ep6. 女王と騎士団長
6-1.クーデターの日
国が燃えている。
目に見えない炎が、蛇の舌のように国を舐め上げている。舌先にある王城は心細く、その白い外壁を晒していた。
「静かですね」
ユスランが小さく呟いた。
城の中は不気味なほどに静まり返っていた。それはいつも働いていた給仕やメイド達の半分が暇を取ってしまったせいでもある。
先王から仕えていた者達は城に残っていたが、ただの花嫁修業でやってきたメイドなどは親元が早々に呼び戻してしまった。
「ボクもこんなに静かなのは初めてだ」
波乱の武闘大会から一夜明けて、王城はかつてない危機を迎えていた。
先々王の孫であり、王族の一員でもある騎士団長のガーセルが、暗殺者を雇って、女王を殺そうとした。
女王であるシャルハの命は護られ、暗殺者は弓兵の矢に倒れたが、それで終わりとはならなかった。
企みが露見したガーセルは、予てより交流を持っていた反女王派の人間と共に謀反を起こし、男の自分こそが王に相応しいと宣言した。
「こうなるとは思っていた。ボクには王の器などない」
ガーセルは自らの領地である、王都の南で反乱軍を集めていた。
シャルハも軍を集めたものの、騎士団長であったガーセルがいなくなったことで騎士達は混乱しており、既に何人かは逃げ出していた。
「国の者達も不安がっている。早く事を収束しないと、ガーセルを倒せたとしても、ボクのことを国民達は「出来の悪い女の王」と言うだろう」
玉座で頭を抱えるシャルハに、隣国の王子であるユスランが溜息交じりに声をかけた。
「女王様らしくないですね。騎士姫とも呼ばれた貴女が」
「君にボクの何がわかる」
「うーん」
どこか飄々とした性格をしているユスランは困ったように笑った。
「何がと言われても困りますけど、僕が知っている女王様は、意地っ張りで強くて、でも可愛い人です」
「君は能天気な男だな」
「どういたしまして」
「国に帰るなら、兵をつけてやろう。お父上も心配しているだろうから」
ユスランは頭を掻いて、何度か目を瞬かせた。
「帰りません」
「は?」
「僕は貴女といます」
「君に何かあったら、今度は外交問題になる」
「大丈夫ですよ」
あっさりとした台詞は、何の根拠もないのに関わらず、誰にも否定されない響きを持っていた。
「僕も男ですから。愛する人を見捨てて自分だけ逃げるなんて真似はしませんよ」
「あ、愛するって……」
シャルハが思わず言葉に詰まった時、勢いよく扉を開ける音がした。
「シャルハー! 助けてー!」
金髪金眼の少女が走り込んで来たと思うと、狩猟犬の突進よろしく、シャルハに突っ込んで来た。
玉座に座っていたシャルハは避けようもなく、真正面からそれを受け止める。
「な、なんだ一体!」
抗議しようとしたシャルハは、金髪が編み込まれて、リボンで縛られているのに気付く。
続けて扉から入ってきた老人は、嬉しそうに両手にリボンや花などを持っていた。
「お待ちください、天使様。今度はこちらの髪飾りを試してみましょう」
「嫌! お前は私を髪結い人形だと思ってるでしょ!」
「いやいや、天使様だと思っておりますよ」
ウナはシャルハの頭の上によじ登り、そこに着座した。
こうすれば手出し出来ないだろう、と勝ち誇った様子のウナに対して、老人は少し悲しそうな顔をする。
「師匠、ウナで遊ぶのはやめてくれないか」
「失礼しました、女王陛下」
ベルストンはそこが王前であることに気付くと、背筋を正す。
危機が去ったことを知ったウナは、髪を解きながらシャルハに話しかけた。
「ねぇ我が女王、何をしょぼくれた顔してるの?」
「わからないのか」
「あぁ、ガーセルのこと? 困っちゃうよね」
「所詮、ボクに王など務まるわけはなかったんだ。ウナも、ボクを廃位しなかったことを後悔しているんだろう?」
この国の守護天使であるウナは、新しい女王であるシャルハから、生きるのに必要な「愛」を受け取れずにいた。
そのため、力が弱まっており、天使の証である白い羽も出せていない。
この国を守り続けて来た天使を愛せないまま、ここまで来てしまったことが、シャルハにとっては大きな後悔だった。
「私は別に後悔してないけど」
「なんでだ?」
「だってシャルハじゃない場合、あの自己中男でしょ? どっちにせよ愛は貰えないじゃない」
「いや、そうかもしれないが」
シャルハは黙って控えているベルストンを一瞥した。
愛を得られない天使は死ぬ。そう言ったのは、この老人だった。
即位してから三ヶ月という短い期間ではあるが、ウナを自分の不始末で殺してしまうことを、シャルハは恐れていた。
「ボクはウナの愛し方がわからない」
