ep2. 執事とメイド

2-1.天使の宝物

 先王から仕える執事のルーティは、その仕事ぶりから周りには「石像が魔法で人間となった」と言われていた。

 生真面目で慇懃で、立っていろと言われれば何時間でもそこに立ち、歩けと言われれば暴風雨の中でも背筋を伸ばして闊歩する。

 表情に乏しいのが欠点であるものの、お茶会の準備も王の執務の補佐も、何事も卒なくこなしてしまう手腕に比べれば微々たるものだった。城下町を最近騒がせている美形の吟遊詩人ではないのだから、無駄に愛想を振りまく必要もない。


「ルーティ」

「なんでしょうか、姫」


 シャルハは紅茶の準備をしている執事の返答に、眉間に皺をよせた。


「ボクはもう姫じゃない」

「失礼しました、陛下。どうなさいましたか」

「南の方で最近悪い病が流行っていると聞いたが、実際にはどうなんだ」

「あぁ……」


 ルーティはティーカップを丁寧にシャルハの前に置く。琥珀色を煮詰めたように美しいその色は、ティーカップの白磁を一層引き立てている。


「国の医師たちに依頼して、優先的に南に治療薬を回すように指示をしてあります」

「ボクの承認なしで?」

「お言葉ではございますが、姫」

「姫じゃない」

「陛下、この病については先王の指示で陛下の即位の前に行いました」

「ならいい」


 シャルハはルーティのことをあまり信用していない。国の中には、新たな女王を祝福しない勢力も存在しており、どうにかして先々王の孫たるガーセルに位を譲渡させようとしている。

 ルーティはシャルハのことを王と呼ばぬことが多く、また先王の決定事項に関してはシャルハの断りもなく遂行する。隙あらばシャルハの廃位を目論む一派と似たような匂いがして、苦手だった。


「ルーティ、私にも紅茶を頂戴」


 シャルハの向かいに座った、金髪金眼の少女が声を出した。


「ウナ様、勿論でございます。お砂糖を多くいれましょう」

「よろしく」


 国の守護天使であるウナは、代々国王に愛されることでその力を奮って来た。だが女王であるシャルハは、少なくとも見た目と性格は同性であるウナをどうしたら良いか悩んでいる最中だった。

