5-8.暗殺者・退場

 謝罪の言葉と共に、ティアは右手の指の間に挟んだダガーを、腕を払う勢いで投擲した。

 しかしルーティが間に入り、鞭を振るってそれらの刃を叩き落す。執事とメイド、否、護衛と暗殺者は静かに睨み合っていた。


「姫、メイド長と共にお逃げください。彼女は反女王派ではありません」

「ルーティ、お前は……」

「先王は私に、貴女を護るように言いました。それには反女王派を装った方が何かと都合がよかったのです。無礼をお許しください」


 ルーティの鞭がティアの頭を狙って横凪ぎに払われる。

 ティアは体を大きく反らしてそれを避けると、体を後ろへ倒す力で足を振り上げた。鞭を蹴り飛ばしながら、その爪先を天に向け、更に円を描くように勢いをつける。柔らかくしなる体を反らして、両手を地面につけたかと思うと、そのまま体を一回転した。

 回転しながら、左足の腿に仕込んでいたナイフを取っていたティアは、間髪入れずに刃先を振るう。


「女王様を渡してくださいませ」

「断ります」


 ティアはあくまでシャルハを殺すことに神経を集中させていた。

 ルーティはシャルハを逃がそうとするが、それに気を取られるとティアの刃が鞭を切り裂こうとする。護衛として鞭の使い方を仕込まれていたが、ティアと比べるとルーティの実戦経験はあまりに少なかった。

 余裕を装った表情でそれを誤魔化していたが、長続きするわけもなく、ティアはそれを何度目かの攻防で見破った。


「場数の差が歴然ですわね」


 振り上げた足が鞭の軌道を逸らす。それはわずかな物ではあったが、鞭の命とも言える速度を失った先端は威力が激減する。

 反射的にルーティはその軌道を戻そうとしたが、それが隙を生んだ。ティアが間合いへと入り、右手でルーティの鞭を掴む。そして左手に持ったナイフの刃先を首元に当てた。


「さようなら」


 ナイフの先がルーティの首を裂く。鮮血が飛び散り、散らばったままだった賞金の金貨にも降り注いだ。

 ルーティは倒れ込みながら、それでも鋭い眼光でティアを睨みつける。その目はまだ諦めていなかった。


「貴女に場数で負けるのは想定内です……!」


 ティアが握るナイフの刃先に、ルーティは自身の右手を自ら突き刺した。激痛に顔を歪めながら右手に力を入れてナイフの柄を掴む。


「何を……」

「ダガーが、十本に、ナイフ。ナイフを仕込んでいるのが左足だけ、なのは先ほど確認しました」


 ルーティの手から流れる血がナイフを濡らし、ティアの握力を鈍らせる。あまりに突然の出来事に反応が遅れたティアは、相手がナイフを奪い取るまで、殆ど思考を停止していた。

 右手を犠牲にしてナイフを奪ったルーティは、ナイフごと右手を抱え込むようにして地面に崩れ落ちる。


「私は、貴女から……武器と時間を奪えれば、良かった」


 ルーティの血が石畳の隙間へ染み込んでいく。

 我に返ったティアが顔を上げると、騎士団の弓兵達が、その鏃をティアに向けて構えていた。


「……貴方には確かに、執事のほうが向いていますわ」


 ティアは小さく呟いた。

 視線を動かすと、シャルハが蒼ざめた顔をしてルーティと、そしてティアを見ていた。

 闘技場は混乱に満ちて、逃げようとする群衆達の怒号が響き渡っている。その中で血まみれのメイドは微笑んだ。


「私の負けです」


 足元には、賞金と一緒に手渡されるはずだった短剣が落ちていたが、ティアはそれを手に取らなかった。

 シャルハの瞳は短剣を捉え警戒の色を帯びている。ティアはそれに気付くと、首を左右に振った。


「私はそれを使いません。私は暗殺者。泥棒ではないのです」


 仕事に失敗した暗殺者の最後のプライドだった。

 短剣を取ったところで、弓兵が矢を放てば終わりである。泥棒となって死ぬぐらいなら、暗殺者として命を終える。覚悟を決めたティアは、何処か晴れやかな表情を浮かべていた。


「女王様、人のことはもう少し疑ったほうが良いですわ。本当にメイドなのか、本当に反女王派なのか、……本当に騎士団長に相応しい人物なのか」


 親切心でそう告げたティアは、血に汚れたスカートの両端を摘み上げて、優雅にお辞儀をした。


「それでは、ごきげんよう」


 矢が空を切り裂き、何かを貫く音がしたのは、その一秒後のことだった。


Continued on next story...

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