「またその話だ。何度目だろう?」
「何度目でも構うものか。……ボクが思うに、ウナを愛するということは、ユスランがボクを愛しているというのとは別物なんだろう?」
「土壇場で随分冴えて来た。そうだよ、その通り」
人間達が囁き合う愛と、王が天使に向ける愛は違う。
それに気が付いたのは、歴代の王が退位の際に、天使を次の王に渡してきた史実を思い出したからだった。
愛の形は様々にあるが、自らの伴侶のように愛していたとすれば、それを自分の子供に与えることはしない。
かといって自分の子供のように愛していたならば、そこに尊敬の念は生まれない。
「それに、もし普通の愛であれば、王がその役目を引き受ける必要はない」
シャルハの言葉に、ウナは頭上で悪戯っぽく笑った。
「私を愛するには、普通の覚悟じゃダメだよ」
「そこまではわかった。その次がわからない。ではボクはウナをどういう意味で愛すればいいんだ?」
答えはなかった。
その代わりにベルストンが咳払いをした。
「女王陛下に申し上げます」
「なんだ?」
「天使様の愛の謎を解くより先に、片付けるべき問題はあるかと」
「……確かに、それはそうだな」
目下の問題は、ガーセルの反乱を収めることだった。
少々現実逃避していたことを、シャルハは認める。
「師匠は、故郷には戻らないのか」
「……そのことで、話がございます」
ベルストンは手に持っていた髪飾りを床に置くと、恭しくその場に跪いた。
「どうか、私を今一度騎士団長に任命して頂けませんか」
「……どういうことだ?」
「今はガーセルの阿呆卿がいなくなり、実質騎士団長の座は空位となっております。今のままでは阿呆卿を制圧するにせよ、統率は取れますまい」
シャルハはその言葉に黙り込んだ。
ベルストンは数年前まで騎士団長であったが、今は剣を置いた身である。矍鑠としてはいるが、老人であることに変わりはない。
そのような人間を、急遽騎士団長に取り立てても良いものか、
悩むシャルハの頭上で、ウナが嬉しそうに口笛を吹く。
「いいよ、ベルストン。それでこそ私が愛した先王の一番槍」
「恐れ入ります」
「おい、ウナ」
「ルーティがいても同じ意見だったと思うけど。というか他に適任者いないでしょ」
執事であった男の名前に、シャルハは眉を曇らせた。
暗殺者の凶刃の前に立ちふさがり、シャルハを護ろうとした男。反女王派の振りが板に付きすぎていたため、シャルハは最後までルーティの真意に気付けなかった。
「わかった」
半ば諦めたような口調で言うと、シャルハは玉座から立ち上がる。
頭の上に天使を乗せたまま、その言葉を告げた。
「ベルストン、貴殿に騎士団長の任を与える」
「ありがたき幸せにございます」
「ボクと共に剣を取り、反逆者ガーセルの軍を制圧しろ」
ベルストンの顔に赤みが差し、両の瞳に光が灯る。
百戦錬磨の老兵は、干からびた場所から引きずり出されて、戦いと言う名の水を与えられた。
「御意」
昨日までとは比べ物にならない活気のある声で応じ、ベルストンは意気揚々と部屋を去る。
その後姿は、老兵とはとても思えぬ若さを持っていた。
「で、君は本当に帰らないのか?」
再び、シャルハがユスランに確認する。
ユスランは愚問だとばかりに肩を竦めた。
「天使様、女王様がこんなことを言います」
「それだけそなたのことが心配なんだから許してあげて」
「人の頭の上で勝手なことを言うな!」
「じゃあ降りようっと」
ウナは身軽に床に降りて、シャルハを見上げた。
幼い顔には似合わない、酸いも甘いも噛み分けた表情を作って、右手の人差し指を突き付ける。
「さて、我が女王。此処が正念場だよ。そなたが本当に王になれるかどうか、私は見ていてあげる」
「それは心強いな。ユスラン、ウナを頼む」
悩んでいる時間が勿体ないほどに、ウナもユスランもいつも通りだった。
昨日までと変わらぬ目で、シャルハを見ていた。そこには国を燃やす炎どころか、不安すらも存在しない。
二人が信じているのなら、王であるシャルハは剣を取るだけだった。
「死んだら、花でも供えてくれ。庭師がこの前、綺麗な赤い花を咲かせただろう?」
「冗談じゃありません。あれは婚礼用です」
ユスランの冗談に、シャルハは少しだけ笑って部屋を後にした。
残された天使と王子は、暫く黙り込んでいたが、やがてウナの方が口を開いた。
「何企んでるの、ユスラン」
「天使様に隠し事は出来ませんね。大人しく、此処で待っているわけないでしょう?」
ウインクをしたユスランに、ウナも同じ表情を作った。
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