2-2.暗殺メイドの微笑
ティアはメイド長と執事に怒られた後、涙ぐみながら庭に出たが、誰もいないのを確認すると指で涙を掬って手を払った。
「あの天使が邪魔をするから、また仕留めそこないましたわ」
未だ出番に恵まれない、手首の内側に隠した短刀を装着しなおしながら苛立ちを口にする。
ガーセル卿に雇われた暗殺者である彼女は、メイドに扮してシャルハの隙を狙っていた。二週間もドジなメイドを演じるのは、それなりの苦労がある。だが今のところそれが報われたことはない。
いつもいいところでウナが邪魔をしてしまうので、手首の短刀も靴に仕込んだ針も、毎日丹念に磨かれるだけである。
「愛の天使だか何か知りませんけど、私の邪魔をする者は容赦しません」
暗殺者としてのティアは、その筋では有名な一人であった。曲芸師のように身軽で何処にでも潜り込み、闇に乗じて標的を仕留める。十八歳の身空ながら、これまで手掛けた仕事は、並みの暗殺者の比ではない。
だがそんなティアでも、王を殺す仕事は初めてだった。しかも相手は「騎士姫」と異名を取っていた剣の腕前である。寝首を掻こうにもシャルハには隙がなく、枕元には懐刀が置かれているので、下手に強行突破するわけにもいかない。
「だから苦労してドジをしているのに、あの天使と来たら……!」
ある時は、背中から一突きにしようとしたら、ウナが何かの遊びと思ったのか突進してきて失敗した。
またある時はシャルハの食事に毒を入れたが、ウナが空腹を訴えて騒ぎだしたので、シャルハがその食事を与えてしまった。どうやら天使に毒は効かないらしく、大皿一枚の肉を平らげたウナは平然としていた。
また別の時は、城下町に視察に出かけた女王の後を追い、人ごみに乗じて殺そうと思ったが、ウナが空を飛んでいた鳩を追いかけまわして、怒った鳩がなぜかティアの方に来てしまったため、慌てて逃げ出した。
ウナがティアの目論見に気付いているかは不明であるものの、このままではいつまで経っても暗殺出来ない。
「………そうですわ。天使を女王から離せばいい。女王個人は少し抜けているところがおありだから、私に油断して隙を見せてくれるはず」
ティアは悪質な笑みを浮かべると、メイド服のスカートを持ち上げて小走りに城の中へと戻って行った。
翌日、シャルハはティアの騒がしい入室で目が覚めた。
メイドが王の眠りを妨げることは本来厳禁であるし、そもそも入室の許可すらない。
だが、元々あまり寝起きがよくないシャルハは、それを目覚ましとして使っている節があり、口では苦言を呈しながらも、何かと重宝していた。
「おはようございます、シャルハ女王様」
「うん、今日は何をしたのかな」
「はい、メイド長のいいつけで床を磨いていましたら、モップが勝手に踊りだしました」
「そうか。多分君の足がモップを踏んだんだろうね」
いつもならそこでティアは立ち去るのだが、今日は何か言いたげな表情をしていた。
「どうした? ボクは着替えたいのだが」
「女王様はドレスを着ないんですか?」
「………はぁ?」
思い切り顔をしかめて返せば、ティアは少し肩を跳ねたものの、臆せずに続ける。
「ガーセル卿がお贈りしたドレスがあると思うんですけど」
「確かに受け取ったが、ボクはあぁいうものは」
「絶対綺麗なのに、もったいないです」
シャルハは牽制の意味を込めてティアを見るが、その何やら情熱が秘められた視線に逆に押しかえされた。
「ドレス着たことないならお手伝いしますから、一回着てみましょうよ」
「ティア、ボクは」
「着てみたいんでしょう?」
直球で尋ねられて、シャルハは言葉を飲み込んだ。
昨日、ウナに言われた時には興味がないと言ったが、シャルハとて若い女性であり、興味がないわけではない。
先王に生まれた子供が一人だけだったので男のように育てられたし、男装をすることに抵抗があるわけでもないが、それでも女性らしくしたい気持ちはある。
髪を綺麗に整えて、美しいドレスを身にまとい、化粧をして社交界に現れる貴族令嬢達を羨ましいと思ったのも二度三度ではなかった。
「一回だけ、着てみましょうよ。皆には内緒で。公務のお時間までに脱いじゃえばいいんです」
「……だが」
「ウナ様にも内緒にしておけば揶揄われることもないですし」
シャルハは腕を組んで考え込む。
昨日、ドレスは着ないと言った手前、ウナにその姿を見せるのは気が引ける。というよりも、ウナの性格上、それを自分の胸だけに押しとどめるとも思えない。ドレス姿を見られた次の瞬間には城中の者がそれを知ったとしてもおかしくない。
その点、ティアは新人メイドでドジで有名である。もし彼女が吹聴したとしても、真面目に受け取る者は少ない。
そういった打算の後、シャルハは小さい声で「じゃあ着てみるか」と呟いた。少々気恥ずかしくて俯き気味に言ったので、ティアの悪意のある笑みには気付かなかった。
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