 愛を与えればいいと言われても、どうすれば愛になるのかがわからない。

 仮初の愛情などウナは望まないだろうし、かといって国を守る義務のあるシャルハがそれを投げ出すことも出来ない。


「ねぇ、我が女王」


 ウナが少し冷ました紅茶を飲みながら、シャルハに話しかけた。


「なんだ」

「眉間に皺をよせてるとよくない。若いのに老けた顔になる」

「放っておいてくれるかな」

「私は心配して言ってるの。結婚もしていないうら若き女王が眉と眉の間に嘆きの谷を作ってたら、婿も来ない」

「余計なお世話だ。愛の天使のくせに外見に拘るな」

「愛は魔法の言葉じゃないの。愛を得るには努力が必要だよ、我が女王。無限に湧き出る愛なんてこの世には存在しない」


 ウナは細い腕を伸ばして、スコーンを手に取る。小麦色に焼けたそれを頬張り、欠片が零れるのにも構わずに話し続けた。


「外見に拘れとは言わないけど、愛される努力は必要だよ」

「努力、ねぇ」

「その点、私は愛され天使だけど」


 顎の下で両手を組んで小首を傾げるウナは、確かに可愛らしい。だがシャルハにはどうしてもそれが愛すべき天使ではなく、自分にまとわりつく小動物に見える。


「シャルハも私を見習って、愛され女王になろう?」

「嫌だ」

「手始めに剣を置いてドレスとか着ない?」

「ドレスを着ても、ウナへの愛にはならないだろう」


 男装の女王の返事に、ウナは口を尖らせて椅子の上で足を揺らした。


「堅いんだから。ちょっと見てみたいって思っただけなのに。ねぇ、ルーティ?」

「……執事の身ではお答えしかねます」

「ルーティ、素直に言っていいぞ。ボクの格好なんかに興味はないと」

「興味と言いますか……」


 ルーティが何か言いかけたその時、廊下から慌ただしい音がして、ドアが突然開いた。


「ふにゃはううん!」


 聞き覚えのある、妙な悲鳴と共に部屋に転がり込んで来たのは、モップと壺を抱えたメイドだった。


「………ティア」


 シャルハがメイドの名前を呼ぶ。

 スカートが殆ど捲れかけた状態で床にあおむけになったメイドは、泣きそうな顔をして灰色の目を向けた。


「女王様、申し訳ありません」

「一応聞こうか。今日はなんだ」

「さっき、この壺をお掃除しようとして棚から下ろしたら、自分の右足で自分の左足を踏んじゃって、そのままバランスを崩して」

「そうか。壺を割らなくて偉かったな」

「ガーセル卿のところで割った壺と似ていたので、今日はちゃんとキャッチ出来ました」

「ティア、陛下の前でなんという格好をしているのですか。ちゃんと立ちなさい」


 ルーティが叱責すると、ティアは慌てて立ち上がった。

 しかしその途端に腕から壺が滑り落ちる。


「あっ」


 ティアが声を出したのと、金髪の影がその下に入り込んだのは同時だった。

 椅子から即座に飛び出して、落下する手前で壺を受け止めたウナは嬉しそうにそれを持って踊りだす。


「偉いでしょ、我が女王」

「はいはい、偉いね。持って踊ると転ぶから、やめてくれないかな」


 頭上高くに掲げているウナを見て、シャルハは溜息を重ねた。

 従兄のガーセルのところから預かったメイドは、何かと失態が多い。噴水の掃除をするつもりで、水を逆流させてしまったり、窓を水拭きしたために枠の塗料が剥がれ落ちたり、毎日なにかしら問題を起こしている。

 だがガーセルから半ば強引に引き受けた以上、やはりだめでしたと返すなど出来ないので、仕方なく手元に置いている。決定的なミスでもしてくれれば解雇も出来るのだが、どれもそこまでは至らないのが厄介でもあった。


「それにしても重い壺だね。ルーティ、元のところに戻してきて」

「畏まりました、ウナ様」


 ルーティは丁重に壺を受け取ると、流れるような所作でテーブルを回ってドアに向かい、そしてティアの襟首を掴むと引きずるように外へと連れ出して行った。


「そのうち、そなたの私物も壊されるよ」

「ボク個人は大したものは持っていないからいいが……、国宝を壊されでもしたら一大事だな」

「私の宝物まで壊しそうだから、あのメイドは苦手」

「宝物?」


 興味を惹かれてシャルハが尋ねると、ウナは慌てたように口を両手で覆った。


「なんだ、気になるじゃないか。天使の宝物というのは聞いたことがない」

「駄目。そなたには内緒」

「誰かに貰ったものか?それとも拾ったもの?」

「拾ったものは流石に宝物にはしない。貰ったの、先王から」

「父上から?」


 シャルハは亡くなった先王のことを思い出して首を傾げた。「騎士王」と呼ばれた父親は、華美なものを好まない性質であり、妃であるシャルハの母にも贈り物などしたのを見たことがなかった。

 妻への愛がないというより、照れくさくて出来ないというのが実際のところだったが、そんな父親でも天使には何か贈り物をしたらしい。


「何を貰ったんだ」

「だから、そなたには内緒なの」

「何故」

「もー、天使の秘密を暴くもんじゃないの」


 頬を膨らませたウナが椅子に戻るのを見ながら、シャルハは小さく笑った。


「何、我が女王」

「いや、ちょっとおもしろいと思っただけだ。いつか見せてくれるか?」

「んー……そうだね、先王を超える愛をくれたら見せてもいいよ」


 挑戦的に笑う天使に、シャルハは苦笑いをして肩を竦めた。


「相当先になりそうだ」

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