデザインを、いかに期待以上にして提出するかという点にかかっている」

「……プランナーは機能性までで、見た目の素敵は私たちが担当……実はアイデアひねりがとても多い仕事なのです」


 横で涼子も頭を悩ませながら言う。

 自信満々に提出した新フィールドのキャラクター案を提出したものの、差別化が弱いという菊地の一言により、やり直しを敢行かんこうしている最中なのだ。


 菊地はラフそうに見えつつも、判断力はやはりディレクターとして認められる裁量を持っているのだ。


「ものづくりは終わりなきトライアンドエラーだからね。僕も若い頃はそりゃあペケをたくさんもらったものだよ」

「箱岡さんも?」


 楓は首を傾げる。


「僕は特に物覚えが遅い方だったから、いつもディレクターからやり直しをもらったよ。一日に何回も何回もイラスト片手に扉を叩いたものさ」


 箱岡は苦笑いで過去を思い出し、思わず肩をすくめる。


「意外……今はこんなにバリバリに活躍しているのに」

「覚えるのが遅い分、粘り強さだけは負けないように頑張ってね、おかげで深く絵のことを覚えることが出来たんだ」

「……それが箱岡さんの強み……」


 涼子は目を輝かせる。


「足掻いた末の結果論かもしれないけどね。おかげでペケを貰っても、落ち込むより、次はどう改善していこうかと楽しんで考えられるようになったんだ」

「経験がゆえの判断ですね」

「そして今度は君たちがそれを経験する番になっただけだよ」

「あ、なるほど……」


 楓はキョトンとした表情で納得する。


「……とはいえ、無理は禁物だよ。もう二十一時を超えている。せっかく明日からゴールデンウィークなんだから、初日を惰眠だみんで終わらせるのはもったいないよ」

「……確かに、時間が……」


 涼子が腕時計を見て気づく。

 辺りのブースはちらほらと明かりが消灯しており、人のほとんど残っていない光景が三人の目に映る。


「さてと、僕もそろそろ帰ろうかな。明日は息子夫婦が孫を連れて遊びに来るからね。迎える準備をしないと」

「へぇ、良いですね。おじいちゃん」


 楓は少しいたずらな表情で箱岡に言う。


「私は……明日から缶詰めになる。マーケットの準備があるから……」

「マーケット? ああ、同人誌を売るやつね。当選したのかい?」

「全力当選です……発表前は、神社になけなしのお賽銭さいせんささげました」

「はは、それは神様様々だね」


 箱岡は言う。


「楓さんは……? どこかでかけたりするんで……するの?」


 涼子が敬語を言いそうになり、咄嗟とっさに訂正する。

 それを心の中で微笑ましく思いながら、楓は答える。


「……うーん。特に考えたこともなかったなぁ……この一ヶ月間、色々と濃い生活を送っていたせいで、余暇よかの事なんて全然考えていなかった」


 楓は四月のことを思い出して言う。


「それだけ充実していたって事かもしれないね」

「……かもしれないです。一ヶ月はとても濃かったですけど、なんだか一瞬で終わってしまった気分です」


 楓の頭の中では、ビデオテープが一瞬にして駆け巡り、光希との出会いから、自分の新たなる挑戦が描かれている。

 もしも喫茶店に寄ることがなかったら、決して起こり得なかった奇跡。

 楓は小さく息を吐きだしながら、自分自身の幸運を喜ぶ。


「仕事であれ、毎日が充実するというのはとても楽しいことだからね。楓さんにとって、人生の大きな転機は、成功へと導かれているようだ」

「私も、自分なりに頑張れる土台に立てたのかなって思います」

「先は長いだろうし、色々と新しい苦労も生まれるだろうけどね。若者が努力するのには苦しい時代ではあるけど、ぜひとも頑張ってほしいな」


 箱岡の眼鏡がちらりと光る。

 しみじみとした表情で、二人から視線をそらしたのだ。


「……ともあれ、仕事は仕事、休みは休み。いくらやりがいがあるからと言っても、休みを上手に過ごせない社会人は半人前だよ」

「は、はいっ……!」


 箱岡が楓に言う。


「それじゃあ二人共、お疲れ様。また数日後にお会いましょう」


 箱岡はいつもの笑みで片手を上げながら、エレベーターの方へと向かっていく。


「私も……閉店する前に文房具屋でペン先の芯を買いに行かなくてはいけないので、お先に失礼します」

「涼子ちゃん、お疲れ様」


 涼子はペコリと小さく頭を下げると、そのままリュックを背負って歩いていった。


「……私も、そろそろ帰ろう。休み、どうしようかなぁ……」


 椅子に体重をかけて、背中を大きく仰け反らせる楓。

 今までお金を稼ぐことだけに一生懸命だった分、自分を癒すことには疎いのだなあと改めて痛感している。


「……まあ、ここで考えていても仕方ないからなぁ、ひとまず家に帰ろう」


 楓は机の横にかけていたバッグを手に持ち、エレベーターの方へと向かっていく。


 ……

 …


「旅行は、この時期は高いだろうし……エステは、別に興味ないし……」


 エレベーターの中でも、楓は一人、空想に耽りながら、休みという時間を謳歌する方法を模索している。


 チンッ……ウィーン


「アミューズメント……マッサージ……高級料理……」


 エレベータが一階に到着しても、楓はまだ選択肢に悩んでいる。

 無意識にエレベーターの外に出て、うーんと唸りながら考え続ける。


 険しい表情を浮かべながら歩いている楓に、とある人影が声をかける。


「……やあ、楓。遅かったじゃん。残り?」

「食べ歩き……パワースポット巡り……アトラクション体験……」

「……ん? 何だ、ブツブツと呟いて」


 楓は光希の登場に驚かないどころか、そもそも全く気づいていない様子で会社のビルを出ようとしている。

 ブツブツと呟いている様は、光希以外の人から見ても、怪しい変質者にしか見えない。


「おっと楓、ひどいじゃないか、俺を無視するなんて」

「ん……あっ、えっ……光希くん?」


 光希が後ろから楓の両肩を手で抑え、一人の世界にこもっていた意識を呼び戻す。

 それと同時に、楓は光希がどうしてここにいるのだろうかという驚きを覚え、目を見開いて光希を見返す。

 そのリアクションを見て光希は安心する。

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