2-3.ドレスにナイフは似合わない

「待て。世の女性は本当にこんなことをしているのか」

「コルセットは上流の女性の嗜みです」

「でも窮屈なんだが」

「女王様が着ている鎖帷子に比べたらマシですよぅ」


 一時間後、慣れないコルセットやリボンで精神的にも肉体的にも疲労したシャルハは、カウチに凭れ掛かっていた。

 ティアはドレスに似合う髪飾りを、専用の棚から物色している。


「やっぱりボクには向かないのでは」

「それより、ドレスが銀色だから髪飾りも銀がいいと思うんですけどー。こっちのハニャーっとしたのと、こっちのトゥリーンとしたの、どっちがいいですか?」

「どっちがどっちだ……。とりあえずそっち」

「こっちのハキューンとしたのですね」

「選択肢にないのが出て来た」


 美しい花の銀細工をふんだんに使い、レースでその周りを縁取った髪飾りを持ち、ティアはシャルハの後ろに回り込む。


「女王様は髪が短いから、飾るだけにしますね」

「短い方が戦場で有利なのだが」

「大丈夫ですよぉ、可愛く飾っておきますから」

「そうか……もう好きにしてくれ」

「はぁい」


 喜んで、と口には出さずにティアは微笑んで、右手首に隠していたナイフを滑らすように手中に落とす。

 警戒心のない首筋を見て、その皮膚の下に脈打っている血管に狙いを定めた。衣擦れの音も立てず、腕を振り上げた刹那、銀髪が揺れた。


「ティア」

「ふにゃはらふ!」


 振りむいたシャルハは怪訝そうな顔をしており、ティアはナイフを隠すために上半身だけを大きくひねった状態で声を出した。


「よかった。気配がないのでいなくなったかと思った」

「後ろ壁だからいなくなるのは無理です」

「それもそうだ」

「女王様、気配とかいつも気にしているんですか?」

「気にしているわけではないが、昔から男達に混じって剣の訓練をしていただろう。ボクは力はそんなに強くないから相手の隙をついて戦う方法を師匠から伝授されて、まぁもはや癖だな」


 ティアはそれを聞きながらナイフをしまいなおす。一国の姫であったシャルハにそんな生態を与えた師匠とやらを恨みながら。


「いますよぉ、心配しないでください」

「あぁ」


 再び前を向いたシャルハに、今度は気配を消すことなく髪に指を通す。

 傷み気味だが、元から美しい銀髪は照明を浴びてガラスのように輝いている。これに血を浴びせたらどんなに美しい光景になるだろうか、と恍惚にも似た感情を込めて櫛を滑らせた。


「女王様、髪飾りはどの位置がいいですか?」

「ティアに任せる」

「はーい」


 櫛を通しながら、だんだんと手首に隠したナイフを袖口から出す。

 シャルハに気付かれぬように、しかし緊張感は見せずに、絶妙なバランスの中、その切っ先を肌へと近づけていく。

 殆ど紙一重の位置になった時、突然シャルハが息を飲む声が聞こえた。


「鼠だ!」

「ふへっ」


 シャルハは即座に立ち上がったと思うと、髪に刺さっていた飾りを引き抜いた。先端が簪になっているそれを、部屋の隅目がけて投擲する。

 鼠の悲鳴が聞こえて、何処かに走り去る音がそれに続いた。


「逃がしたか」

「シャルハ様、髪飾りを投げないでください」

「すまない。鼠は伝染病を持っている可能性があるので城で見つけたら駆除するのが決まりになっている」

「そんなの他の召使に任せておけばいいのに」

「王が鼠如き倒せぬようでは示しがつかない」


 シャルハの隙をつくことに集中していて、鼠に気が付かなかったティアは内心で地団太を踏む。

 正攻法で倒せるとは元から思っていなかったが、ウナを排除したところでシャルハも十分手強かった。


「さぁ、続きを頼む」

「はーい……」

「どうした、元気がないな」

「気のせいです」


 床に落ちた髪飾りを拾って布で拭い、再び後ろに立った。

 作戦を変更し、今度は短い髪を編み込んで複雑な髪型にする。最後に髪飾りを刺す時に、ナイフを一緒に刺すという、少々荒っぽい手段に転じる。

 相変わらずシャルハはティア本人には全く警戒心を持っておらず、ただいつもと違う髪型にされる期待と不安の混じったような溜息を零していた。


「女王様、ちょっとここ押さえてください」

「どこだ」

「この編み込み」


 言われた通りにシャルハが手を髪に添えれば、一時的にではあるが手が塞がった状態になる。


「ありがとうございます」


 礼を述べて、髪飾りとナイフを右手に握り込んだ。

 その時、とんでもない勢いで衣装室の扉が開かれた。


「シャルハ! お散歩!」

「ぎゃああああああ!」


 悲鳴を上げたのはシャルハで、カウチを倒さん勢いで立ち上がり、一跳躍でドアを開いたウナに駆け寄る。

 そしてドレスの裾を持ち上げると、そのままウナを包み込んで視界を遮ってしまった。


「ちょっと、我が女王! 天使に冒涜は許さないの!」

「今、何か見たか! 答えによってはボクは命を絶つ!」

「ドレス姿見られただけで! 何も見ていないから安心して!」

「見てるじゃないかぁああ!」


 ドレスで天使を包み込んで嘆くシャルハの傍らで、髪飾りとナイフを中途半端に掲げていたティアは溜息をついて手を下ろした。

 今だったらシャルハを殺すのはわけもない気がするが、暗殺者としてのプライドがそれを許さなかった。

 仕事をするなら格好よく。こんな間抜けなシーンで女王の命を終わらせても、何の自慢にもならない。


「でも似合ってると思うよ、我が女王」

「煩い、煩い、煩い!」

「ただその髪型は頂けないなぁ」

「あの一瞬でどれだけ見たんだ、ウナは!」

「そなたのことはちゃんと見てるよー。あ、このドレスいい匂い」

「匂いを嗅ぐなぁ!」

「じゃあ出してよー!」


 女王と天使の攻防戦は、お互いが疲れ切って空腹で動けなくなるまで続いた。

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