第3話:満員電車大嫌い病

 同日 九時三十分 西京さいきょう線 白羽しろばね駅〜新宿駅間


 新宿行きの電車が線路を駆ける。


「おぇぇ……人混み嫌い……」


 光希が顔を青ざめさせながら、手すりにしがみついている。


 朝九時台の電車は、ある程度通勤ラッシュが収まっている時間帯だが、それでもやはり社内は人混みで、優雅な移動をすることなんてまず出来ない。

 満員電車に乗るということは、光希にとっては地獄に足をつっこむことと同意義なものだが、ならお金を払ってタクシーを使うのかという選択肢に対しては、交通費の節約がしたいという意志が勝ってしまい、自ずと選択肢は地獄となった。


「ねぇねぇ、二限の授業の課題やった?」

「やってなーい。エリにバイキング奢る約束して写させてもらうつもり―」


「もしもし……あぁ、はぁ……お世話になっております。すみません、今電車の中で……はい、はい……お取引様にお届けする資料についてですか……それなら――」


「おぎゃー! おぎゃー!」

「はいはい、ゼリー食べたいんでしょ? ほーら」


「…………」

「…………」

「(ああ、クソッ! 通勤ラッシュの社畜どもが消えたと思ったら、今度は遅ラッシュ組の巣窟そうくつになっているじゃねえかっ!)」


 遅ラッシュ組とは、大学の授業の一限をサボり、遅れて通学している大学生や、社内での電話のマナーを気をつけているつもりが、相手の流れに飲まれてしまい、結局電話を完遂してしまう営業サラリーマン、そして泣きざかりの赤ん坊を連れて都会に行こうとする金髪のチャラい母子のことなどを指す。


 別にそれが悪いとは光希は微塵みじんも感じてはいない。(※ここ重要)

 ただ、光希が勝手に苦手意識を持っているだけだ。


「(これはこれで別のストレスが蓄積されていきそうだ。謎の一体感がある社畜よりもマナーが雑な分、余計にテンションが下がる……)」


 人混みが純粋に苦手な光希にとっては電車の中に誰がいようと、ただテンションが下がるというシンプルな条件反射をしている。

 朝六時台の電車に乗ろうものなら、今の光希は二度死んでも魂が足りないと宣言しているほどだ。


『まもなく、新宿〜〜新宿〜〜』

「ああ……ようやく、この呪われた空間から脱出できる……二十分程とはいえ、苦しい戦いだったぜ……」


 車内のスピーカーから、車掌の声で新宿に到着する旨のアナウンスが流れる。

 それは光希にとって、短いながらもどっぷりと浸かった地獄から脱出できる天使の声であるかのように、心の中で光悦な気持ちで満たされている。


「さて、この空間からさっさとおさら――」

「新宿〜〜新宿〜〜ご乗車、ありがとうございま……」


 ドドドドドドドドドドド!!!!!


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! 新宿駅特有の、人の出入りめっちゃ激しい現象だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 新宿駅で光希を待ち受けていたのは、電車の中で光希と同じく新宿駅に到着するのを待ち望んでいた乗客たちの流出と、新宿からどこいくんだよという営業周りの社畜軍団の流入ラッシュだった。


 ドドドドドドドドドドド!!!!!

 ドドドドドドドドドドド!!!!!


「ひぃぃぃぃぃ……人混み死ぬぅぅぅ……」


 光希は死にそうな表情をしながら電車の外へと出ていく。

 それはまるで、どこかの研究施設から逃げ出してきたゾンビのように、弱々しいものだった。


「はぁ……はぁ……し、死ぬかと思ったぜ……」


 電車から脱出した光希は、近くにあったベンチに座り込み、乱れた呼吸を整える。


『西京線発車致しま〜す』


 光希が必死に脱出した電車は、何事もなかったかのように扉を締めて、次の駅へと向かおうとする。

 もちろん車内は満員だ。

 その光景を見てしまい、光希はまた青ざめた表情をする。


「はぁ……朝の東京って、俺にとってはマジで命がけのダンジョンだな。命がいくつあっても足りんわ」


 そう言って「はぁ〜!」とベンチで大きく息を吐く光希。


★★★


 三分後――


「……ふぅ、少し休憩したおかげで、降車した乗客たちがホームからいなくなったぜ……これでのんびりと会社の方に――」

『間もなく〜十二番線に、渋谷行きの電車が……』

「よぉし! めっちゃ全速力で走るぞぉぉぉぉぉぉぉ!」


 ホームのアナウンスに拒否反応を示した光希は、ベンチから瞬間的に立ち上がり、一目散に駅の改札へと走っていった。

 光希はやはり、人混みが嫌いなのだ。


『ご乗車〜ありがとうございました〜新宿〜新宿〜』


 ドドドドドドドドドドドドドドドドドド!

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドド!

 ドドドドドドドドドドドドドドドドドド!


 今日も新宿駅は、ドドドな日常を繰り広げている。

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